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【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.2】 ホンダの世界GP復帰宣言

この間、二輪の開発に注力できないため、世界初の量産4気筒CB750フォアを何が何でも1969年に生産を開始して、そのリードを広げておこうとしたのだと、ボクも後から聞いて知りました。しかし暫くするとカワサキがZ1・Z2系で4気筒のトップパフォーマンスの地位を奪い取り、スズキもGSシリーズでデイトナにレース出場するなど後続のイメージを払拭、ヤマハだけ英国調トラディショナル路線でしたが、何れにせよCB750フォアの生んだ世界中がビッグバイクへ傾倒していく流れを享受したのは、当のホンダではなくライバル・メーカーだったのです。’70年代のホンダはマイナーチェンジばかり。追い上げられ抜かれていくのを静観しているかのようでした。 そのCVCCエンジンもシビックの発売に漕ぎ着け、クルマ・メーカーとして世界で認められるまでに評価されたホンダが、小休止していたバイク界で日本のライバルメーカーに対し逆襲をかける、そんな敵意を剥き出しにした流れが始まろうとしていたのです。

ホンダの猛攻と対抗するライバル……全面戦争の勃発へ

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.2】 ホンダの世界GP復帰宣言 【KEN’S TALK 特別編】 その逆襲のトップバッターは、DOHC化したCB750Fでした。4本マフラーのCB750Kが先行して発売されたものの、本命は1979年から発売されたこのFシリーズ。すべてがそれまでの常識を覆すデザインだったのです。驚くほど大径のメーターや、四輪並みの大型でスクエアなテールランプ、燃料タンクとサイドカバーを分離せずに繋げてしまうインテグレーテッド・デザインは、シートカウルのダッグテール形状を含め、既存の日本製ライバル車を旧く見せてしまう勢いに溢れていました。忘れられないのは、ハンドル基部に装着されたキャブレターのチョークレバーが、当時の一眼レフ・カメラのフィルムを巻き上げるレバー形状を彷彿とさせるデザインだったこと。トラディショナルつまり昔からの定番であることがステイタスだったファンより、もっと広範囲にモーターサイクル・ユーザー拡大しようとターゲットしたホンダの姿勢には心を打たれました。 【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.2】 ホンダの世界GP復帰宣言 【KEN’S TALK 特別編】 ただ’70年代にDOHC化したRCBで世界耐久レースを制覇していたとはいえ、その流れを汲んだ新エンジンと車体との組み合わせでは、ビッグバイクは直線などで堂々と走る貫録を楽しむものという時代から、既にコーナリングで安定した操りやすさが評価されつつあった新しい流れには追随できず、全てのユーザーを奪還するまでには至らなかったのです。実際に’80年に入るとカワサキのZ1000 Mk2からZ1000Rへと直線を基調にしたデザインの新しさと、広範囲で安定して卓越したハンドリングが高い評価を得ていました。昔のマッハIIIとか暴れ馬的なカワサキのイメージで育った世代としては、ライダーが乗るとサスペンションが深々と沈み、あらゆる動作がライダーへ唐突なものとして伝わらない優しさに溢れる、俄には信じがたい変身ぶりには唯々感銘するばかり……。乗りやすさはライダーの安心感なくして得られないという、いまなら当然のセオリーが、まだすべてのメーカーで共有されていなかったからです。信じられないかも知れませんが「乗りやすさでバイクが売れるなんて聞いたことがない」当時のエンジニアたちから何度もそう言われました。 しかし時代は、そんな乗りやすさ親しみやすさでは人気を繋ぎ止められない、テクノロジー開発競争に人々の関心を向けさせたのです。エンジンの水冷化、そしてV4エンジンという画期的なチャレンジを仕掛けたのは、さらに逆襲の火をメラメラと燃やすホンダ。しかもビッグバイクのみならず、250ccや400ccという身近なスポーツバイクにも、開発コストをかけた高度なテクノロジーをこぞって注ぎ込むという全面戦争が勃発したのです。毎月のように新車が発表され、誌面はその解説や試乗記だけでページが足らなくなるほど。その頃の懐かしい逸話を何回かに分けてまたお話させてください。

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