【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.1】500号という節目に
ボクが一緒に歩んできたバイク史の話をしましょう おかげさまで『RIDERS CLUB』は次号で発行回数500号を数えます。雑誌という媒体は、愛読してくださる読者の方々に支えられているからこそ続くもの。どんなに理想に燃えていても、読んで頂けなければ継続は叶いません。何をさておいても、読者の皆さまに心より御礼申し上げたいと思います。 さて、これを機に37年前の創刊号からすべてデジタル化しようという、途方もないアイデアが実現することになりました。そこでこれまでの思い出を語って欲しいとスタッフから要望があったのですが、そうはいってもひとつひとつに思い入れはあるし、まとめて語るというのはボクにはできそうもないというのが正直なトコロ。ただこの間のバイク史と共に歩んだ当事者として、何かを語る義務はあるようにも思いはじめました。そんなワケで、激動のいくつかの時期について記憶を辿ってみようと思います。
1970年代ヨーロッパで出合ったモーターサイクル・カルチャー
先ずはじめに、『RIDERS CLUB』という雑誌を創刊した経緯についてお話しをさせてください。ボクが16歳で免許を取りバイクに乗りはじめた1964年は、ホンダが既にマン島TTへチャレンジを開始し、ヤマハやスズキがこれに続いて世界GPで覇を競う時代でした。そんな環境で世界GPマシンとGPライダーが走る姿を実際にこの目でみてしまい、羨望の思いから自分でもやってみたいという、いま思えばそもそもビビリーなのに無鉄砲なコトを夢見てしまい、それから色々ありましたが、ラッキーなことに史上初のプライベートで闘った全日本チャンピオンを獲得、さらに無謀なことに世界GPもプライベートで転戦することになりました。 実際にヨーロッパで各国を巡る、マシンを積んだトランスポーターでキャンピングカーを引っ張るジプシー生活(昔はコンチネンタル・サーカスとか言われてました)をはじめてみて、一番驚いたのが各国のレースを見に来るツーリング・ライダーたちでした。とくに6月からの夏は、多いときは10万人を超えるライダーたちが各国から集まり、それぞれがご贔屓のGPライダーを応援するのです。そしてその中に日の丸を振ってくれるグループを発見、いつしかパドックにも遊びにきてくれるようになりました。
フランスから来た人はホテルのフロントマン、ドイツから来た人は娘とタンデムするお医者さん、それにVWグループでインターン就職している学生だったりと様々。実はヨーロッパでは階級意識が強いのに、日常生活ではあり得ないフランクな付き合いがそこにあったのです。しかも北欧やスペインまでは1,000kmを超える長旅。このハードな行程を各々楽しみながらやって来るのです。 日本はまだ20歳を越えてもモーターサイクルに乗っていると「いつまでそんなバイクなんかに乗ってるの」と言われてしまう時代……大人が人生を楽しむ趣味としてのモーターサイクルなんぞ、イメージもされてませんでした。
大好きなバイクに興じながら暮らす人生をその実現したい
貴重な経験の連続だった世界GPを退く決意をしたとき、このヨーロッパのモーターサイクル・カルチャーを日本でも浸透させたい、大好きなバイクに興じながら暮らす人生をその実現のために活動したい、その思いで『RIDERS CLUB』という雑誌を創刊から現在へと繋いできました。折しもその1978年から’80年代へと、日本のモーターサイクル界は激動の時代を迎えることになったのです。この続きは次回、またお話しましょう。
◆表紙撮影の秘蔵エピソードも公開! 500号記念スペシャルコンテンツ“表紙でたどる『RIDERS CLUB』の歴史”