【モーターサイクルライフ】トライアスロンや空手と同様にバイクはチャレンジのためのツール【スポーツライター 彦井浩孝さん】

彦井浩孝さんはスポーツライター、トライアスロン選手、空手家、看護専門学校教師といくつもの才能を遺憾なく発揮して、それぞれの場面で活躍している。愛車にハーレーダビッドソン XL1200NSアイアンを選んだのにも、もちろん理由がある。文武両道を行くスマートスポーツマンとバイクとの関係とは
PHOTO/T.MASUI
TEXT/T.YAMASHITA

彦井さんがトライアスロンを始めたのは21歳のときで、今も週3日のトレーニングを欠かさない現役選手だ。自転車とバイクはどちらもスポーツの道具としての側面を持つ。トライアスリートである彦井さんの場合、自転車は完全にスポーツの道具だ。一方、バイクはハーレーダビッドソンのアイアンだから、スポーツとは無縁だ。
「このバイクを選んだのは、アイアンという名前に惹かれたからです。カスタムするのも楽しいですが、バイクは旅の相棒ですね」
トライアスロンという競技は、水泳、自転車、長距離走の3種目をこなすことからアイアンマンレースとも呼ばれる。ハワイで開催されている世界で最も有名な大会名は『アイアンマン世界選手権』だ。

「アイアンを買ったのは昨年6月ですが、バイクブームのど真ん中でしたから、バイクには若い頃から乗っていました。16歳で原付免許を取って、バイトして教習所代を稼いで中免(現在の普通二輪免許)を取って。高校2年生のときに買ったのが赤いホークⅡでした。でも半年で盗まれてしまって、またバイトに明け暮れて今度はRZ350を買ったんです。親には内緒で(笑)」
大学生になるとRG400Γに乗り替え、ワインディングをひとしきり走ってから学校へ行くなど、若きバイクライフを謳歌していた。
「8耐は毎年観戦に行ってましたし、鈴鹿サーキットではスタンド清掃のアルバイトをしてました。なので8耐以外のレースも観てましたし、平忠彦さんやケニー・ロバーツさんを間近で見て喜んだり(笑)。だからサーキットを走りたいと思っていましたし、バイト先の人たちの大型バイクを見て限定解除もしたいと思ってましたが、実現しないままでした」

体育教師を目指して進学した彦井さんだったが、卒業後の進路に悩み、大学を2年間休学してアメリカへ渡った。ロサンゼルスからニューヨークまでバスで旅をし、スポーツ教育や研究を目の当たりにし直した。
その頃、トライアスロンに出会い、未練を残しつつもRG400Γを売却して自転車を買った。
「トライアスロンのことは知っていましたが、自分には無理な競技だと思ってたんです。でも通っていたスポーツクラブで誘われて、まずは25mプールで泳ぐことから始めました。それからすっかりとトライアスロンに夢中になって、ハワイのアイアンマンレースには11回出場しました。アマチュアにとってはお祭りみたいなものですが、毎年出場を目指していました」
卒業後は大学院へ進み、某企業に招かれてアメリカの大学院で7年間、運動科学や栄養学を学び、サプリメント開発に貢献した。
帰国後に移住した神奈川県葉山市では、トライアスロンをもっと普及させようと、小学生でも参加できる大会の開催に尽力してきた。

参加者は年々増えて400人にまで達するほどの人気ぶりだった。しかし’20年に発生した新型コロナ禍によって、10年も続けてきた大会が中止となってしまった。
「そんな状況になってしまって、何か新しいことをやりたいと思ったとき、バイクがあったんです。当時、サーキットでのスポーツ走行にも興味がありましたが、一方でハーレーダビッドソンにも憧れていました。大型二輪免許を教習所で取れるようになったときから、実はずっと『いつかは……』と思っていたんです。ブランクが長いからちゃんと乗れるか不安でしたが、身体が覚えてて、教習所は楽しかったですね」
その後、3年をかけて資金を作り、アイアンを手に入れたのが今年の6月だ。乗りやすさを重視してシート、ステップ、ハンドルなどを中心としたカスタムをし、タンクのHARLEYとDAVIDSONの間にはアイアンマントライアスロンのロゴをペイント。今はツーリングで走らせて楽しんでいるという。






「ショートは週末にちょこちょこと、キャンプツーリングは年に4〜5回行ってます。自転車レースだと、前を抜きたくなるし、後ろから抜かれたくないと思って走ってますが、ハーレーではそういうことがいっさいないのがいいですね。マイペースで走っていけるところが気に入ってます。スーパースポーツにも興味はありますけど、身体がついていけるかな(笑)」
5年ほど前からは空手を始めた。トライアスロンのためのトレーニングにもなるし、精神の修練にもなる。そしてバイクはそうしたスポーツ、そして仕事や家庭といった日常生活とのバランスを取るには最適だ。


それらすべてに相乗効果をもたらすもの、それがバイクなのだ。彦井さんの影響で奥様も小型二輪免許を取り、ベスパに乗っているという。
「ニシン漁をしていた先祖の墓が北海道の石狩地方にあるのですが、無縁仏のようになっていたこともあって、墓参をかねて北海道へキャンプツーリングしてきました。朝市で買った鮭で石狩鍋を作ったり、やり投げで金メダルを獲った北口榛花選手の実家でプリンを買ったり、高校生の時に読んで感銘を受けた『振り返れば地平線』というバイク小説に出てきた開陽台を訪れたりと楽しかったですね。知床や納沙布、襟裳を回って苫小牧からフェリーで帰ってきました。けっこう雨にも降られたし寒かったですけど、今度は宗谷岬に行ってみたいです」

彦井さんの北海道行には、もうひとつの目的があった。
「高校の時に『いつか一緒に北海道へ行こう』と話し合ってたバイク乗りの友人がいたのですが、がんを患って入院してたんです。だから、彼が当時乗っていたVT250Fのプラモデルを作ってお見舞いに行ったり、旅先でVTのプラモと撮った写真を送ったりしていたのですが、今年4月に亡くなってしまい……」
北海道への旅は、友人の追悼のためでもあった。かつて交わした約束は果たせなかったが、ふたりで夢見た大地をバイクで旅することは、彦井さんが避けては通れない儀礼であり、祈りだったはずだ。
「クルマより小回りが利くし、自転車よりも距離を稼げるバイクは旅に最高だと思ってます。九州やアメリカにも行ってみたいですね」
彦井さんにとって、バイクはアスリートとしての幅を広げる道具だ。