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知れば知るほど乗ってみたくなる。KAWASAKI Zの歴史を嗜む

デザイン面でZ900RSの“元ネタ”となったのは、1970年代の名車Z1。誕生の背景やモデル変遷知ることで、Z900RSに流れる血脈をより深く理解できる。往年のZを知り、手に入れたいと思う人に向けてのバイヤーズガイドも掲載する。

カワサキ・Zシリーズの源流は、1972年に生産が開始されたZ1にまで遡ることができる。正式な車名は900スーパー4。ただし今となっては、型式名だったZ1で呼ぶ人のほうが圧倒的に多い。

「Z」の由来には諸説あり、最後のアルファベットなので究極を表わしているともされるが、英語で風を切るときなどの擬音語として用いられる「ZAP」から派生した、「ZAPPER(ザッパー)」にあるという説も有力だ。

日本では、1976年登場のZ650ばかりがザッパーとして取り上げられるが、アメリカでの成功を狙ったカワサキは、1969年に空冷2ストローク直列3気筒500ccのマッハⅢを導入した段階ですでに、「軽快で加速性に優れてカッコいい」というザッパーコンセプトこそが、北米市場が求める最大要件と分析していた。そしてZ1は、「速いカワサキ」を米国で定着させるために、失敗が許されないモデルだった。

ところが、エンジンレイアウトは量産二輪車初の4気筒で、動弁方式は当時最先端だったDOHCと決定し、試作機によるテストを開始したころ、ホンダが同じナナハン4気筒のドリームCB750フォアを発表。1972年の新型投入を目指していたカワサキは、ホンダに3年も先を越されてしまったことから、計画を変更して900で世界最速の座を得ることを誓った。 

こうして誕生したバイクの形式がZ1であり、その後に「Z」の文字は、型式名ではなく正式車名に受け継がれていくことになる。そして現代のZ900RSに至るわけだ。 

歴代Zは、派生モデルや小中排気量帯モデルを含めると膨大な車種になるが、空冷時代のフラッグシップ系には通称〝丸Z〞と〝角Z〞がある。その違いは燃料タンクなどのカタチによるもので、一部例外を除けば1978年モデルに境界線があり、同年に登場したZ1000(A2)よりも前が丸ZでZ1R以降が角Zとなる。

1981年に登場したZ1100GPまでが角Z系だ。 このうち丸Zの車体色は、Z900RSのカラーリングモチーフに使われることも多く、〝元ネタ〞を少し知っておけば、新色発表時の盛り上がりも違ってくる。配色も愛称で呼ばれることが多いので、ちょっとだけでも覚えておきたい。 

ちなみに、コロナ禍に驚くほど高騰した絶版車の価格は、少し落ち着きつつある。Z系はとても人気があり、それでも高価だが、「世に存在する数は絶対に増えない」のだから、大幅に値落ちすることも想像しづらい。どうしても入手したいモデルがある人は、早めに検討したほうがよいかもしれない。

1972:900Super4(Z1)カワサキ初のDOHCエンジンを搭載

1973年型として1972年6月から生産され、11月に発売開始された。エンジンは82ps/7.5㎏ f・mの903㏄空冷直列4気筒DOHC2バルブで、乾燥重量は230㎏。優れた動力性能と流麗な容姿で、米国だけでなく欧州などでも大人気となった。“火の玉カラー”は超有名で、欧州向けに“イエローボール”も。

1972 900Super4(Z1)
1972 900Super4(Z1)
【当初はナナハンDOHC4気筒で試作も順調に進んでいたが……】
750cc空冷直列4気筒DOHCエンジンを開発中だった1968年秋の東京モーターショーで、ホンダがドリームCB750フォアを発表。903ccに変更することに
【当初はナナハンDOHC4気筒で試作も順調に進んでいたが……】
750cc空冷直列4気筒DOHCエンジンを開発中だった1968年秋の東京モーターショーで、ホンダがドリームCB750フォアを発表。903ccに変更することに

1975:900Super4(Z1B)今なお人気の玉虫ブルーを採用

1974年型Z1Aではエンジンがアルミ地となり、車体色に“オレンジタイガー”と“イエロータイガー”を設定。翌年型のZ1Bでは“玉虫ブルー”や“玉虫マルーン”となり、シールチェーン採用によりチェーン自動給油装置は廃止された。Z1AやZ1Bの車体色も、Z900RSのモチーフに取り入れられてきた。

1975 900Super4(Z1B)
1975 900Super4(Z1B)

1976:Z900(A4)ブレーキのダブルディスク化で戦闘力を向上

マイナーチェンジでZ900(米国ではKZ900)に。燃料タンクやサイドカバーやテールカウルが変更され、キャブ小径化とエアクリーナー容量増が施され、1ps減となった。欧州仕様はフロントブレーキをダブルディスク化。

1976 Z900(A4)
1976 Z900(A4)

1977:Z1000(A1)ボアを拡大し、リアをディスクブレーキ化

騒音対策でZ900が馬力減となったことから、ボア4mm拡大で1015cc化。最高出力は83psに向上した。マフラーは左右2本出しになり、リアブレーキをディスク化。さらに熟成された1978年型A2が“丸Z”最終モデル。

1977 Z1000(A1)
1977 Z1000(A1)

1973:750RS(Z2)一時代を築いた国内ナナハン

Z1の発売当時、日本ではメーカー自主規制で750cc超のバイクを売れなかったため、国内向けに開発されたのがZ2こと750RS。Z1のダウンサイズ仕様だが、性能を重視するため新作クランクシャフトを用いてボア&ストロークとも専用とされ、746ccで69ps/5.9kg f・mを発揮。

1973 750RS(Z2) 1973 750RS(Z2)

1978:Z1-R(D1)流線形から直線系にデザイン変更

米国のカフェレーサー人気に応えたのが、Z1000(A2)をベースに直線基調の13ℓの燃料タンクや国産車初のビキニカウルや集合マフラーを与えられたZ-1R。初代は前輪18インチで操安性が問題となり、Z1000Mk.Ⅱベースとなった1979年型D2から19インチ化されタンクは20Lに。

1978 Z1-R(D1)
1978 Z1-R(D1)

1979:Z1000Mk.Ⅱ(A3)角Zの代名詞となったMk.Ⅱ

Z1000までとはデザインが一変され、直線基調の硬派なイメージに。1015cc空冷直列4気筒DOHC2バルブエンジンは基本構造をZ1000(A2)から踏襲するが、新型クランクシャフトやリブ入りクランクケース、インナーローター式オルタネーター、トランジスタ点火を採用し、93ps/9.1㎏ f・mまで高められた。車体乾燥重量は245kg。

1979 Z1000Mk.Ⅱ(A3)
1979 Z1000Mk.Ⅱ(A3)

1979 :Z1000ST(E1)シャフトドライブ搭載モデル

Mk.Ⅱとほぼ同時デビューの派生形。デザインやエンジンの基本構成を踏襲しつつ、前年に登場したZ1300に用いられたシャフトドライブと17インチの後輪、リーディングアクスル方式のフロントサスペンションを導入した。

1979 Z1000ST(E1)
1979 Z1000ST(E1)

1980:Z1000H(H1)Mk.Ⅱをベースに量産車初FIを採用

Mk.Ⅱをベースに、ボッシュ社が四輪用に開発したLジェトロニックを転用した電子制御燃料噴射装置を採用。93→96ps に馬力増も達成したが、当時の技術ではキャブレターに近い操縦性は実現できず、低評価に終わった。

1980 Z1000H(H1)
1980 Z1000H(H1)

1990:ZEPHYR750 Zの流れを汲むゼファーシリーズも人気

レーサーレプリカ全盛期の1989年に登場し、ネイキッドブームに火を付けた399cc空冷直列4気筒のゼファー。その後にシリーズ化されたが、750と1100は2007年、400のゼファーχは2009年に姿を消した。750はZ2を思わせる外観と排気量で生産終了後に人気沸騰。

ZEPHYR750 1990 ZEPHYR750(Z2)

1981:Z1000(J1)シャシーを刷新しスポーツ性を向上

従来のZ1系エンジンを刷新し、AMAの新レースレギュレーションにも対応できる998ccに。吸排気バルブの挟み角変更と大径化が施され、カム駆動はローラーチェーンからハイボチェーンとなり、各ギヤ比も見直された。102ps/9.3kg f・mで、車体は軽くなり乾燥重量230kgに。

1981 Z1000(J1)
1981 Z1000(J1)

1982:Z1000R(R1)1981年AMAレースチャンピオン記念モデル

1981年のAMAスーパーバイクでエディ・ローソンが王座に輝いた記念として、米国などで限定販売。1982年型Z1000(J2)をベースに、ビキニカウルや専用シート、専用リアショックやオイルクーラー、カーカー製4in1マフラーを装備する。ちなみにこの年、ホモロゲーションをクリアするコンプリートレーサーとして、KZ1000S1も30台のみ市販された。

1982 Z1000R(R1)
1982 Z1000R(R1)

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