中野真矢から見たイタリアンチーム”仕事の流儀”「とても職人気質で絶大な信頼感」
世界最高峰のロードレースMotoGPやSBKにおいても、イタリアン旋風が吹き荒れている。レースにおけるイタリアンチーム(メーカー)の特徴や強みはどこにあるのか? 世界で勝利した経験を持つ日本人ライダーたちが、参戦当時や現在を語る。
PHOTO/H.ORIHARA, APRILIA, HONDA TEXT/T.TAMIYA
とても職人気質で絶大な信頼感
’99年に初めてロードレース世界選手権にフル参戦しましたが、当初はヤマハに所属しており、チームはフランスが拠点。とはいえ南仏で、イタリアやモナコが近く、陽気でオープンな気質というのは似ているのかな……と想像していました。もちろん、バレンティーノ・ロッシを筆頭にイタリア人のライダーは当時も多かったので、接する機会はありました。
印象的だったのは、全日本でチャンピオンを獲得した後、’99年から世界選手権に挑戦した際のことです。ヤマハがファクトリーとして再参戦して2年目だったYZR250を改良する過程で、外部のメーカーやデザイナーのアイディアも取り入れることになり、とあるラジエターメーカーに所属するイタリア人のスタッフと仕事をしました。
僕はそれまで日本しか知らなかったし、日本製がスゴいと刷り込まれてきたので、レースの現場で段ボールを切り出して型取りするエンジニアの姿を見て、やや不安を覚えました。
しかしそれから数週間後、新型ラジエターは完成しており、実戦に導入。しかもそのデザイン性は秀逸で、衝撃を受けました。
同じようなことは、フェアリングに関しても体験しました。やはり外部デザイナーを取り入れつつ日本と共同で製作していたのですが、わずかな期間で新たなカウルが現場に届き、よく見れば細部には粗さもあるんだけど、スピーディにマシンを進化させようとする姿勢に、「これこそがレーシングスピリッツだよな……」と、イタリアのスゴさを世界選手権におけるキャリアの初っ端から感じることになりました。
また、ロッシのヘルメットや各社のカウルグラフィックなどのデザインで知られているドゥルーディ・パフォーマンスに、自分もヘルメットのデザインをお願いすることになり、これを率いるデザイナーのアルド・ドゥルーディに会ったときにも、かなりの感銘を受けました。
見えているモノが違うのではないかと思ってしまうくらい、我々の想像とは異なるアイディアの数々。イタリア人には、日本人にはない感性があるのかもしれないと思いました。
とはいえ、ヤマハで250ccと500ccに乗っていたテック3はフランスのチーム。シーズンを通してMotoGP機を駆るようになった’03年のダンティンはスペイン。
’04年から移籍したカワサキはドイツのチームだったので、イタリアのチームと関わったのはジャパン・イタリー・レーシングが運営するコニカミノルタ・ホンダに所属した’07年から。
カワサキ時代から自分の拠点をスペインのバルセロナに置いていたのですが、グレシーニ・レーシングに移籍した’08年に、ミサノのサーキットの近くにあるワークショップのそばに住むことにしました。
ケガによりシーズン途中で終わってしまいましたが、翌年はアプリリアと契約してスーパーバイク世界選手権に挑戦。現役生活の終盤はイタリア文化とともに歩んできました。
レースの世界において、例えばメカニックの職人気質な部分は日本人とイタリア人でそっくり。「○○人は『明日だ、明日』ばかりで仕事しないんだよ!」なんて、リスペクトしつつもスタッフを出身国でイジるのは日常茶飯事でした。
とはいえレースは待ってくれないので、どの国のレースメカニックも仕事はきっちりしていましたが、その中でもなぜかイタリア人メカニックには、任せることへの安心感がありました。
レースウィークに入ると、メカニックはスゴい緊張感の中で仕事に追われ、クラッシュやトラブルがあればご飯を食べられないことも多いです。だからこそすべての作業が順調に終わったら夜の食事を楽しむということを、とくにイタリア人は大切にしていたように思います。
パッと食べてすぐ帰るというより、ゆっくり食事してリフレッシュし、翌日に向けてリセットする感じ。食事の楽しみ方は、やっぱり日本人とは違います。
僕も、イタリアの食事は大好き。ヤマハやカワサキの時代にも、ホスピタリティのシェフがイタリア人だと、めちゃくちゃ喜んでいました。
そういえば、イタリア系のチームは、サーキットに到着して設営を開始したとき、真っ先に開梱されるのがコーヒーマシンなんてことも……。そんなところにも文化の違いを感じていました。
ちょうどこの4月に、仕事のため1週間ほどミラノやイモラ、ミサノに行ってきたのですが、食事を楽しむ姿勢をあらためてうらやましく感じました。同時に、相変わらずイタリアではモータースポーツが市民権を得ていて、こちらはうらやましいを通り越して悔しさすら感じるほど。レースを愛する血が脈々と受け継がれていて、だからこそいいライダーとマシンが育つのでしょう。
現役を退いてからもリゾマやスピーディなどのイタリアンブランドと関わっていますが、「魅せることへのこだわり」もイタリアならでは。ショーや展示場に自社製品を誇らしげに飾っている様子は、気恥ずかしさが先行しがちな日本的美学とは違っていて、元気をもらっています。
レースメカニックの職人的な仕事ぶりもそうですが、食事にせよオシャレにせよモノづくりにせよ、自分が好きなことにこだわり抜くのがイタリア流なのかもしれません。