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自らの個性を高め続ける情熱のイタリアンブランド【DUCATI】

イタリアのバイクブランドには、挑戦と競争、再編の中で築かれてきた紆余曲折の歴史がある。少しでもこれを知ることで、それぞれのブランドに対する魅力はさらに深まるはず。ここでは、スポーツモデルを手がけるメーカーを中心に、その歴史や現在の活動を紹介する。

TEXT/T.TAMIYA

【DUCATI】Lツイン&デスモを追求して世界の頂点に駆け上がった

電子部品メーカーとして1926年に設立され、1946年に自転車装着用エンジンの生産で二輪業界に参入。1950年代には、ファビオ・タリオーニの加入により、デスモドロミックを武器にレースでも活躍し始めた。

1970年代は、ベベルギアでバルブを駆動する空冷Lツインを世に送り出すが、次第に日本車の4気筒が台頭して主導権を奪われた。1978年にコグドベルト駆動のパンタ系、1988年にはLツインを水冷DOHC4バルブ化した851を生み出しSBKで活躍。1993年にモンスター900を発表。

当初は賛否両論あったが、結果的にこのモデルがファンの裾野を拡大し、現在の多ジャンル展開に繋がっている。

【後に伝統となるLツインを初搭載】北米を意識した大排気量車の開発において選択されたのが、単気筒の技術を転用しやすく理論的な一次振動がゼロのLツイン。1971年の750GTに初搭載された
<1971 750GT>【後に伝統となるLツインを初搭載】北米を意識した大排気量車の開発において選択されたのが、単気筒の技術を転用しやすく理論的な一次振動がゼロのLツイン。1971年の750GTに初搭載された
【近代ドカの基礎を作ったパンタのレーシングマシン】ファビオ・タリオーニは、ベベルギアカムシャフト駆動の後継としてコグドベルト(歯付きベルト)を採用。1979年の500SLパンタ以降のスタンダードとなり、レースでも活躍
1982600 TT2 RACING PANTAH>【近代ドカの基礎を作ったパンタのレーシングマシン】ファビオ・タリオーニは、ベベルギアカムシャフト駆動の後継としてコグドベルト(歯付きベルト)を採用。1979年の500SLパンタ以降のスタンダードとなり、レースでも活躍
【タリオーニが設計したデスモ機構で躍進】強制弁開閉機構のデスモドロミックは、1954年に移籍してきたファビオ・タリオーニが、以前から世にあった技術を二輪用に設計した
【タリオーニが設計したデスモ機構で躍進】強制弁開閉機構のデスモドロミックは、1954年に移籍してきたファビオ・タリオーニが、以前から世にあった技術を二輪用に設計した
【2024年モデルとして単気筒のニューモデルが登場】1974年まで450デスモなどの空冷シングルも生産し、1990年代には市販レーサーのスーパーモノを手がけたドゥカティが、単気筒を復活
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