1. HOME
  2. COLUMN
  3. モーターサイクルライフ
  4. Motorcycle Life 世界GP125チャンピオンライダー『青木治親』の新たな挑戦

Motorcycle Life 世界GP125チャンピオンライダー『青木治親』の新たな挑戦

バイクがあるから超えられる障がい者と健常者の壁 [caption id="attachment_702719" align="alignnone" width="900"] 世界GP125クラスチャンピオン・オートレーサー
青木治親さん
バイクが好きだから世界に出て、バイクが好きだから走る場所を変えた
バイクが好きで、もっと皆んなで楽しみたいから、障がい者の支援活動を始めた
周りを笑顔にする青木治親さんのバイク人生。もちろん本人も笑っている[/caption]

全ての行動の原動力はただバイクが好きだから

レースファンであれば、青木治親さんを知らない者はいないだろう。青木三兄弟の三男、本誌ではお馴染みの青木宣篤さんの弟だ。「青木さん」がカブるので、ここは「ハルチカさん」とお呼びしたい。そのハルチカさんは、WGP125㏄クラスの世界チャンピオン経験者だ。 WGPの時代から、現在のモトGPに至るまで、幾人もの日本人世界チャンピオンが誕生している。だが、ハルチカさんが残した実績は飛び抜けている。ただでさえ手にするのが難しい世界の王座を、2年連続で獲得しているのだ。獲得回数で言えば、同じ125㏄クラスで坂田和人さんが並んではいる。けれど、連続で達成したのは、現時点ではハルチカさん一人だけだ。 ハルチカさんの、現在の肩書きはオートレーサー。バイクを使った公営競技である、オートレースのプロライダーを務めている。ロードレースの世界からオートレースに転向したのは2003年。成績不振によりシートを失い、止む無く進む道を変えたわけではない。二十代も半ばを過ぎたばかり、レーシングライダーとして脂の乗り切った年頃で、多くのチームからオファーはあったという。そんな中でのオートレースへの転向は、ファンにしてみれば裏切りにも思えたものだ。世界チャンピオンにまでなりながら、ロードレースから離れるのか? と。 「ずっとライダーとして生きていきたいと考えていました。GPは素晴らしい舞台ですけど、選手生命は短いですよね? オートレースは年齢が上がっても戦えるんです。70代の選手が現役で活躍していますからね。ずっとバイクで食っていくなら、オートレースだって考えたんです」 バイクが好きだから、バイクと共に生涯を送るための選択だったのだ。そう聞くと、なんとも嬉しくなってくる。世界チャンピオンが、こんなにバイクを愛しているなんて! [caption id="attachment_702720" align="alignnone" width="900"] 青木治親さん
1976年生まれ、群馬県出身。6歳からバイクに乗り始める。ホームコースとしていた榛名サーキットで圧倒的な勝利を稼ぎ出し「榛名の青木三兄弟」として注目を浴びる。16歳でロードレースデビュー、同年鈴鹿4耐を制覇、国際ライセンスに特別昇格。翌1993年、WGP125ccクラスに参戦を開始。1995~1996年の2年連続で、同クラス世界チャンピオンを獲得。WGP250cc、WGP500cc、SBKを経て、2003年にオートレーサーに転身。2005年には鈴鹿8耐に参戦しクラス優勝。現在、川口オートに所属しオートレーサーとして活躍中[/caption] [caption id="attachment_702718" align="alignnone" width="900"] 17歳でWGPにフル参戦を開始。当初は日本のチームに所属、1995年にオランダのアリー・モレナー・レーシングに移籍し、ホンダRS125を駆り全13戦中7戦で優勝するという圧倒的な強さで王座を獲得。翌1996年も連覇、日本人で唯一の2年連続WGPチャンピオンだ[/caption] ところで皆さんは、オートレースという競技をどれくらい知っているだろうか? 多くの人は、ハルチカさんならオートレースでも勝ちまくっているだろうと想像しがちではないか? 現役のオートレーサーは400人ほど。戦績で全ての選手にランキングが付き、その順位によって上からS級、A級、B級にクラス分けされている。現在ハルチカさんはA級にランキング。世界チャンピオンをもってしても、簡単には勝てないのがオートレースなのだ。 「今までの最高ランクはS級で7位くらいです。オートレースのバイクは、フレームもエンジンもタイヤも全て共通でファイナルも固定。マシンの性能的な違いは、誤差の範囲です。リアサスペンションもブレーキもありませんし、手を加えられるのはキャブセッティングとバルブタイミング、タペットをいじってバルブの突き出し量を変えるくらい。セッティングの幅がとても狭いんです。 以前は、フレームはかなり自由にいじれたんです。その頃は今より勝てていた。共通フレームのレギュレーションになってから苦戦しています。ロードレースはマシンをセッティングして、自分の走りに合わせて仕上げていきますが、オートレースはライダーがマシンに合わせる乗り方が求められる側面が強いですね」 コースは全長500mのオーバル。周回数は、6周か長くても8周。レースタイムは3分に満たない。乗り手のテクニックはもちろん、仔細なマシンの差、勝負駆け引き等々、わずかな時間の中に膨大な要素が詰め込まれている。密度の濃い競技だ。 オートレースにオフシーズンはない。多忙な生活を送るハルチカさんだが、プライベートを投げ打ち熱中していることがある。それは、半身不随の障がい者の人にバイクで走る楽しさを味わってもらう活動、サイドスタンドプロジェクト(SSP)だ。 「モトGPの併催イベントで、半身不随の人がバイクでレースをする映像を観たんです。衝撃でした。その夜、ベッドに入っても、そのことが頭から離れない。タクちゃんも、もう一度バイクに乗れるんじゃないか? って」 タクちゃんとは青木三兄弟の次男、青木拓磨さん。拓磨さんは、WGP500㏄クラスに参戦していた時、シーズン前のテストで転倒、半身不随の障がいを負ってしまった。四輪のレースやラリーに出場、バイクレースを主催するなど、しっかりと社会復帰を果たしてはいるが、バイクで走ることは叶わなかった。いや、叶わないと思われていたのだ。 「夜中に飛び起きて資料を作り、兄貴(宣篤さん)に送りました。兄貴もすぐにやってみようって。いろいろと下準備をしてからタクちゃんに伝えたんです。バイクに乗らないか? って。そうしたら、『乗るよ、乗れるよ。言ってくるのが遅いんだよ』って言われました(笑)」 それが19年の鈴鹿8耐での、拓磨さんの走行に繋がっていく。CBR1000RRで鈴鹿サーキットを駆け抜ける拓磨さんの姿は、驚きとともに大きな感動を呼んだ。同年のモトGPツインリンクもてぎ大会では、三兄弟揃っての走行も実現した。 「タクちゃんの復活は8耐とGPじゃなきゃダメだって決めていました。あと、三人で走ることも。レースあっての青木三兄弟ですから。タクちゃんがバイクで怪我をしたのに、その後も自分と兄貴はバイクの世界で生きてきました。どこか後ろめたさみたいなものを感じていたんです。三人でもてぎを走れた時は、嬉しかったですね。タクちゃんがバイクで走ったことで、障がい者の皆さんに諦めないで頑張ろうというメッセージを送ることもできたと思います」 [caption id="attachment_702716" align="alignnone" width="900"] 3月に袖ケ浦フォレスト・レースウェイで開催されたパラモトライダー体験走行会には、バイク乗りの国会議員で結成された「バイカーズ議連」のメンバーが視察に訪れた[/caption] [caption id="attachment_702721" align="alignnone" width="900"] パラモトライダーの練習を手助けするハルチカさん。体験走行会では全体の進行を管理するだけでなく、自ら先頭に立ち動き続ける。疲れないはずはないが、常に笑顔を浮かべていたのが印象的[/caption] [caption id="attachment_702722" align="alignnone" width="900"] 宣篤さんもSSP発起人の一人、主にコース走行時の先導を担当する[/caption] [caption id="attachment_702723" align="alignnone" width="900"] CBR1000RR-Rで走行する拓磨さんは、車椅子生活を送っている人とは思えないスピードだ[/caption] [caption id="attachment_702724" align="alignnone" width="900"] パラモトライダーが練習に使う補助輪付きバイク。シフト操作は機械化され、手元のスイッチで行えるように改造されている。写真上は車体をバンクさせられるコーナリング練習用の車両。下は補助輪が直進用に固定された発進と停止の練習用車両。[/caption] [caption id="attachment_702725" align="alignnone" width="900"] 自転車のような見慣れない乗り物は、上半身の使い方を練習するために作られたもの。パラモトライダーの意見を取り入れて、ハルチカさんが考案した。体験しているのは横澤高徳参議院議員。かつてモトクロス国際A級ライダーとして活躍、練習中の事故で下半身不随の怪我を負っている。後ろから補助しているのは拓磨さん[/caption] その反響はハルチカさんの予想を超えていた。どうしたら半身不随の障がい者がバイクに乗れるのか?との問い合わせが全国から殺到した。 「最初は、タクちゃんがバイクで走れればいいとだけ考えていた。でも、世の中にはバイクに乗りたいと望む障がい者の人が、多くいることを知りました。そういう人が、タクちゃんの真似をして事故が起きることが怖かった。バイクが悪者にされてしまいますから。障がい者がバイクで走るためのノウハウも、ある程度蓄積できていましたし、障がい者の皆さんがバイクを楽しめる環境作りを考えたんです」

出来ることは限られています でも、今は実績作りが大切 SSPの活動を多くの人に知って欲しい

ハルチカさんは一般社団法人SSPを立ち上げる。事業内容はバイクを通じての社会貢献、具体的には障がいでバイクを諦めている人のサポート。SSPでは、これまでパラモトライダー体験走行会を7回開催。のべ11人のパラモトライダーが、バイクで走る夢を実現させた。 「バイクって中毒性がありますよね。バイクで走ることでしか得られない快感がある。それは健常者でも障がい者でも変わりません、同じ目線で楽しめる。ですが障がい者の方がバイクに乗るには、介助が必要です。皆さん、それが解っているから、自分からは言い出し辛い。SSPの活動は、健常者が障がい者を手助けするというより、皆でバイクを楽しもうというスタンスです。周りが、ちょっと手伝いさえすれば、一度は諦めたバイクの楽しさを感じられる。 箱根のターンパイクって、貸し切りできますよね。あそこでパラモトライダーと健常者が一緒に走るツーリングをやりたい。あのコーナーがどうだったとか、このマシンはココがイイとか悪いとか、バイク話で盛り上がれたらイイですね。きっと楽しいですよ」 [caption id="attachment_702726" align="alignnone" width="900"] ハルチカさんは、SSPで使用するバイクの製作と整備を自ら行っている。ハルチカさんと会話しているのは、SSPメンバーの菅原公一さん。パラモトライダー用バイクのパーツ製作のほとんどを担当、ハルチカさんのアイデアを形にするために欠かせない人物[/caption] [caption id="attachment_702727" align="alignnone" width="900"] ハルチカさんは、趣味としてバイクを楽しんでいる。このトライアルマシンも、トレーニング用ではなく遊ぶために手に入れたもの。最近は、悪路どころか道のない場所を走って頂を目指す、アタックツーリング的なバイク遊びにハマっている[/caption] SSPのサポーターになろう! https://ssp.ne.jp/ [caption id="attachment_702728" align="alignnone" width="900"] SSPは体験走行会の参加者から、費用を一切取っていない。運営はボランティアの善意に、物資や資金の面では協賛企業の協力に助けられている状態だ。活動の継続と規模拡大を目指し、SSPでは個人サポーターを募集中。ロゴ入りキャップは、サポーター特典のひとつ。詳しくはSSPのWebページで確認[/caption]]]>

関連記事