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世界GPのサーキットに対応した伊藤真一さんのライディング【熱狂バイククロニクル】

イラストレーター松屋正蔵が描く熱狂バイククロニクル

あれは朝から雨が降る筑波サーキットでのレースで起こった事故でした。87年だったか88年だったか、全日本かジュニアGP(当時あったレース)で、その日最初のレースで起きた事故でした。 

僕らグループが観ていたのが1コーナー寄りのスタンド席の最上段。結構激しい雨の中、レースは順調にラップを重ねていました。 

中段グループあたりを走る1台が最終コーナー立ち上がりで雨に足元をすくわれハイサイドを起こしました。マシンはホームストレートをライダーとわずかに距離を保って滑り、僕らの目の前を右から左に滑走して行ったのです。 

マシンは上手くアウト側グリーンで止まりました。でもライダーはコースに残る格好に。ちょうどアウト側のホワイトラインより内側に止まったのです……。 

目前での転倒で、アワアワしながら後続がどうなるのか注視していました。中段グループでの転倒であったため、まだまだ後続には多くのマシンが連なっています。すると、3台のマシンが横一列になって最終コーナーを立ち上がって来ました!

「これは避けれるのか!」 

3台中、アウト側のライダーはグリーン寄りに逃げ、イン側のライダーはコースのイン寄りに逃げたのです。しかし、中央にいたライダーにはかわすラインが無かった……。 

悲しい事故になってしまいました。僕らがいた1コーナースタンド席にいた観客達は、この事故を目撃してしまったわけです。 こんな話しをして気分を悪くされた読者さま方、申し訳ございません。しかし、これにはワケがございます。お許し下さいませ。 

この悲しい事故に遭ってしまったのはK選手でした。実を申しますと、今回取り上げました伊藤真一さんのチームメイトだったのです。 

僕がレースを観るに際し、真摯な気持ちで真剣に、必死に、レーサーの方々の気持ちになってレースを観ろ! と教えてくれた出来事でした。 

そんな僕の人生を揺るがす衝撃的な出来事でしたから、伊藤さんには不思議な縁を感じていたのです。 

そしてさらに伊藤さんとの不思議な縁を感じる展開が起きました。なんと伊藤さんの引退記念に作られた写真集に、松屋正蔵のイラストをご提供できることとなったのでした。 

そんな伊藤さんですからデビュー当時から注目していました。 

伊藤さんは88年に国際A級に昇格、いきなりホンダ契約となり全日本GP500にフル参戦。NSR500に乗ることとなりました。まさにシンデレラボーイストーリーの始まりだったのです。 

90年には、それまでV3を達成していたヤマハの藤原さんを下し、全日本チャンピオンになりました。4年間の全日本時代を経て、93〜96年までの4年間は世界GPのG P 5 00にフル参戦しました。 

伊藤さんのことはデビュー当時から応援していましたから、色々と研究もしていました。

88年の全日本GP500に乗り始めた頃の伊藤さんは、外足でマシンをホールドし上半身は立ち気味で、あまり上手くマシンに体重を預けきらない印象でした。このシーズンに駆った87年型NSR500は、ガードナーさんが前のシーズンを快走して世界チャンピオンにもなったマシンだったことも、始めてGP500マシンを駆る上ではついていたと思っていました。 

4年間、全日本GP500を走った経験値もあったと思いますが、世界GPにフル参戦した93年では、外足に自然と体重が乗るポジションで乗れており、上半身はやや伏せが強くなった印象でしたが、頭はマシンセンターをキープして、無駄無く綺麗なライディングフォームへと進化していました。 

2スト時代は立ち上がり時のハイサイド転倒が頻繁に起こっていましたが、チャンピオンを狙えるトップライダーの共通点は外足ステップへの加重の仕方でした。リアタイヤがスリップしアウト側に滑るのを、ライダーが外側ステップに体重を載せる事でハイサイドを防いでいました。 

体重を外足に載せるために、ライダーは頭の位置をマシンのセンターから、アウト側にもって行く事で対応していました。その際の外足の足首は90度程で固定した感じ。土踏まずをステップに載せ、ライダーの体重を預けてハイサイドを防いでいるようでした。 

そうした意味では伊藤さんの外足は、ステップに土踏まずを載せてつま先が下に下がっていました。その部分が他のライダーとの違いではありました。

【左:1988年 全日本GP500 NSR500】国際A級に昇格した直後に乗っていた、全日本GP500のNSR500では、上半身がやや立ち気味で、イン側のヒザは路面に向けて下方向に出され、外足のつま先は下に向いていました。【右:1993年 世界GP NSR500】世界GPのサーキットは路面が滑りやすいため、頭はセンターに寄せ、やや伏せ気味。イン側のヒザは路面にタッチすると避けれるように横に出し、外足のつま先は下に向かっていました。

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