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パドックから見たコンチネンタルサーカス【違和感の正体】

’81年から国内外の二輪、四輪レースを撮影し続ける折原弘之が、パドックで実際に見て、聞いたインサイドストーリーをご紹介。今月は、ホンダに移籍したロレンソに感じた、ライディングの変化について。

【ホルヘ・ロレンソ】
’87年、スペイン生まれ。史上最年少の15歳と1日でGP125ccクラスデビュー。’06~’07年に250ccクラスを制し、’08年、MotoGPクラスにヤマハファクトリーから参戦。最高峰クラスで3度、世界王者を獲得した。

違和感の正体

「ロレンソがホンダに行った時期が悪かったんだよ。あの時代のホンダはマルケスに合わせてフレームを作ってたから、フレームがガチガチで他のライダーには乗れなかったでしょ。フレームはある程度捻れることで曲がったり加速したりするんだよ。それが使えなかったら、怖くて走れないでしょ。だって、あのスピードの中で、マシンが思ったように動いてくれないんだから」 

これはロレンソがホンダに行って、なぜ成績を出せなかったのか? という質問に対する青木宣篤さんの言葉。そして原田哲也さんはこう言う。「あの頃のホンダは、車高が低過ぎた。だからサスペンションのストロークが短くて、ピッチングが使えなかったんじゃないかな。フロントフォークを縮めてフロントを接地させて曲げるんだけどそれができなかった。あの頃のホンダのライダーは、フロントを滑らせての転倒が多かったでしょ。あれはストロークが短くて、フロントに荷重がかからなかったからなんだよ。もちろんそれだけじゃないけど、ホルヘに関してはそういう事なんだと思うよ」 

と話してくれた。 僕がなぜこんな話を持ち出したかというと、2019年のロレンソの写真を見て違和感を覚え、その正体を知りたかったからだ。 

19年にホンダに移籍したロレンソ。僕はロレンソがマルケスと同じマシンに乗り、ガチンコ対決が見られると期待していた。ところがその年のロレンソは、優勝はおろか、トップ10フィニッシュすらおぼつかない。あれほど速かったライダーが、ここまで低迷するなんて信じられなかった。いったいロレンソに何が起こっているのか、この目で確かめたくて、もてぎラウンドに撮影に行かせてもらった。 

そこで見たロレンソは、僕の知っているロレンソとは全くの別人だった。そのライディングからは、覇気も闘争心も感じられなかった。当然タイムも成績も、ファクトリーライダーのそれとは思えないものだった。数字もそうなのだが、撮影している間も違和感を覚えたので、後日ヤマハ時代の写真と見比べてみた。そこには、僕の感じていた違和感の正体が写っていた。 

2枚の写真を見比べて欲しい。ヤマハ時代とホンダに乗っている時の写真だ。一見すると、どちらも肘まで擦りそうなほどバンクしているし問題ないように見える。ただ、僕が違和感を覚えたのは左手だ。ヤマハに乗っている時は、ほぼグリップを握っていないほどだ。ところがホンダのマシンに乗っている時は、しっかりと握られている。 

これは、ライディングポジションが違うとか、マシンのディメンションが違うといった話ではない。見た目には小さな違いかもしれないが、マシンを信用しているかいないか。ロレンソの気持ちが、グリップに現れたのではないだろうか。もし僕の考えた通りなら、彼のライディングから感じた闘争心の無さも説明がつく。究極の戦いの中で、信用できないマシンに体を預けられるわけがない。その綻びが左手に現れたのだ。 

結局、このシーズンの途中でロレンソは引退を発表してしまった。おそらくホンダのマシンに、自分をフィットさせることができないと判断したのだろう。しかもマルク・マルケスという絶対的なエースがいる限り、自分の主張が通らないと判断したのではないだろうか。 

冒頭に書いた通り、物理的に起こっていることは二人の元GPライダーの言う通りなのだろう。戦えないマシンで生き残れるほど、甘い世界ではないことは側から見ていてもわかる話だ。 

引退はロレンソにとっても大英断だったと思う。レースの世界は、速いマシンに速いライダーを乗せれば勝てるというものでは無い。言葉としては理解できる。だがワールドチャンピオンを獲ったほどのライダーでも、越えられない壁があるのかと思うと、頂は遥かに遠いのだとあらためて痛感させられる。

僕がファインダーを通して感じた違和感は、思ったより深く深刻なものだったのだ。

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