CAGIVA(カジバ) V589/1989&V594/1994~WGP 500ccファクトリーマシンを体感!!~【R/C インプレッション archives】
僕たちを熱狂させたファクトリーマシンが日本に存在していた
世界グランプリが輝いていた黄金時代。そのひとつが80年代後半から90年代前半にかけてのシーズンだ。ケニー・ロバーツが第一線から退き、フレディ・スペンサーの全盛期が過ぎ、次世代を担うアメリカンとオーストラリアンライダーが次々と、そして急速に台頭してきたことがその幕開けになった。
4強と呼ばれたエディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツが熾烈なトップ争い繰り広げ、そこにミック・ドゥーハンとジョン・コシンスキーを加えた6強時代が到来。技術革新も目に見える形で進んだ華やかなりし時代でもあった。
ホンダとヤマハ、そしてスズキの3メーカーがグランプリを牽引していたことは間違いないが、その中できらめきを放ち、レースシーンに確かな爪痕を残したヨーロピアンメーカーがあった。それがイタリアのカジバである。
カジバはイタリア北部の街ヴァレーゼで創業し、78年にバイク業界に参入するとすぐに世界グランプリに参戦を開始。当初は思うようなリザルトが残せなかったものの、ランディ・マモラのライディングによって88年のベルギーGPで初の表彰台を獲得すると、94年に撤退するまでの間に計3勝をマークした他、最高ランキングは3位にまで登りつめるなど、黄金時代の一角として今も熱烈なファンを持つ。
実はカジバのファクトリーマシンは現存する個体数がそれなりにあり、ここ日本にも存在する。それがとある愛好家の元で保管されている、このV589(89年)とV594(94年)である。
ところで、車名に関してはカジバの「C」を意味するC589、C594と表記されることも多いが、撮影車両のシリアルプレートはいずれも「V」になっていたため、本企画では「V」で統一することにする。
「CAGIVA V589」数年後にやってくるその礎を築いたマモラの献身
まずはV589から見ていこう。カジバがマモラを迎え入れたのは88年のことだ。世界ランキング2位を4度も経験していたその速さに加え、スズキ、ホンダ、ヤマハの全ワークスマシンを経験していたキャリアが買われたのである。 マモラもまた献身的にチームに貢献。90年までの3シーズンの間、インジェクションやカーボンフレームのテストなど、後につながるさまざまな技術革新に取り組み、貴重なデータをチームに残すことになった。 [caption id="attachment_573415" align="alignnone" width="1200"]
CAGIVA V589(カジバ・V589)ディテール







492.6ccのV型4気筒2ストロークエンジン


前後オーリンズとAPロッキード/ブレンボ


「CAGIVA V594」世界ランキング3位。輝かしい戦績を残して撤退
そして、もう1台がフルエントリー最後にして、もっとも世界の頂点に近づいたV594である。 予兆はその前年となる93年にあった。というのも、シーズン中盤でスズキワークスを解雇され、行き先を失っていたジョン・コシンスキーをカジバは迎え入れ、レースにスポット参戦させるとわずか3戦目で優勝を果たしてしまったからだ。 もちろんすぐに正式な契約が交わされ、94年にはエースライダーとしてフルエントリーを開始したのである。コシンスキーの速さもさることながら、マシンも高いレベルでまとまりを見せ、開幕戦を優勝で飾ると計7度も表彰台へと登壇。結果的にミック・ドゥーハン、ルカ・カダローラに次ぐ総合3位にまでランキングを上げたのだ。 しかしながら、カジバは保有していたかつての名門ブランド「MVアグスタ」の復活に資本を集中させることを決定。ワークスチームを解散することになったのである。 数年後、MVアグスタは本当に再興を果たしたため、それ自体は喜ぶべきことだが、もしもあのままグランプリを走っていれば……と、そう思わずにはいられない。 [caption id="attachment_573433" align="alignnone" width="1200"]
CAGIVA V594(カジバ・V594)ディテール







電子制御化が試されたリヤの減衰力

トライ&エラーを今に伝えるピボット位置

さまざまな形状と素材が試されたスイングアーム

ブレーキディスクは前後カーボンディスク
