最速神話のはじまり-KAWASAKI Z1-part1
カワサキを最速に押し上げたZ1
後発メーカーだったカワサキに『最速』のイメージを植え付けたのが、初代Zだった。世界を震撼させた排気量750cc、並列4気筒を搭載するホンダCB750フォアが発表されたちょうどその頃、カワサキは次世代に向けたニューモデルを開発中だった。“NEW YORK STAEK”のコードネームを持つバイクはCB750フォアを超える使命をおび900cc並列4気筒DOHCという超ハイスペックをまとって登場し、当時の最強・最速となったZ。今回は「R/Cアーカイブズ」としてカワサキZ1をプレイバック。第1回は開発にいたる背景となった当時の模様をお伝えする。
カワサキが自社開発した初めての4ストロークエンジン
Zといえばカワサキ。いまも変わらないこのイメージの発端となったのは、1972年に発表され翌年から輸出が始まったご存じZ1。国内規制に合わせ排気量を750へスケールダウンしたZ2、いわゆるゼッツーと共にヴィンテージでは依然として絶大な人気を誇る名車である。このZ1というバイクがいかに大きな存在だったか、まずは当時の背景から辿っていこう。カワサキは日本のバイクメーカーの中で最後発。1959年にスタートして、2ストローク単気筒エンジンの80〜125㏄クラスが中心だったのを、60年代後半に先発メーカーが世界GPマシンでしか投入できていなかったロータリーバルブ吸入方式の250㏄2気筒のスーパースポーツA1で、ホンダやヤマハそれにスズキが世界進出を始めたその流れに遅れまいと、猛烈な攻勢をかけはじめたのだ。大排気量エンジンへの挑戦
世界のバイク市場は、トライアンフにBSA、それにノートンやマチレスといった英国車に加え、ドイツのBMWなどのヨーロッパ・メーカーの500〜650㏄クラスが最高峰だった。これに日本車が世界GPで立証した、排気量が小さくても精緻なメカニズムで高回転高出力を誇り、大排気量車並みの性能で人気を得ていたのを、いよいよ販売価格も高価な大型車へのチャレンジを模索していた頃だったのである。その急先鋒が1968年に発表され、翌年から生産が始まったホンダCB750フォアだった。これに唯一対抗できた日本車は、カワサキの500SSマッハⅢ。A1から350のA7と排気量を拡大した後、カワサキは他が考えもつかなかった2ストローク3気筒エンジンで、当時の市販車にとって世界最速の速度域だった時速200キロ達成を目指したのだ。 [caption id="attachment_491587" align="alignnone" width="1200"]
”ナナハン”の登場が世界の勢力図を変えた
しかしマッハⅢもそうであったように、誰もが想像していなかった世界GPマシンでしか実現されていない、4気筒エンジンを搭載したホンダCB750フォアの突然のデビューは、多くのメーカーの思惑や予定を大幅に狂わせた。ヨーロッパ勢も排気量を650からナナハンへ拡大しようとしていたが、それは英国勢が3気筒だったりBMWは伝統の水平対向2気筒のままだったりと、突然デビューしたホンダの4気筒の前には色褪せて見えるものばかり。その結果、英国勢は倒産に追い込まれたり、BMWも撤退を検討するまでに衰退を余儀なくされたのだ。イタリア勢でも、ドゥカティが大排気量マーケットへの進出を狙っていて、750〜900デビューで出鼻をくじかれるなど、他にもモト・グッツィ等々大きな影響が及んでいたのである。 [caption id="attachment_491588" align="alignnone" width="1200"]
