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【パドックから見たコンチネンタルサーカス|エディ・ローソン】ジキルとハイド

レース撮影歴約40年の折原弘之が、パドックで実際に見聞きした四方山話や、取材現場でしか知ることのできない裏話をご紹介。

PHOTO & TEXT/H.ORIHARA

ジギルとハイド

‘92年のハンガリーグランプリは、雨まじりの中スタートが切られた。だが、小降りで、今にも止みそうな微妙な天候でもあった。当時の西側諸国の路面は滑りやすく、水はけもすこぶる悪かった。カジバを除くすべてのチームが、迷うことなくウエットタイヤを選択したと記憶している。

ウエットコンディションの中、カジバのステアリングを握るのはエディ・ローソン。言わずと知れたレジェンドチャンピオンだ。

ヘビーウエットという状況にもかかわらず、インターミディエイトを選んだエディ。スタート直後は集団の最後尾まで落ちていた。それでもコース上に留まっていること自体が、奇跡に近いことに思えた。

ファインダーの中に映し出されたエディは、スリッピーな路面を慎重に走っているように見えた。慎重に走るのは当然のことだが、その走りはとても繊細で、1mmのスライドも許さないような。それでいて、前走車に離されないように、絶妙なスロットルコントロールをしているように見えた。

もちろん、雨で滑る路面の上をあれほどのスピードで走行しているのだから、スライドしていないはずはない。おそらく、前後タイヤのスライド量をコントロールすることで、側から見るとスライドしていないように見えていたのだろう。ウエット路面にインターミディエイトのタイヤ。そんな劣悪な環境の中、決して破綻しないバランスの取れたライディングを続けていたのだろう。彼の走る姿からは、スリップダウンを予感させるような動作は微塵も感じ取れなかった。

そして、雨も止み、次第に路面がグリップを取り戻すと、エディの快進撃が始まる。それまで後方に甘んじていたエディは、スタートからの慎重なライディングが嘘のようにアグレッシブに躍動した。ブレーキングでは、フロントフォークはフルボトム。スリップダウンを恐れないハードブレーキは、見ている方が恐怖を覚えるほどだった。

短いながらもバンク角は、他のどのライダーより深く、速かったように思えた。アクセルの開け方も、それまでとは違い、ワイドに開けられていたように思う。当然、リアタイヤはパワーを受け止めきれずスライドする。そのスライドも、パワーが逃げるのではなく斜め前に進むようにスライドしていく。ファインダーを通してもわかるくらい、無駄のないスライドだったと記憶している。まだスリッピーな路面を鬼神のように攻める姿は、前半のエディとは別人だった。

記者会見場に現れたエディに、メディアたちの質問はタイヤチョイスに終始した。すべてのメディアが、カジバのギャンブル成功に沸き立っていた。そんな中、ジョークを交えながら冷静に淡々と質問に答えるエディ。僕はその様子に違和感を覚えながら、カジバの初優勝記者会見が終わった。

記者会見が終わり、会場から出てきたエディに「今日は二人のエディを見た気がしたよ」と話しかけると、エディは「なんのことだい」と返してきた。僕は「前半の君は転ばないように守って走り、後半は転倒を恐れずアグレッシブに走っていたよね。まるでジキルとハイドを見ているみたいだったよ」と告げると、エディはキョトンとしたような顔をした後、微笑みながらこう言った。

「僕はレース中、一つのことしかしていないよ。君自身が答えを言っているのに、全く気づいていないんだね。自分の言ったことを、ちゃんと考えてみなよ。でも、ちゃんと見ていてくれてありがとう」

そう言い残して、チームに戻っていった。

しばらくの間、エディの言った意味がわからなかった。が、その夜眠りにつく瞬間、突然思い当たった。そうか、エディは確かに一つのことしかしていない。それは、転ばずに誰よりも速く走ったのだ。そういう意味では、「前半も後半も同じことをしていた」という言葉も合点がいく。エディはレースで最も単純なことを、実践していただけだったのだ。だが、それが一番難しい。ましてや、世界一を争う中で、自分のやるべき仕事を完璧に遂行するのがどれほど難しいことか。

カジバが勝ったのは、ギャンブルが成功したからでも奇跡が起こったわけでもない。確かにタイヤチョイスはギャンブルだったかもしれないが、それが成功したことには理由がある。他の誰でもない、エディ・ローソンがライダーだったからだ。そんなことを考えていると、今日、エディに言ったジキルとハイドのくだりが、いかに恥ずかしかったか思い知らされてしまった。

【エディ・ローソン】1958年、アメリカ出身。1983年に世界GP500ccクラスデビューを飾り、1984年には初の世界チャンピオンに輝いた。彼はその後も1986年、1988~1989年と計4回の世界チャンピオンを獲得し、冷静かつ計算されたレース運びで「SteadyEddie」と称されるほどの安定感を誇った。引退後もモータースポーツ界に関わり続け、次世代のライダー育成に貢献している
【エディ・ローソン】1958年、アメリカ出身。1983年に世界GP500ccクラスデビューを飾り、1984年には初の世界チャンピオンに輝いた。彼はその後も1986年、1988~1989年と計4回の世界チャンピオンを獲得し、冷静かつ計算されたレース運びで「SteadyEddie」と称されるほどの安定感を誇った。引退後もモータースポーツ界に関わり続け、次世代のライダー育成に貢献している

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