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【de”LIGHT|片岡 誉さん】諦めない心が切り拓いたドゥカティ・マエストロへの道

DUCATIのスペシャリストとして知られる、de”LIGHTの片岡 誉さんは、経営者、メカニック、エンジニア、レーシングライダーetc……と、実に多彩な顔を持つ人物。もともと才能豊かな人ではあるのだろう。だがその才能も努力なくして花開くことはない。夢を叶えるためには、絶対に諦めない。片岡さんの生き方には、その言葉がよく似合う。

PHOTO/E.ISHIMURA(PHOTO SPACE RS), de"LIGHT
TEXT/K.ASAKURA
取材協力/ディライト https://www.delight-suzuka.co.jp/

ドゥカティのスペシャルショップとして知られるディライト。そのディライトで会長職を務める片岡誉さん。ライダーとして鈴鹿8耐に参戦、社会奉仕活動にも取り組むなど、異色の実業家としての横顔が注目されている。だが、片岡さんの出自は叩き上げのメカニックであり、パーツ開発に長けたエンジニアだ。

片岡さんは大阪に生まれ、幼稚園児の頃に岡山に転居。そして中学生からは香川で生活して育つ。引っ越しが多かった理由は、お父さんの仕事の都合。よくある転勤族であったかと思うと、そうではない。片岡さんのお父さんはキリスト教の牧師。だが、牧師の赴任地が変わることは、一般的というわけでもないらしい。

「父は、望んで状況がよくない教会を赴任先に選んでいたようです。その教会を立て直すと、次の教会に向かっていました。裕福な暮らしではありません。父の使命感や、それを支える母の強さを強く感じながら育ちました。父母の生き方は、私に少なからず影響があると感じます」

では、どういった経緯で〝ディライトの片岡誉〞が生まれたのか?

精緻な仕上がりを見せるビレットパーツはde"LIGHTの真骨頂。上はパニガーレV4系モデル用のレーシングステップ。ストリート向けステップもラインナップ。左は、de"LIGHTの名を高めたかつての人気パーツ、クラッチ操作を劇的に軽くするファインフェザークラッチキット
精緻な仕上がりを見せるビレットパーツはde”LIGHTの真骨頂。上はパニガーレV4系モデル用のレーシングステップ。ストリート向けステップもラインナップ。左は、de”LIGHTの名を高めたかつての人気パーツ、クラッチ操作を劇的に軽くするファインフェザークラッチキット

「初めてバイクに触れたのは小学生の時です。従兄弟がホンダのダックスに乗せてくれました」

従兄弟のお兄さんは、ロータリーミッションの操作を教えてくれた。

「よく覚えていますが、それでミッションのシステムが理解できたんです。ああ、そういうことかって」

小学校低学年にして、この考察。さすがと言う他ない。自転車とは違い、漕がずに走るバイクに感動した。そして中学1年生の時、偶然手に取ったバイク雑誌が運命を決めた。

「ヨーロッパの風景の中で、様々なバイクが映し出されたグラビア記事があったんです。ベネリの4気筒マシンが石畳の道を疾走する姿など……。カッコ良かったですねえ」

ファクトリーには旋盤やフライス盤他、大型の工作機械を備える。de"LIGHTのパーツやカスタムマシンを生み出す心臓部だ
ファクトリーには旋盤やフライス盤他、大型の工作機械を備える。de”LIGHTのパーツやカスタムマシンを生み出す心臓部だ
最新モデルがズラリと並ぶ、ドゥカティ鈴鹿のショールーム
明るく、整理整頓が行き届いた、ドゥカティ鈴鹿のサービススペース。3面がガラス張りで、自分のバイクが整備される様を眺めることができる。油っぽさとは無縁の空間は、片岡さんのこだわりから生まれたもの
明るく、整理整頓が行き届いた、ドゥカティ鈴鹿のサービススペース。3面がガラス張りで、自分のバイクが整備される様を眺めることができる。油っぽさとは無縁の空間は、片岡さんのこだわりから生まれたもの

〝将来は絶対にバイクに乗る〞と誓った片岡少年。だが、ここで気になるのは、ご家族の反応だ。反社会的に見られることが少なくないバイクだ。ハードルは高そうだが……。

「親はわりと放任主義でしたね。父は実家から勘当されてまで神学校に入り、牧師の道を選んでいるんです。だから私にも『好きなことをやれ』という感じでした」

16歳で二輪免許を取得。バイク中心の生活が始まる。高校卒業後はバイクとは無関係な短大に進学。就職を考えた時、好きなバイクの世界で働きたいと、愛媛のホンダの販売店に入社。だが、そこで問題を起こし、すぐにクビになってしまった。

「バイクの整備を学びたかったのですが、全然バイクに触らせてもらえない。社長に不満を訴えたら、ケンカになってしまって……。スカッとはしましたが、アパートに帰って独りになると、これが負け犬ということかと打ちのめされました」

片岡さんはライダーとして、鈴鹿8耐に参戦。だが、レース育ちというわけではなく、50歳を過ぎてから鈴鹿8耐参戦を目指し選手権に取り組み、国際ライセンスを取得している
片岡さんはライダーとして、鈴鹿8耐に参戦。だが、レース育ちというわけではなく、50歳を過ぎてから鈴鹿8耐参戦を目指し選手権に取り組み、国際ライセンスを取得している

このままでは終われない、次こそバイク業界で身をたてようと、バイクにまたがり岡山に渡った。岡山には中山サーキットがあり、サーキットの近くなら、バイク関連の働き口も多いだろうと考えたのだ。

「あてもなく走っていると、レーサーが飾られたバイクショップを見つけ『見習いでいいから雇ってくれ』と頼み込みましたが断られてしまいました。仕方なく他を探し出したのですが、思い立ってさっきのショップに戻り、『雇ってくれるショップを紹介して』とお願いしました」

確定情報ではなかったが〝ココならいけるかも?〞と、近くにある大規模販売店の存在を教えてくれた。片岡さんは、紹介された販売店に直行。なんとかアルバイトで採用してもらえることになり、いよいよバイク業界での本格的な修行が始まった。

鈴鹿8耐には2017年、2019年、2022年、2023年の4回出場し、内3回完走。写真は2023年の決勝レースを走る片岡さん
鈴鹿8耐には2017年、2019年、2022年、2023年の4回出場し、内3回完走。写真は2023年の決勝レースを走る片岡さん
クルーはde"LIGHTグループのスタッフと、各店のユーザーで構成される
クルーはde”LIGHTグループのスタッフと、各店のユーザーで構成される

「その販売店では、メカニックが4人いたのですが、工場長ばかりに負担がかかっていた。他の3人は定時で帰ってしまい、工場長だけが毎日残業。そこで、自分が手伝うから、その代わりに技術を教えて欲しいとお願いしたんです」

真面目に仕事に取り組んだ片岡さんは、1年半ほどでエンジンのオーバーホールをこなすことができる技術を手にしていた。だが、ここでまたトラブル。他の社員と喧嘩沙汰を起こしてしまったのだ。相手は正社員、アルバイトの片岡さんは、辞めざるを得なかった。

ここまでの話、片岡さんを知る人は違和感を覚えるかもしれない。片岡さんを一言で語るとすれば〝紳士〞。物腰はスマートで、表情は常に穏やか。そんな片岡さんにも、血気盛んな青年時代があったのだ。

 さて、アルバイトはクビになってしまったが、仕事ぶりは高く評価されていた片岡さん。クビを宣告した店長が骨を折ってくれて、運営元の本社へ正社員として採用が決まったのだ。この頃には、少年時代に憧れた念願の欧州車も手にいれた。

「外車の技術を身に付けたかったので、自分の車両として、憧れていたドゥカティの900MHRを中古で手に入れました」

 欲求も高まっていた。

「セールスポイントというか、自分だけの技術を手に入れるには、モノ造りの経験が必要だと考えたんです」

 安定した職場だったが、迷うことなく退職。〝モノ造り〞ができる勤め先を探す中で目についたのが、あのOVERレーシングだった。

DUCATI本社が主催し、世界全体で行われたScramblerのカスタムコンテスト、CUSTOM RUMBLE 2018で3位を獲得した、de”LIGHT製作のカフェレーサーカスタム「SUZUKA 61」。装着パーツは市販化されており、ボルトオンでSUZUKA61の形を作り出すことが可能だ

「TT-F1からクラシックレースまで、手広くレース活動をしていましたから、相当な〝好き者〞がやっている会社だと感じたんです」

 調べれば、オリジナルパーツも多く造っていた。なんのツテもなかったが、いきなり電話で〝雇ってくれ〞と頼み込んだ。

「最初は断られました。溶接や工作機械は扱えるか? と聞かれましたが、経験はありませんでしたし。ですが、会うだけ会ってくれと鈴鹿のOVERに押しかけたんです」

 OVERレーシングで対応してくれたのが、代表の佐藤健正さん。面接を終えた帰りがけ、とあるバイクショップに連れて行かれ、そこで偶然作業していたキャブレターのオーバーフローを修理させられた。

「バイク屋に勤めていたなら、直せるだろうと言われ、修理しました。帰りのクルマの中でも、ずっと『雇ってくれ』と言い続けて、その日は答えをもらえなかったのですが、3日ほど経ってから採用の電話をもらうことができました」

 OVERレーシングの一員となった片岡さんは、パーツ開発を担当。

「マフラー開発で理想の特性を追いかけていたら、テールパイプが何mもの長さになってしまったりもしましたね(笑)。細かく切ったパイプをアダプター状に加工して、長さの調整をしたりもしましたね。シャシーダイナモも使いましたが、データには出ない部分があり実走行は欠かせず、トライ&エラーは必須です」

de”LIGHTの20周年を記念して製作されたマシン。レーシングパンタを象徴するロッカーラパイドフレームに、SS1000の空冷Lツインを搭載。外装はレーシングパンタ用をそのまま使用している。実際にレースに参戦し、後にはDesmosediciの外装が装着されたこともある

 1990年、OVERレーシングはバイク販売部門としてディライトをオープン。片岡さんは、その店長に就任。ディライトという店名を決めたのも、店舗作りも片岡さんに任せられた。

 開店当初はドゥカティ専門ではなかったが、徐々にドゥカティユーザーが増え、1993年にドゥカティ正規ディーラーとなった。

 2001年には片岡さんが権利を譲り受ける形で独立。その後、ドゥカティ東名名古屋とディライト奈良を追加オープン。グループ企業として、ダイネーゼプロショップ名古屋も展開するなど、成長を続けている。

 ディライトグループの会長職を務め、経営者として忙しい日々を送る現在も、片岡さんはオリジナルパーツとカスタムマシンの開発に関わることを止めていない。

「さすがに、自分で工作機械を動かすことはなくなりましたが、マシンやパーツのコンセプトを考えたり、出来上がった製品のチェックは欠かしません。自分が走ってみて、使い勝手が良く、カッコいいパーツになっていなければダメです。納得いくものでなければ、ディライトの製品としてラインナップすることはできませんから」

 こだわり抜き、最後まで諦めず、妥協しない。それが片岡さんの、モノ造りのポリシー。だから、ディライトの造りだすバイクやパーツは機能的、そして美しいのだ。

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