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【プロフェッサー辻井が解説】この技術革新がライテクを変えた!|スポーツライテクの趨勢

長らく二輪開発に関わってきた“プロフェッサー”こと辻井栄一郎が、ライテクを変化させる要因となったさまざまな技術的進化を振り返る。今では当たり前となっているテクニックも、バイクの進化があってこそなのだ!

TEXT/E.TSUJII
【辻井栄一郎】
元ヤマハのエンジニアで、LMWやオフセットシリンダーなど、様々な技術開発を担当。本誌にて『二輪動力学からライディングを考察』を好評連載中

アルミフレームへの進化がハンドリングを変えた

’70〜’80年代の排気量拡大で最高速度が上がり、高速での直進安定性がフォーカスされ、高剛性(硬い)フレームがトレンドになりました。高速安定性が向上すると、今度は200km/h以上でのハンドリングが求められました。この時、フレームが硬いだけではいけないことがわかり、剛性を調整するようになりました。

この時、アルミは軽くて強い材質として選ばれたのですが、実は鉄よりもヤング率(ばね定数を決定する因子)が低く、同じ形状であれば鉄よりも軽いだけでなく、ハンドリングが良かったのです。その先駆者がモリワキ・モンスターと言えると思います。また、ヤマハのYZF-R1の歴史は、フレーム剛性の進化の歴史とも言えます。

市販車初のアルミフレームは世間に大きな衝撃を与えた。まるでレーサーのようなスタイルも相まって、レプリカブームの火付け役に
1983 SUZUKI RG250Γ
市販車初のアルミフレームは世間に大きな衝撃を与えた。まるでレーサーのようなスタイルも相まって、レプリカブームの火付け役に

タイヤサイズの変遷は安定性を求めての進化

’70 ~’80年代にフレームがどんどん硬くなると、当時主流だった18インチでは高速域でのハンドリングがどんどん重たくなっていきました。その解決策のひとつとして、前輪16インチが登場。ジャイロモーメントが小さくなり、軽快なハンドリングを獲得していました。 

しかしさらに高速化すると、市販車では40~ 60km/hでの安定性不足になり、再びインチアップが検討されました。これはフレームの剛性でハンドリングが改善され始めた時期と前後します。現在の剛性が最適化されたフレームでは、17インチがベストに近いと言えます。

【1972 KAWASAKI 900 SUPER FOUR】F19インチ R18インチ
【1972 KAWASAKI 900 SUPER FOUR】F19インチ R18インチ
【1980 YAMAHA RZ250】F18インチR18インチ
【1980 YAMAHA RZ250】F18インチR18インチ
【1982 HONDA VT250F】F16インチ R18インチ
【1982 HONDA VT250F】F16インチ R18インチ
【1985 SUZUKI GSX-R750】F18インチ R18インチ
【1985 SUZUKI GSX-R750】F18インチ R18インチ
【1985 YAMAHA TZR250】F17インチ R17インチ
【1985 YAMAHA TZR250】F17インチ R17インチ

成立フォークから倒立フォークになりハードブレーキができるように

正立フォークが一般的だった’80年頃、RZ250などはフレームとリアサスペンションに剛性感があり加速で有利でした。一方フロントフォークは、よく言えばしなやかですが、剛性不足からダイレクト感に欠けていました。 

トリプルツリーのクランプ部が太い倒立フォークが登場すると、操舵系の剛性が格段に高まり、より安定したダイレクトなハンドリングになりました。加えて曲げ剛性も強くなったことで、スムーズで安定したブレーキコントロールも可能に。これが、ライテク的には大きなメリットと言えるでしょう。

倒立フォークは太いアウターチューブをクランプすることにより、フロントまわりの剛性がアップ。細いインナーチューブが下に来るので、バネ下重量も軽減される
倒立フォークは太いアウターチューブをクランプすることにより、フロントまわりの剛性がアップ。細いインナーチューブが下に来るので、バネ下重量も軽減される

バルブのはさみ角の変化が車体をより軽快にした

エンジンは高性能と環境対応の過程で、バルブのはさみ角が狭くなっていきます。バルブが斜めから直立に近くなることで圧縮比が上がり、ポートもストレートになったのですが、これがマスの集中化にも貢献していると私は考えています。 

特に2気筒から4気筒への多気筒化&大排気量化の過程で、このレイアウトはパワーだけでなく、ハンドリングや制動距離も大きく変えたと思います。

ヘッドが小さくなり、エンジン全長もどんどん短くなってきた。これがマスの集中化に貢献し、軽快なハンドリングに繋がっている
ヘッドが小さくなり、エンジン全長もどんどん短くなってきた。これがマスの集中化に貢献し、軽快なハンドリングに繋がっている

軽量化とコンパクト化で、サスは勝つための武器となった

リア2本ショックが当たり前の時代に、「空飛ぶサスペンション」と言われた、ヤマハのモトクロッサー用モノクロスはセンセーショナルだったようで、「ヤマハはリアサスが無くなった!」と言われたそうです。 

私の記憶ではモノショックの登場と、伸び側の減衰が追加されたのが同じ頃。モノショックによるバネ下の軽量化と高性能化でリアサスペンションは飛躍的に進化し、モノクロス登場時はヤマハの圧勝。ライダーはドーピングを疑われるほどだったとか。 

その後リンク式では軽量化しただけでなく、マスの集中化や、よりスムーズな動きと長いストローク量が得られました。

【1974 YAMAHA YZ250M】’73年に世界&全日本モトクロスを制したYZM250の市販レプリカ。市販レーサーとして初めてモノクロスサスペンションを装備していた
【1974 YAMAHA YZ250M】’73年に世界&全日本モトクロスを制したYZM250の市販レプリカ。市販レーサーとして初めてモノクロスサスペンションを装備していた

ラジアルタイヤの登場がライテクの進化を促した

バイアスからラジアルになり、タイヤの剛性が向上。加えて接地面の路面追従性能も高まりました。ほぼ同時期にシリカの添加やプロファイルの最適化が行われたことで、ハンドリングとグリップ性能が飛躍的に向上。

当時、サーキット走行ではラジアルに換えただけでハンドリングがダイレクトでシャープになり、コーナリング限界が判らなくなるぐらいでした。現代のバイクの進化、ライテクの進化に、ラジアルタイヤの存在は欠かせません。

初の市販ラジアルタイヤはピレリ・MP7。当時はバイアスと同じプロファイルだったためハンドリングのレスポンスが鈍く、スポーツツーリング用としての発売だった
初の市販ラジアルタイヤはピレリ・MP7。当時はバイアスと同じプロファイルだったためハンドリングのレスポンスが鈍く、スポーツツーリング用としての発売だった

キャスター角の変化で、より曲がれるバイクになった

’70年代後半まで前輪19インチが主流で、キャスター角も27度が普通でした。その結果トレールも、ロードスポーツで115~120mmと長く、ハンドリングはゆったりとしていました。

今にして思えば、タイヤの性能が低かったため前輪の接地感を得るために必要なスペックだったのかもしれません。タイヤサイズ変更の過程で、キャスター&トレールがハンドリングと密接な関係があることが分かったため次第に最適化されていきました。

近年のスポーツバイクではキャスター角が約24度、トレールは約100mmがトレンドです。

ブレーキのラジアル化が、繊細なコントロールを可能に

ラジアルマウントキャリパーは高剛性なため、正確なブレーキコントロールが可能になります。また「シェイクバック」と言って、フロントフォークが捩じれた時にローターがパッドを押し戻して開くことがありますが、ラジアルになってからその問題はなくなりました。 

一方、ラジアルマスターシリンダーはそのレイアウトから、レバー比を大きくすることが可能となり、より強くレバーに入力でき、かつ繊細な微調整によるブレーキコントロールが可能になりました。これもライテクの進化に影響していると言えます。

【2003 KAWASAKI Ninja ZX-6R】市販車として世界で初めてラジアルマウントキャリパーを採用。4ピストンでパッドも4枚という構造で、コントロール性を追求していた
【2003 KAWASAKI Ninja ZX-6R】市販車として世界で初めてラジアルマウントキャリパーを採用。4ピストンでパッドも4枚という構造で、コントロール性を追求していた

ヒザ擦りが一般化したのはタイヤの高性能化の恩恵

 ヒザ擦りはヤーノ・サーリネンが始め、ケニー・ロバーツが完成させ、マルク・マルケスが進化させたと言えるのではないでしょうか。 

サーリネンの頃はまだタイヤの性能が低く、それを補ってコーナリングスピードを向上させるために体重移動したのが、ヒザ擦りの始めかと思います。

そして、ロバーツがヒザ擦りを常習的に行うようになった頃から、タイヤがスリックになりグリップ性能が向上。バンク角がより深くなっていきました。市販車で誰もがヒザ擦りできるようになったのは、タイヤ性能が上がったおかげなのです。

’72年GP250チャンピオンでアイスレース出身のヤーノ・サーリネンが、ロードレースにハングオフ&ヒザ擦りというテクニックを持ち込んだ。この頃はまだ溝付きタイヤが使われていた
’72年GP250チャンピオンでアイスレース出身のヤーノ・サーリネンが、ロードレースにハングオフ&ヒザ擦りというテクニックを持ち込んだ。この頃はまだ溝付きタイヤが使われていた

カウリングの進化がフォームにも影響する

まだカウルが一般的ではなかった’70年代後半までは、最高速度チャレンジでは左手はフロントフォークを掴んだりしたものです。その後フルカウルが一般的となり、最高速度も飛躍的に向上、当時はカウルの有無で10 ~ 15km/h近く違いがでるモデルもありました。 

カウルの形状も進化し、近年のMotoGPではシートから腰を少し浮かすことで背中の空気の流れが整えられ、最高速が数km/h伸びることから、ライディングフォームも変わってきたと言えます。実は、最高速度が一番伸びるフォームは仮面ライダー乗りですが、危険なのでお勧めしません(笑)。

ストレートでは若干お尻を浮かすなど、カウルの進化はフォームにまで影響を及ぼすようになった。スーパースポーツは市販車のカウルも大型化していく傾向にある
ストレートでは若干お尻を浮かすなど、カウルの進化はフォームにまで影響を及ぼすようになった。スーパースポーツは市販車のカウルも大型化していく傾向にある


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