【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.10】 GPマシン開発は乗りやすさとの闘い
驚くほどの乗りやすさにいつも感銘していた最初にGPマシンの試乗を許されたのがスズキRG500(79年4月号)。ストレートの猛加速猛スピードは恐怖でしたが、コーナリングとなると徐々に楽しくなってしまう……扱いやすいエンジン特性と路面からグリップ感をシッカリ伝えてくる足回りと車体。これが頂点マシンの実態なのかと感銘しました。さらに驚いたのが、3気筒で2ストにチャレンジを開始したホンダNS500(83年2月号)に乗ったとき。あの鋭い常人を超越したライディングのフレディ・スペンサーが走っているシーンからは、想像もできない従順なマシンだったからです。そして’83年にケニー・ロバーツがスペンサーと最後まで一騎打ちを展開したヤマハのYZR500(84年3月号)OW70と呼ばれるマシンでは、実は前年にヤマハがライダーの言葉を極端に解釈して、結果的には当のケニーでさえ乗りこなせないマシンを開発してしまい、先ずは原点へ戻ろうと誰にも乗りやすいマシン開発とした打ち明けバナシまで披露してくれました。劇的な最終戦を走ったそのままのマシンを試乗したとき、レーシングマシンというより良くできたスポーツバイクと感じさせる緩やかな特性づくめに驚嘆したのは今も忘れられません。過渡特性やトラクションに弱アンダーステア……レース界では常用句だった用語を使いまくってしまいましたが、単に乗りやすいとGPマシン試乗なのに緊張感をなくすような表現はできず、敢えて専門用語を多用しながら読者の方々が何れは理解してくださると信じて綴っていました。続くNSR500(85年9月号)など年毎に試乗を重ねてきた内容は、この乗りやすさのためのエンジン・デバイス開発やシャシーの剛性バランス、そして数ミリで変わってしまう重心位置など配置構成の緻密さに終始したいたのも
懐かしい思い出です。
これを身に染みて勉強させられたのがNR750(87年7月号)でした。あのオーバルピストン32バルブV4を、レースのためだけに開発したのではないことを立証すべく、デイトナのアンリミテッドクラスへ向け開発していた750ccマシンでル・マン24時間耐久レースへ出場しようというプロジェクトで、その出場ライダーに選ばれ開発段階から参画できたのです。当時としてはあり得ない中速トルクと爆速のトップスピードの両立したポテンシャルで、これを如何にコーナリングで有効なトラクションとするかなど、市販車で優先されるファクターで評価しながら開発しようというホンダの姿勢に、感銘を通り越した驚愕の日々を送っていました。ある日、編集部へかかってきた1本の電話にはじまったこの物語は、ぜひ皆さんにも読んで頂きたいと思います。 もう説明するまでもないとは思いますが、最新のモトGPマシンもこの乗りやすさが最大のテーマであり続け、市販車でもここの技術競争と化しています。速く走る……それは魅惑的な言葉でもありますが、リスクと対峙するのではなく如何に楽しく走らせるか……これからも、メーカー、我々のような媒体、そして実際に乗られる皆さんとが、ここの違いを共有し続けていくことが大切なのだと思います。
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