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熱狂バイククロニクル|常識外れだったニールマッケンジーのフォーム

「新沼謙治……にーぬま・けんじー……ニール・マッケンジー!」と、当時、元アナウンサーのタレントさんが、番組中にふざけて叫んだ事から、国内のレースファンからニール・マッケンジーさんは、歌手の新沼謙治の名で呼ばれるようになってしまいました。 

それはさておき、僕が最初にマッケンジーさんの存在を知ったのは、イラストに描いた’86年のこと。緑×白の噛みタバコメーカー・スコールバンディットカラーのスズキRGΓ500を駆る、手足が細くて長い細身のイギリス人という情報でした。その頃はテレビ放送は無かったので、『グランプリイラストレイテッド』という月刊誌からの情報です。 

ちなみにこの’86年シーズンは、エディ・ローソンさんが2度目のチャンピオンに輝き、ワイン・ガードナーさんが怪我で走れないフレディ・スペンサーさんの代わりとして、ホンダのエース格となりローソンさんと闘ったシーズンでした。 

そんな中、250ccクラスにトリコロールカラーのアームストロングからフル参戦していたマッケンジーさんは、シーズン終盤の残り3戦というタイミングで500ccクラスにステップアップする急展開となっていました。そこで彼は、ヤマハ、ホンダと比べると型落ちだったスズキRGΓ500(V型エンジンのR GV-Γ500に変わる直前のタイミングでした)を駆って上位に顔を出します。3戦を1桁順位で走り切り、’86年は年間ランキング10位になってみせ、その速さをアピールすることに成功したのでした。 

この年はローソンさんがチャンピオンでありながら、GPパドック内での話題はマッケンジーさんに集まっていきました。 

そして迎えた’87年シーズンのマッケンジーさんは、何と! いきなりワークスチームであるHRC入りし、アーブ・カネモトさんのチームから、黄色のHBカラーのNSR500を駆ります。マッケンジーさんは一気にGPライダーとしてトップに上り詰めたのでした。まさにシンデレラボーイの誕生です。 

’87年シーズンの世界GP初戦は、16年振りの日本開催となった鈴鹿サーキットでした。その開幕に先立ち、世界GPの前哨戦とも言われた全日本の開幕戦「BIG2&4」に参戦したマッケンジーさんは、予選、決勝レースでぶっち切りの速さを日本人ファンに見せ付けていました! 

その活躍に続く世界GP開幕戦。予選ではやはり、ローソンさん、ガードナーさんを寄せ付けずポールポジションを奪取してみせました。しかし、この年の鈴鹿は決勝レースが雨となり、マッケンジーさんはリタイアとなりました。 

そんな開幕戦の結果でしたが「世界GPの本場ヨーロッパに戻れば、再びマッケンジーさんの速さが際立つはず!」と期待していました。しかし現実にはそうはならず、このシーズンを5位で終えることとなりました。 

’88年シーズンも同じ体制で走りはしましたが、目立った結果は出せず、このシーズン限りでホンダからは離れることになってしまいました。その後は、ヤマハ、スズキとメーカー、チームを渡り歩き、’93年にワークスチームのシートを失いました。 

当時「ヨーロッパ出身の選手は、世界GPに席を置くことで安心してしまうことがあり、勝敗に対する意欲が弱くなる選手がいる」とも聞きましたから、マッケンジーさんもそういうライダーだったのかな? とチラッと思ったりもしました……。 

これまでマッケンジーさんのライディングテクニックについては、ほとんど語られることは無かったような気がしています。そうなると動画や、色々な角度から写された写真からの解析に頼らざるをえません。 

絵のデッサンをしていると「あれ! 何でフォームが変わったの?」などと気付く事が多々ありまして、そうなるとビデオを観てチェック、研究に勤しむわけです。 マッケンジーさんの場合、まず目立つのは、両ヒジを横に張り出しているところ。それとアウト側のヒザ頭が外を向いて突出しているところです。 

両ヒジが張り出しているということは、ハンドルの開き角が大きいということになります。ですがアメリカンライダーのように、ハンドル位置が高いわけではありません。両手の位置は低いところにあり、ハンドルの垂れ角は大きいように見えます。ハンドルの位置は低いまま、開いているということは、マッケンジーさんは独特なセットになっていたと考えられます。 

また、コーナリング中の、外足のヒザの開き具合についてですが、これは「前乗り」と言われる乗り方の特徴が見られました。 

ライダーは前方に座るため、燃料タンクに腰を押し付けることになるので、外足ヒザの行き場が無くなりタンクから離れ、ヒザが開いた状態となります。反対に外足のヒザがピタリとマシンの側面に沿っているのは「リア乗り」の特徴です。 

両者の違いですが、「前乗り」はフロントタイヤを頼りにマシンを曲げる乗り方。「リア乗り」はリアタイヤを使う乗り方と言え、アクセルワークを駆使し、リアタイヤを自在に滑らせて曲がる方法でもあり、パワースライドがそれに当たります。 

このリアタイヤを滑らせながら、向き変え+加速をするライダーには特徴があって、外足ステップに自分の体重を充分に載せるため、土踏まずでステップを踏み、カカトに体重を載せます。そのため、ドゥーハンさんやシュワンツさんのようなリーンアウト気味のフォームとなります。 

一方、ステップをつま先で踏むと、足首が動いて体重が逃げてしまいます。この際、外足に充分に体重が載るとカカトが下がり、爪先が「ピョコン!」と外側に開くようになります。マッケンジーさんのライディングフォームは前乗りのイメージなので、やはり外足の爪先は閉じ気味で下に向いています。しかし、リア乗りの特徴であるパワースライドで曲がっているのです。 

プロライダーのライディングフォームを見る場合、僕はまずコーナリングに入る直前から、コーナリング中にフロントタイヤがどれだけ内向(セルフステア)しているのかを観ています。マッケンジーさんの場合は、あまりフロントが内向している画像が無いので、前後輪を滑らせながら向き変えをしているように感じます。 

その場合、フロントは外に向くアンダー傾向が出ている(カウンターが当たっている)と考えられます。それにバンク角も非常に深いので、コーナリングスピードも速いとも考えられます。 

タイプ的にはフレディ・スペンサーさんやケビンシュワンツさんに近いのでは? と思うわけです。前乗りでありながら、向き変えはアクセルコントロールでしているということになりますね。僕の中では矛盾を感じます……。ですが、そう見えるのだから、そのように理解しております。いつか、ご本人にお聞きしてみたいですね!

1987年シーズンはHRC入りし、HBカラーのNS500を駆った
1987年シーズンはHRC入りし、HBカラーのNS500を駆った
双方とも1986年シーズンに駆ったマシン。前半戦はGP250クラスで走り、後半戦の3戦をGP500クラスで走って活躍した
双方とも1986年シーズンに駆ったマシン。前半戦はGP250クラスで走り、後半戦の3戦をGP500クラスで走って活躍した

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