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モノを造るヒトの想い|樋渡 治さん【r’s gear】

バイクカスタムで最初に手をつけるのは、マフラー交換がお約束。社外マフラーといえば、パワーがどれだけ上がるのか? に注目しがちだが、アールズ・ギア代表の樋渡 治さんの考えはちょっと違う。本当に速く、そして楽しいマフラーとは?  樋渡さんのモノ造り哲学に迫る。

【r’s gear樋渡 治さん】’57年、宮城県出身。16歳で二輪免許を取得、最初の愛車はカワサキZ2。仲間の誘いで、オープン当初のスポーツランドSUGOでサーキットを走り始める。プロライダーとして、モリワキ、スズキワークスのライダーを務めた。’98 年アールズ・ギアを創業

流れに任せレースの世界へそんな自然体が生み出した珠玉のマフラー

アールズ・ギアの造るマフラー、ワイバンはライダーにとって憧れのパーツだ。工芸品を思わせる精緻な美しさを誇る仕上げは、見るからにハイエンドパーツ。だが、最大の魅力は乗り味だ。パワーアップは当然のこと、低回転域から絶妙なトルクを発生させ、人間の感性にシンクロしたレスポンスを生み出す。とにかく乗りやすくマシンを操る楽しさを存分に味わえる。一度ワイバンの走りを味わうと、なかなか他を試す気にはなれない。だから、リピート率がとても高いことでも知られている。

じつは、これが凄いこと。今時のバイクは、恐ろしく完成度が高い。マフラーひとつで乗り味を変え、しかも法規制に適合させて製品化するのは至難の技だ。一昔前であれば、少し抜けの良いマフラーを作れば、パワーは上がり、乗り手も無邪気に喜んでいたものだ。だが、環境問題に対する意識が高まるにつれ、状況は変わった。厳しくなる一方の排出ガスと騒音の規制。特に排出ガスの問題は厄介だ。緻密に吸気を制御するフューエルインジェクションは、ノーマルとは違うマフラーでは、規制内の排出ガス成分を吐き出させるのは簡単ではない。

インジェクションは補正機能があるから、マフラーに合わせて自動的にセッティングを変えてくれると考えている人がいるが、それは誤りだ。エンジンの状態に合わせノーマルマフラーに最適化してプリセットされた燃調マップの中から、適当と判断されるものを選択しているだけだ。社外マフラーにマッチさせたセッティングではない。それがどうだ、ワイバンはキッチリと規制をクリアした車検対応マフラーながら、乗り味は大きく変わる。もちろん好ましい方向に、だ。

ワイバンの排気音を聞いて欲しい、キメ細かくツブの揃った爆発音は、ガソリンの一滴までが、キレイに燃焼していることが感じとれる。どうして、こんなマフラーを作ることができるのだろうか?

「だって、ちゃんとしたマフラーじゃないと、楽しく走れないじゃないですか? それじゃあ、ちゃんと造らないとダメですよね」

そう言って笑うのは、ワイバンの生みの親、アールズ・ギア代表の樋渡治さんだ。’80年代から’90年代にかけ、全日本でトップを張ったレーシングライダー。モリワキのライダーとして注目を浴び、スズキワークスに所属していた時代には、開発面でも大きな役割を果たした。あの、ケヴィン・シュワンツのWGP500王座獲得の陰には、樋渡さんの存在が欠かせなかったと言われている人物だ。

その樋渡さんのレース人生は一風変わっている。生まれは宮城県仙台市、20歳の時にロードレースを始め、参戦2年目には国際A級に昇格。この年、13レースに出場し、転倒した1レースと2位に入った1レースの2戦以外は全てのレースで優勝したというから、その才能に恐れ入る。そして、満を持して国内レースの中心地、鈴鹿へと活動の拠点を移す。だが、そのきっかけを聞くと脱力してしまう。

「国際A級に上がったら、周りの人たちが盛り上がっちゃいましてね。オマエはプロのレーサーになるべきだって、どんどんお膳立てを進めてしまったんです。自分はバイクのプロなんて考えたこともなかったので、半ば無理やり鈴鹿に押し出されてしまった感じでした(笑)」

協力してくれた人の手前、2〜3年は頑張って故郷に帰ろうと考えていたのだという。レーサーの下積み時代のエピソードにありがちな、上昇志向やハングリーさが感じられない。なんだか周りに流され気味だ。鈴鹿で、生活の糧として就いた仕事も、地元人脈の紹介だった。

「宮城出身で、鈴鹿でレースに取り組んでいる人を紹介されて……。その人が、バイクのパーツを作っている工場があって人を募集しているよ、と教えてくれたんです。溶接や整備の資格は持っていましたし、もともとモノ造りは好きでしたから、お世話になることにしました」

その工場がモリワキと協力関係にあったことが縁で、モリワキでレースを戦うことになりトップライダーへと駆け上っていく。全日本G P 500クラスを長く戦い、WGPも走った。そして、’94年に引退。速さが衰えたわけではなかったし、開発能力は高い評価を受けていた。引き止める声も多かったのだが、あっさりとレース界から身を退いた。

「レーサーは、プロとして自分の強さをアピールしなきゃならないんです。でも、自分はそういうコトが苦手で……。長く走らせてもらいましたが、ずっとプロ意識に欠けたライダーでしたね。レースは負けたくないし死に物狂いで走りましたけど、それ以外の部分はプロ失格だったと考えています」

30代半ばで第二の人生を考えることとなった樋渡さん。余談だが、このレース引退後の空白期間に、スキーで三重県代表として国体に出場している。趣味のスキーに本格的に取り組んでみたところ、1シーズンで県の代表に選出されたというから驚くばかりだ。そんなある日、マフラーを造ってもらえないかと声がかかる。鈴鹿に来た当時の勤め先で、手曲げマフラー職人だった樋渡さんの技術が望まれたのだ。

「GP500レーサーの開発に関わって、自分はモノ造りが好きなんだなと再認識しました。自分はライダーでしたから、直接部品を作ったりはしていませんでしたが、一からバイクを造り上げる作業は本当に楽しかった。マフラーを造りも同じです。パイプをどう組むか、サイレンサーの構造をどう変えるかで、走りのキャラクターがどんどん変わっていきますから」

【画像の説明】 【画像の説明】 画像の説明
1:樋渡さんは、まずノーマル車両で尋常ではない距離を走り込み、そのバイクを理解してからパーツ開発のコンセプトを決める
2:広々としたアールズ・ギアの工場内には最新の工作機械がズラリと並ぶ
3:パーツ開発は図面上の作業だけでは完結しない。テストを繰り返し、スタッフとのディスカッションを重ねて、アールズ・ギアのパーツが誕生する
画像の説明
ワイバンの最新モデルである、Hayabusa用フルエキゾースト。ノーマルの完成度が極めて高く、法規制をクリアしながら性能と乗り味を上げるのが難しい車両。アールズ・ギアの技術力の高さを、証明するマフラーだ

アールズ・ギアを立ち上げてからは、自身が理想と考えるマフラー造りを追求してきた。豊富なラインナップを有するワイバンだが、一貫して樋渡さんが理想と考えるパワー特性が与えられている。それは、低回転域からしっかりとトルクを発生することと、スロットル操作に忠実なパワーデリバリーだ。

「ピークパワーだけ大きくても、速くは走れません。GPライダーがサーキットを走る時ですら、スロットルを全開にしている区間は3割程度しかないんです。一般道なら尚更、低・中回転域が重要になります。スロットル操作に対するレスポンスも大切、ライダーの操作とパワーデリバリーにズレが生じると、唐突さや怖さにつながります。違和感があると、思ったように開けられませんからね。それじゃ危ないし、楽しく走れませんから」

アールズ・ギアのパーツは、マフラーだけでなく、すべてが樋渡さんの監修のもとで開発されている。自ら徹底的に走り込み、このバイクには何を加えればいいのか、何を削ればいいのかを考え、基本デザインまでこなす。引退後、サーキットを訪れることは稀だが、趣味のツーリングでは年間2万㎞は走るという。現役でバイクを楽しみ続けているからこそ、ライダー目線に立ったパーツを作り出せるのだろう。

樋渡さんは、ことあるごとに「流されてここまで来た失格プロレーサー」と自嘲するが、その結果がアールズ・ギアというメーカーと、そこで生み出されたパーツであるのならば、 我々ライダーとしては、樋渡さんを〝流した〞何者かに感謝せざるを得ない。

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WGP500チャンピオンマシンRGV-γ500は、樋渡さんが開発を手がけた車両のひとつ。自らのライディングで、全日本GP500クラスのトップコンテンダーとして活躍した。全日本では、GP500を長く戦うが、GP250やTT-F1でも多くの実績を残している
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プライベートでツーリングを楽しんでいる樋渡さん。愛車としてBMWのGSシリーズを乗り継いでいる。仲間とヨーロッパツーリングにも出かけている。写真は’17 年に、ドイツを起点にしてアルプスを巡った時のもの。BMW仲間の盟友であるジャーナリスト、山田純さんも同行した

「自分の造るマフラーは全て低速トルクと正確なレスポンス重視でなければ楽しく速く走れません」

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アールズ・ギアのパーツはデザインも樋渡さんが担当。このスケッチはサイレンサーの形をどう考えるかを聞いた時に、その場で描いてくれたもの。ご本人は「画は上手くないので……」と言うが、なかなかの腕前。近日発売のHayabusa用ステップキットも、樋渡さんの考える“理想のパーツ”を具現化したものだ

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