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熱狂バイククロニクル|清水雅広さんと岡田忠之さんの激闘

「速い! とにかく速い!」

’87年シーズン、新たに全日本に味の素TERRAホンダチームが発足し、エースライダーとしてはチャンピオン経験もある小林大選手。そして清水雅広選手がそれに備えるカタチで、このシーズンは始まりました。ちょうどこの年から、日本GPとして鈴鹿サーキットにて世界GPが再開されるという、記念すべきシーズンでもありました。

そして全日本が始まってみれば、清水さんの快進撃が続く続く!「誰が清水を止めるのか!」の言葉すら囁かれたほどでした。

’87年の筑波での清水さんは驚異的な速さを発揮し、オープニングから1周で1秒ずつ、2位以下のライダーを引き離してしまいました。正に“別次元”の速さだった事が伺えました。1周2キロの筑波で1秒差でしたから、1周6キロの鈴鹿ならば3秒差となる! なんていう話もありました。

僕は関東圏の住まいなので、全日本を観に行く場合は、ほぼ筑波サーキットでのレース観戦となっていました。’87年の全日本は全11戦で、その内の5戦が筑波開催でしたから、観る側も忙しいシーズンとなりました。いつも数人の友人を誘って観に行っていました。

毎回、真夜中の首都高を、眠い目をこすりながら筑波サーキットに向かいました。ゲートオープン前にはサーキットの駐車場に入り、ゲートが開くと皆でスタンド席に走り、全員分の最上段席をゲットしました。ここまで出来れば後はレースが始まるまで寝て待つ訳です。

レースが始まれば最上段席ですから、後ろに人がおらず誰に遠慮する必要も無く席の上に立てますから、ダンロップ下あたりから最終コーナーまでよく観えました。ゲートオープンから5分ほどで、その日のレース観戦の居心地が決まるわけですから、必死で走りました。観客達のレースは、この朝イチに起こっていたというわけです。

話を本題に戻します。僕の中にベストレースと呼べるレースがいくつかあります。そのひとつが今回のイラスト、‘89年の全日本最終戦、MFJグランプリ筑波大会でのGP250クラスでした!

最終戦ということもあり、シリーズチャンピオンも掛かったレースに、世界GP帰りの速い選手が混じるのですから、「GP帰りが速いのか!全日本を1シーズン走ったライダーが速いのか!」と、いつもの2倍の楽しみがありました。当時の全日本には多くの世界GPライダーが参戦していましたから、現在と比べると実に贅沢なレース環境と言える状況でした。

鈴鹿の日本グランプリでは、ワイン・ガードナーさんを始め、フレディ・スペンサーさんなど多くのGPライダーが出場。菅生のTBCビッグロードレースには、ヤマハ系のケニー・ロバーツさんの他、バリー・シーンさん、エディ・ローソンさん、ウェイン・レイニーさん、ケビン・シュワンツさんらも参戦。富士スピードウェイでのスーパースプリントレースでは、各メーカーのエース級ライダーがこぞってエントリーしていました。

そして筑波のMFJグランプリにもファン・ガリガさんやニール・マッケンジーさんらが参戦してくれました。

そして今回取り上げるのが、清水雅広さんと岡田忠之さんの真っ向勝負です!

清水雅広|岡田忠之

このレースは岡田さんの初の全日本チャンピオンがかかった大事なレースでした。そこに現れたのがGP帰りの清水雅広さんなのですから、レースファンとすれば「どちらが速いんだ!」となるワケですね。

筑波サーキットの各スタンド席が超満員状態の中、GP250のレースが始まりました。やる気、勝つ気満々でポールポジションスタートの岡田さんがホールショットを決めてグイグイ逃げる中、スタートで出遅れた清水さんがそれを追うカタチでレースが始まりました。

清水さんはダリル・ビィーティーさんをかわしながら、逃げる岡田さんを追います。3秒前後の差をみるみる詰めていく清水さんは、とうとう岡田さんのテールを捉えることに成功します。

そして数周回、岡田さんの走りを観察した清水さんがとうとうトップへと上がります。観客席から観ていても、岡田さんはゼブラゾーンを目一杯使って走るのに対して、清水さんは小回りで向き変えしますからライン的には余裕を感じる走りです!

追い付くスピードを持っている清水さんでしたから、アベレージスピードは段違いで速いはずなのですが、この後の岡田さんがすごかった。なんと清水さんのテールから離れないのです! 走りを変えたのだと思います。

そしてレース終盤には再び清水さんをかわしトップ浮上! 最終ラップの最終コーナーで一度は清水さんにインを刺されはしましたが、清水さんがアウトにはらんだ隙を付いて差し返し、世界GPシリーズランキング6位だった清水さんに黒星を付けたのでした。そして全日本チャンピオンも手中に収めたのでした。

もう観客席は大盛り上がりで、悲鳴すらも上がる結末となりました。

このレースは地上波テレビでも流されたので、レースを知らない方々も観てくれたかも知れないと期待もしました。

清水さんはこのレースでは残念ながら敗戦を期しましたが、当時の世界GP250には世界中から手練れの選手が集まっており、その中での一桁順位、6位の成績は素晴らしいものでした。

さて、清水さんのライディングフォームの特徴は、当時のホンダライダーの典型という印象。ハングオフ姿勢で腰は後ろに引き気味で、結果、外足は綺麗にマシンのサイドカウルに寄り添う状態でした。リアステアとも言えると思います。世界GPのトップライダーと同様に、アウト側ステップにはブーツの土踏まずで加重していたので、つま先は外側にピョコンと向いていました。

そして清水さんは強い気持ちで乗っているようで、頭はイン側に傾き「曲がれ!」と念じるようにインに入り、さらに下を向く、うつむくような傾向がありました。これも清水さんの特徴的なフォームでした。

清水さんとは個人的にお会いした事があり、その際に思い切って「頭を下げうつむいてコーナリングしていますが、あれで前は見えているのですか?」とお聞きしたのですが「前が見えていないと危ないですよ!」とお答え頂きました。それはそうですね! と笑いながらも、失礼な事を聞いてしまったと、反省しきりでした……。

清水さんも岡田さんも、筑波マイスター的な速さを持っていたので、さらに突っ込んだ質問をしました。「1コーナーへの進入の際に頭をイン側にクイクイクイと振りながら、リアタイヤがアウト側に降り出されていましたが、この時は何をされているのですか?」とお聞きしたところ「僕は他のライダーよりリアブレーキを多用するので、その際に向き変えしていました」とお答え頂きました。

今のようにフロントブレーキを強くかけて、リアから荷重を抜き後輪を振り出すのとは違って、リアタイヤを食わせながら、マシンを若干バンクさせ、後輪を流していたワケです。ですからリアタイヤにはグリップが残っているので、強い加速も出来たのだろう、と考えています。

当時、世界GPで日本人ライダー旋風が起こる少し前の時期での活躍でしたから、今から考えても凄い成績だったと思っています。 本当にカッコ良い選手でした!

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