連覇への鼓動 新生チーム ヨシムラSERT Motul始動! GSX-R1000R 『静かなる点火』
ゼッケン1──。昨シーズンの世界耐久選手権で優勝したチームが千葉のサーキットでエンジンに火を入れた。連覇への狼煙だ ピットに流れていたのは、驚くほど穏やかな空気だ そしてそれこそが、耐久レースの本質のようだった
ヨシムラ SERT Motulシェイクダウンテスト 袖ケ浦フォレスト・レースウェイ
袖ヶ浦フォレスト・レースウェイのピットは、その朝、とてものんびりとしていた。並んでいる 2台のマシン――世界耐久選手権(EWC)仕様のスズキGSX-R1000Rには、レースを戦うにふさわしい緊張感と力感がみなぎっている。新生チーム、ヨシムラSERTMotulのマシンである。 1台はカーボン地が剥き出しのカウル、そしてもう1台は赤と黒を基調としたヨシムラカラーにペイントされていた。2台ともがゼッケン1を誇らしげに掲げている。
EWCの19-20シーズンにおいて、SERT(スズキエンデュランスレーシングチーム)はチャンピオンの座に就いている。フランスを母体とした耐久チームだが、ヨシムラの技術的なサポートはタイトル獲得に大きく貢献した。 連覇を狙う今シーズンは、さらに日本からの支援を深める。スズキのファクトリーチームとしてヨシムラSERT Motulを立ち上げ、チームディレクターはヨシムラジャパンの加藤陽平さんが務める。 従来のように日仏混成チームではあるが、ヨシムラの役割、そして存在感はひときわ大きくなるのだ。
この日、今シーズン用のマシンに初めて火が入る。同チームとしてはキックオフにあたる、重要な1日だ。だが、ゼッケン1を付けた2台を取り巻く人々の間の空気は、意外なほど静かで、穏やかだった。 明るい日差しが降り注いでいるとはいえ、冬の朝のサーキットだ。凜と引き締まっていてもおかしくはない。だが、ピットはあくまでものんびりとしていた。
「今日はテストというより、完成検査ですからねえ」と、いつも通りに柔和な笑顔を浮かべながら、加藤陽平さんが言う。組み上がったばかりのマシンがきちんと作動するかどうかを確かめる、まさに検査のための走行だ。タイムを測り、セットアップを進めるような段階ではないから、穏やかな雰囲気に包まれていてもおかしくはない。 ライダーの渡辺一樹も、ごく自然に振る舞っている。スタッフと笑い合いながらポジションを確認する。張り詰めたところはない。レーシングスーツに着替えても、彼らしいニュートラルさはそのままだ。
午前10時になり、カラーリング済みのマシンのエンジンが掛けられるや、特に感動的な儀式めいたものや変わった様子もなく、あっさりとピットアウトしていった。……と思ったら、すぐにピットインしてくる。 「やばかったですよ!フッ飛ぶかと思った」と笑っている。コースは若干濡れている箇所があり、それに気付かずスリックタイヤでアクセルを開けてしまったのだ。
「危ない危ない。乾くにはもう少し時間がかかりそうですね」と、椅子に腰を下ろす。スタッフはあわてる様子もなく、落ち着いてやるべき作業をこなしていた。 昨年は、鈴鹿8耐が行われなかった。僕は20年以上にわたり、ほぼ毎年取材に出向いていた。鈴鹿8耐のレースウィークは水曜から鈴鹿サーキット入りし、日曜の夜遅くまで仕事をして、月曜の朝に帰る。取材者にとってもなかなの「耐久」だ。 だが、コロナ禍による中止では黙って受け入れるしかなく、寂しいとも哀しいとも思っていなかった。
いや、思っていないつもりだった。 あっさりとピットアウトしていく渡辺の背中を見つめながら、自分でも思いがけず胸がいっぱいになり、涙さえこぼれそうだった。「ああ、耐久レースっぽいな……」と感極まってしまったのだ。


真剣に、レースという生き方を楽しむ──その姿勢がピットの空気を心地よくしていた
ピットには、まったくと言っていいほどレースらしい緊張感はない。穏やかで、和やかで、たまに金属同士がぶつかり合う冷たい音が響くぐらいで、あとはふんわりと温かい笑い声が聞こえてくるばかりだ。 だが、そのことがかえって僕の胸を打った。
彼らにとって、レースは生きることそのものだ。レースをすることが何ら特別ではなく、呼吸をするようにレースをしている。そういう人たち――レーシングピープルたちがこの日本に存在していることに、僕はひどく感動していた。 レース関係者の間では、しばしばこんなことが語られる。
「同じ世界選手権でも、グランプリはレーシングビジネス、耐久レースはレーシングライフだ」と。 グランプリを拝金主義と感じる人の揶揄ではある。だが、1時間も経たずに勝敗が決するスプリントレースと、時には24時間を戦い抜く耐久レースの違いを、コンパクトに言い当ててもいる。 加藤さんはこんな風に言った。
「例えば24時間レースだと、転倒やトラブルなどのアクシデントがあっても、まだチャンスがあるんです。だからパフォーマンスを高めることはもちろんですが、転倒した時にいかに早く修復できるか、ということも考えてマシンを造っています」
一瞬のミスも許されないスプリントレース。ミスをあらかじめ想定しておく耐久レース。人生はたぶん、耐久レースのような幅とゆとりがあった方が生きやすい。 日本人は、とかくストイックに物事に取り組み、先鋭化させがちだ。鈴鹿8耐がそのいい例で、EWCのシリーズ戦の中では飛び抜けてペースが速い。
「スプリントレースを8回やっているようなもの」と言うエントラントもいるし、本場ヨーロッパから鈴鹿を訪れるチームは「これはもう耐久レースじゃないよ」 と肩をすくめる。ピットワークでさえ秒単位のロスが許されないのだ。 それもひとつの魅力だろう。
だが、人生はもう少しのんびりでもいい。そして人生のようにのんびりと楽しめるレースがあってもいい。 ヨシムラSERT Motulのシェイクダウンテストは、その後、渡辺が2台のマシンを代わる代わる走らせて、夕方に終了した。 何事もなく、空気感が変わることもなかった。のんびりと始まり、のんびりと終わったのだ。 気持ちいいな、と僕は思った。こんな風に自然に、滑らかにレースを生きる人々が日本にいることは、本当に気持ちいい。木漏れ日の中を通り抜けていく爽やかな風のようだ。そして、鈴鹿8耐で体感したあの風を思い出した。
以前、鈴鹿8耐を取材した時、ヨーロッパから参戦していたチームのピットに足を踏み入れた瞬間に、香水の香りが漂ってきて驚いたことがある。大きな扇風機の風に当たりながら、ワンピースを着た女性がペーパーバックをめくっていた。後れ毛が涼しげになびく様子を、汗だくの僕は唖然として眺めた。 エンジン音や人々のざわめきで喧しいピットにあって、そこはまったくの別世界の静けさとエレガントさだった。
女性がチームスタッフなのか、ライダーの恋人なのかは分からない。今となっては顔を思い出すこともできないが、率直に言ってあり得ないほど美しいシーンだったことは鮮烈に覚えている。 耐久レースが人生だとしたら、人生のあり方が根本から違うのではないか、と思わされた。
日本には日本の生き方があり、ヨーロッパにはヨーロッパの生き方がある。どちらがよいとも悪いとも言えない。だが、少しゆとりを持って、レースを、人生を楽しむという姿勢はあってもいい。 EWCのヨーロッパ戦をヨシムラがどう戦うかは、まだ分からない。ただ、2月3日の袖ケ浦フォレスト・レースウェイに吹いた風は、確かに心地よいものだった。 戦績ももちろん楽しみだが、彼らがEWCからどんな空気を持ち帰ってくれるかも楽しみにしている。




世界耐久選手権2021EWC向けて
第1戦 ル・マン24時間 フランス 4/17-18(※中止) 第2戦 オッシャスレーベン ドイツ 5/23 第3戦 鈴鹿8時間 日本 7/18 第4戦 ボルドール24時間 フランス 9/18 – 19 第5戦 エストリル12時間 ポルトガル 10/16
乗りやすいだけでは勝つことはできない ヨシムラ SERT Motul ライダー 渡辺一樹

ヨシムラカラーが新たなアイコンになるように ヨシムラ SERT Motul チームディレクター 加藤陽平

ヨシムラ参入でEWCはさらにレベルアップする 特別試乗 青木宣篤

昨シーズン、SERTは確かにチャンピオンを獲得しましたが、決して速いマシンではなかった。今年はスズキファクトリーとなり、ヨシムラとの連携がより強まることで、鈴鹿8耐のようにスプリントマシンに比する速さを得ているようです。強さに加えて速さを備えたヨシムラ SERT Motulが打って出ることで、EWCのレベルはひときわ上がるでしょう。レースのレベルが上がればEWCもいっそうの盛り上がりに期待できます。私自身、鈴鹿8耐への参戦を続けていますが、耐久レースは本当に面白い。特にEWCの長丁場レースは監督の采配がものを言い、スプリントとはまったく違った要素で勝敗が決まります。ぜひ日本のファンの皆さんにも注目してもらいたいですね!