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原田哲也から見たイタリアンチーム”仕事の流儀”「情熱があることになら、どんな苦労もいとわない」

世界最高峰のロードレースMotoGPやSBKにおいても、イタリアン旋風が吹き荒れている。レースにおけるイタリアンチーム(メーカー)の特徴や強みはどこにあるのか? 世界で勝利した経験を持つ日本人ライダーたちが、参戦当時や現在を語る。

PHOTO/H.ORIHARA, APRILIA, HONDA 
TEXT/T.TAMIYA
【原田哲也】
WGPフル参戦初年度の’93年にヤマハでGP250王者に。’97~’01年はアプリリアのエースとして250&500ccで活躍した。’98年は5年ぶりのGP250タイトルまであと一歩に迫った

情熱があることにならどんな苦労もいとわない

‘93年に初めてロードレース世界選手権GP250クラスに参戦したときはヤマハに所属していましたが、チームの母体はイタリアのパビアという田舎にあり、2名の日本人メカニック以外はイタリア人ばかりでした。

あの当時、欧米各国の違いもあまり分かっておらず、チームスタッフに対してはイタリア人というより「外国人」という感覚。イタリア語どころか英語もまるで喋れない状態で海を渡ったのですが、とても親身に接してくれて、優しい人たちという印象も持ちました。

ヤマハ時代は、チームが変わってもイタリア語がペラペラの日本人メカが一緒だったので、自分はほぼ日本語のみで生活。しかし’97年シーズンからアプリリアに所属することになり、日本語を話せるスタッフは誰もいなかったので、少しずつ言語を覚えていきました。

この年から、イタリアでアパートを賃貸。後に結婚する美由希さんは’93年の終わり頃からイタリア語を習っていたし、コミュニケーションを深めるためメカと一緒にいる時間がかなり長かったので、日常生活で困ることはとくにありませんでした。

その頃になると、イタリア人の気質というのがだんだん理解できるようになってきたのですが、簡単に言い表すなら、「情熱を持っていることに対してめちゃくちゃ真面目」。レース現場では、寝ないで仕事している姿を何度も見てきました。多くの日本人が抱くイタリア人のイメージとは、だいぶ違うと思います。

全日本250ccクラス王者となった翌年の’93 年から、ヤマハファクトリーライダーとして世界選手権にフル参戦。当時、チームの拠点はイタリアだった
全日本250ccクラス王者となった翌年の’93年から、ヤマハファクトリーライダーとして世界選手権にフル参戦。当時、チームの拠点はイタリアだった

一方で、イタリア文化に驚かされたこともいろいろありました。’93年のスペインGPではウィーク中にホスピタリティブースで、チームメイトだったピエール・フランチェスコ・キリが、水で半分くらいに割ったワインを……。

同じ年のイギリスGPで肩甲骨を折ったときには、イタリアに帰る道中でキリがデカいパルメザンチーズと赤ワインを2本差し出して、「よし、これで治せ!」なんてこともありました。しかも同じことを、ドクター・コスタとして知られたクラウディオ・コスタ医師にも言われたんです!

レースの仕事に関しては、基本的に自分の細かさにイタリア人スタッフも合わせてくれていましたが、初めてアプリリアのテストをフランスのポール・リカールで実施したときに、ホテルの住所だけ渡され「ここに来てね」なんてことも……。当時はスマホなんてないですから、紙の地図を頼りにサーキットの周辺を3時間くらいグルグルしましたよ。日本人なら、地図のコピーに場所を示して渡してくれたでしょうけどね。

’97~’01年はアプリリアと契約。写真は250ccクラスに参戦した’98年で、最終戦アルゼンチンGPでロリス・カピロッシの強引なアタックを受けて王座を逃した

それはともかく、レースにおけるイタリア人の魅力としては、真面目という以外に「発想が豊か」というのも印象的。自分がアプリリアにいた時代のエンジニアで、現在はドゥカティのゼネラルマネージャーを務めるジジ・ダッリーニャもそうですが、ときに突拍子もないことを打ち出してくることがあるんです。

もうひとつ、「動きが早い」というのも特徴。例えば、有効だと思われる新しいパーツが完成したとき、日本のメーカーならさらにテストを重ねてあれこれ検証すると思いますが、アプリリアでの現役時代には、ちょっと走らせただけですぐ実戦投入することが多々ありました。まあだからこそ、マシンが壊れることも多かったですけどね……。

ある意味でとても大胆なのですが、そんな性格も影響してか、セッティングに関しては大味。例えばサスや車高に関して「ちょっと」と表現したとき、こちらは1/4回転程度を調整したいという話だったのに、向こうは1回転と解釈するなんてことがよくありました。

「冬のパビアは霧がスゴくて、’93年冬に初めてワークショップを訪ねたとき、『イタリアは太陽の国だと聞いていたのに、太陽どこだよ!』と思いました」と原田さん

イタリア人はどんなバイクでも乗りこなすスキルが高いから、多少のことならライダーがなんとかしちゃうんです。だからこそ、かつてはいいバイクが生み出されづらい環境でもありました。

でも現在のMotoGPでは、ドゥカティが圧倒的に強いですよね。これは、イタリアというよりもジジの性格が大きいはず。彼は本当に誰の話も聞くし、性格は細やかだし、怒ることもほぼありません。日本人よりも日本人らしいジジだからこそ、誰が乗ってもそれなりの成績が残せるマシンが作れたのだと思います。

しかもレースの世界におけるイタリア人というのは、ジジに限らずスタッフ全員が、自分が担当するライダーのことをどんな状況でも100%信じていて、それを表現してくれます。だからライダーも、より頑張ろうという気持ちになるんです。

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