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【Ninja×中野真矢 Special Column:Ninjaという名の重さ】今振り返る、歴史を背負って戦った日々

誕生して40年、世界中のライダーに愛されてきたNinjaを冠するマシン。その名に強い思い入れを持つ人は数多いが、実は中野真矢さんもその一人。カワサキのプライド“Ninja”を駆り戦った日々を、思い返してもらった。

【中野真矢】全日本GP250チャンピオンを経て、WGP250、WGP500、MotoGP、SBKで活躍。本誌をはじめ各メディアで活動。バイクアパレルブランド’56design代表
PHOTO/S.MAYUMI , K.ASAKURA TEXT/K.ASAKURA
取材協力/カワサキモータースジャパン
TEL0120-400819 https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp/

ワークスライダーとして〝ニンジャ〞を背負う重圧

Ninjaの40周年記念モデルが発表されました。トップガンカラーのNinja1000SXと、’80年代末から’90年代前半のカワサキワークスマシンをイメージさせるカラーリングのNinjaZX-Rシリーズの3台。どれも、カワサキの歴史に名前を残す、マイルストーン的存在のマシンばかりです。 

ですが正直なところ、僕自身はモチーフとなったマシン達と、直接的に関わった経験はありません。初代NinjaことGPZ900Rが登場した頃は、まだ小学生の低学年。レースは始めていましたが、バイクとの関わりはサーキットがすべてで、とにかくバイク=レース。市販車とは無縁の世界に生きていました。映画トップガンもリアルタイムで観た記憶はありません。後追いで視聴して〝これがNinjaか〞とは思いましたが、実をいえばドッグファイトシーンの方に惹きつけられていました。〝行けえっ! マーヴェリック〞って感じです。

’80年代末からの、カワサキワークスマシンの活躍は当然知ってはいました。ロードレースを走り始めた頃ですし、ZXR-7は強かったですからね。ですが、WGPを目指して2ストロークの純レーサーしか頭にありませんでしたから、あまり興味がなかったというのが本音です。むしろ、先輩方が街乗りで使っていたZXR400の方が、カラーのイメージが強いくらいです。ライムグリーン、ブルー、ホワイトのカワサキ・トリコロールのバイクが、たくさん走っていましたよね。 

カワサキを意識したのは、その後のことですね。自分が全日本でトップを走れるようになり、世界に出て行った時期に、柳川さん(柳川 明選手。長くカワサキのエースライダーを務め、現在も、スポットで全日本や8耐などに、カワサキ車で参戦)がSBKで活躍していましたから。同じ時代に世界で戦っていた日本人ライダーとして、仲間意識もありました。ミスター・カワサキといえばキヨさん(清原明彦氏。カワサキプラザ神戸兵庫の運営会社プロショップキヨ代表 カワサキのテストライダーとしてH2やZの開発に関わり、レースでも活躍。ファクトリーライダーに転じ、世界GPで表彰台を獲得)ですが、僕がリアルタイムで見ていたのは、柳川さんなんです。 

話が外れましたけど、言ってしまえばGPZもZXRも世代的にズレているシリーズで、僕にとっては後から偉大さを知った、歴史上の名車という感覚が強いのです。ですが〝Ninja〞という称号が、カワサキにとっていかに大きな意味を持つのかは、この身に染みています。

レースファンの方であればご存知かと思いますが、僕は’04〜’06年の3年間、カワサキのワークスチームのエースライダーとして、MotoGPに参戦していました。その時に走らせていたマシンが、Ninjaの名を冠する、カワサキ NinjaZX-RRでした。 

自分で言うのも口はばったいのですが、GPの歴史を見返してもトップカテゴリーのワークスチームで、日本人ライダーがエースライダーを務めた例は珍しいと思います。少なくとも、MotoGPがスタートしてからは僕以外にはいないはずです。

別に自慢をしたいわけではありません。それだけ大きな役目を背負い、凄まじいプレッシャーを受けながら戦っていました。〝Ninjaという名前を背負う〞ことは、恐ろしいほどの重みがあると感じていました。 

カワサキ入りを決めたのは、’03シーズン最終戦バレンシアが終わった翌日夜の出来事がポイントでした。シーズン半ばには、カワサキから翌年のオファーをいただいていたのですが、ヤマハで走り続ける可能性もありましたし、悩みに悩んでいたんです。それで、もう一度カワサキと話してみよう……と、ピットを訪ねてみたんです。 

そこに、たまたま松田さん(松田義基氏 当時のカワサキ・MotoGPチーフエンジニア)がいらして、翌年のマシンを見せてくれたんです。これは、本来ありえない話です。その時点で、僕はヤマハの契約ライダーですし、トップシークレットである次季マシンを、他のメーカーの人間に見せるのは異例中の異例です。そこまでして、自分を求めてくれるのか、と意気に感じました。

それに、新しいNinjaZX-RRにピンとくるものがあったんです。それまでのマシンからガラッと変わって、とてもコンパクトになっていて、このマシンなら戦えると直感しました。 

“直感で良いと感じた”という2004年型Ninja ZX-RR。著しい進化を遂げたモデルだ
“直感で良いと感じた”という2004年型Ninja ZX-RR。著しい進化を遂げたモデルだ

余談ですが、カワサキ入りを決めてから最初に連絡したのが、キヨさんと柳川さんのお二人でした。ワークスチームで走るということは、そのメーカーの歴史を作ってきた方へのリスペクトが必要だと考えていますし、お二人の話を聞くべきだと思ったんです。 

ワークスチームのエースライダーは、責任は重いですがレーシングライダーにとっては夢のシートです。だって、巨大なバイクメーカーが、自分一人のためだけにバイクを造ってくれるんですから理想の環境です。日本のメーカーで、日本人がエースライダーとして走っているんです。せっかくですから、自分にできることは全てやろうと考えました。バイクを造っているのは日本ですが、チームの運営はヨーロッパ。自分がその間に入れば、スムーズにことが進むだろう、と。 

開発にも積極的に参加しました。ヨーロッパと日本を行き来して、オートポリスでテスト走行をしたり、風洞テストに参加したりしましたね。レギュラーライダーの仕事の範疇を超えていたかもしれませんが、自分が動くことでチームの成績が上がるのなら、なんでもやりましたし、カワサキもそれに応えてくれました。そこまでやったからこそ、初年度の’04年にもてぎで3位に入ることができました。

あのレースは、スタート直後の1コーナーで上位陣が絡んで、上手いこと抜け出すことができたラッキーな面があったのは事実ですけど、チームのみんなが物凄く喜んでくれました。嬉しかったですね。

’05年シーズンは、成績はあまり振るいませんでしたが、開発は着実に進んでいました。スタッフも優秀な方ばかりでした。 

当時のメンバーの多くが、その後SBKチームに移籍していますが、その様子をみると、繋がっているんだと嬉しく感じます。現行モデルのNinjaZX-Rシリーズに乗ると、乗り味がNinjaZX-RRに通じるものを感じます。カワサキは歴史を積み上げ、未来へ繋ぐメーカーなのだと思います。 

’06年アッセン(オランダGP ダッチTT)での2位は、実力で勝ち取ったといえると思います。NinjaZX-RRの戦闘力はトップを争えるレベルになっていましたし、本当はポールポジションも狙っていました。少し届かなくて2番グリッドになってしまいましたけど、マシンも自分も仕上がっていました。

2006年、MotoGP第8戦オランダグランプリで、2位表彰台に上がった中野さん。熟成が進んだNinja ZX-RRは、トップクラスの速さを誇った

決勝もトップ争いには絡めませんでしたが、力を示しての2位表彰台ですから、自分にとっても思い出深いレースですね。カワサキでMotoGPを戦った3シーズンは、自分のレース人生におけるキャリアハイです。 

カワサキ時代のヘルメットには、自分なりのNinjaへの想いが込められているんです。サイドに手裏剣のグラフィックが入っていますが、これは自分がオーダーしたものです。忍者に手裏剣じゃあ、ベタ過ぎるかな? と悩んだんですけど、海外の人にも好評でしたから、良いチョイスだったと思います。 

カワサキ在籍時に使用したカラーリング。デザインはイタリアのDrudi Performanceによるもの。ヴァレンティーノ・ロッシをはじめ、多くのGPライダーのギアやマシンのデザインを手がける工房
カワサキ在籍時に使用したカラーリング。デザインはイタリアのDrudi Performanceによるもの。ヴァレンティーノ・ロッシをはじめ、多くのGPライダーのギアやマシンのデザインを手がける工房

カワサキといえばNinjaという認識は、海外でも浸透しているんです。仕事でイタリアのショーに行った時、待ち合わせていた現地の人となかなか合流できなくて電話をかけたんです。そうしたら彼が〝今、Ninjaの前にいるよ〞って言うんです。何を言っているのかわからなかったんですが、要するにカワサキブースにいるってことなんです。じゃあ、そう言えよって話なんですが、それくらいカワサキ=Ninjaというのが当たり前なんですね。これだけ親しまれているのは、凄いことだと思います。 

繰り返しになりますが、僕のレースキャリアの頂点はカワサキ時代です。Ninjaを駆る一人に加えてもらえたことは誇りです。

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