『モータースポーツの申し子』と呼ばれたその半生を振り返ってみよう。
バイクは決してやめられない
こうありたい自分──青木拓磨さんにとって、それはバイクに乗っていることだ
バイクで負傷し、バイクに乗れなくなった それでも、やめられない
自分らしく自分でいるために
青木琢磨
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’74年生まれ。’97年、世界GP500にフル参戦。翌’98年シーズン開幕前テストでの事故で脊椎を損傷した。現在は四輪レースに積極的に参加。気軽に参戦できるバイクレース「レン耐」も主催する。[/caption]
スロットルを開けることは未来を手元に引き寄せること
雨降りの6月24日、袖ヶ浦フォレストレースウェイのピットに朗らかな笑い声が響いた。雨粒の大きさを感じさせないほど、空気は明るい。
これから起こるのは、そう特別なことじゃない。1台のバイクに、ひとりの男が乗って、数周する。それだけだ。サーキットで日常的に繰り返される当たり前の出来事である。
その男は、かつて世界グランプリライダーだった。輝かしいレース戦績を持つ男--青木拓磨さんだが、車椅子生活を余儀なくされている。
モータースポーツの申し子 青木拓磨の足跡 ハンディキャップがなくても、あっても青木拓磨の人生はレースと共にある

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四輪のレーシングドライバーとして、ロードレースやラリーにも参戦[/caption]
98年の世界GP開幕前にテスト走行で転倒し、下半身不随となった。以降、三輪のトライクなどに乗る機会はあったが、純粋にバイクと呼べる乗り物からはすっかり離れていた。
そして今、弟の治親さん、兄の宣篤さんを中心とした多くの人々のサポートを受け、拓磨さんはじっくりと時間をかけてセパレートの革ツナギを着て、CBR1000RR SPにまたがろうとしていた。
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下半身が動かない状態でのライディングは、多くの献身と勇気が必要だ。兄の宣篤さん(写真)と弟の治親さんだから踏み込めたのは確かだが、強い気持ちさえあれば、あるいは誰でも[/caption]
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青木3兄弟。左が兄の宣篤さんで右は弟の治親さん。3兄弟とも元世界GPライダーで日本のレース界をけん引している。[/caption]
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