元MotoGPライダー中野真矢がアライヘルメットに訪問! 『本音で語る。とことん語る。』
“変えてはいけないものと 変えるべきものがある”
中野 僕、章仁さんには出会った時から失礼なことしちゃって……。
新井 そうでしたっけ?(笑)
中野 20歳そこそこで、僕まだ大学 生だったんですけど、東京モーターサイクルショーで初めてお会いした んですよ。出迎えか何かで……。 その時に初々しい感じで挨拶して いただいて、「若いイケメン社員の方だなあ」なんて思いながら名札を見たら「新井」って書いてあって、「あっ、アライヘルメットの新井さんって、ちょうどいいですね!」なんて脳天気に……。まさか新井理夫社長の息子さんだなんて、まったく気付かなかったので(笑)。
新井 僕も入社したばかりでしたしね。中野さんとは年齢も近いし、お互いに若かったね。 まあ私自身、いち社員という気持 ちでいましたしね。社長は社長、自分は自分って感じで、立場はまったく意識していませんでした。
中野 いやもう、大変失礼なことを してしまったなと(笑)。 レーシングライダーにとって、ヘルメットって特別なものなんですよ。アライヘルメットさんも、ただヘル メットをサポートしていただいているだけの関係じゃないんです。
サーキットにはアライのヘルメットサービスブ ースがあるんですけど、若い頃はあの部屋に入ることすら畏れ多かった。用があって新人が入ってきても「椅子に腰かけるなんて100年早 いぞ」って空気が漂っているんですよね(笑)。「見て覚えろ」みたいな。
でもヘルメットについていろいろなことを教わる勉強の場でもありました。フィッティングにどうこだわるかとか、シールドは何を選ぶのかとか、たくさん教わりました。上下関係も含めて(笑)。
Navigator 中野真矢
’77年生まれ。元世界GPライダー。10歳の時、鈴鹿8耐の前座でポケバイパレードランをした時以来のアライユーザー。新品ヘルメットの内装の匂いを嗅ぐたび、あの頃の初心を思い出す
アライヘルメット 取締役副社長 新井章仁(あらいあきひと)さん
’96年入社。工場での研修の後、アライヘルメットヨーロッパ新社屋設立に合わせて欧州で1年勤務。レーシングサービスを経て、’00年代 には輸出業務などを中心にさまざまな職務に就く。’08年、アライヘルメットヨーロッパの取締役に。アメリカ市場も含めたグローバル展開を 手がける。’19年、副社長に就任した
新井 たぶん私たちと契約ライダーの方たちの間柄は、ちょっと独特かもしれないですよね。 私も覚えていることがあるんですけど、中野さんが引退する時に直接携帯電話へ連絡いただいたんですよ。会社からの帰り道だったと記憶していますが「お世話になりました。ひとつのピ リオドです」という話を聞 いて……。なんだかもう、「いち契約ライダー」って 感じじゃないんですよね。
中野 章仁さんにはGPライダー時代に海外レースでもお世話になって、夜の食事など含めていろいろありましたからね。章仁さんは明るくて弾けてる方だから、笑えるエピソードには事欠かなかった(笑)。
新井 そうかなあ?(笑) 本人は意識せずにマジメにやっているだけなんだけど、なぜかそう受け止められるんだよね(笑)。でも海外でのレースやイベントでのいろいろな経験は、自分にとってもすごく大きな意味があるんですよ。
レースは、アライヘルメットの名をアピールするだけの場とは思っていません。安全性を高めたり、耐久性を確かめたりする大事な勉強の場なんですよね。 一方でイベントなどでは、よく「アライの人間か?」と声を掛けられるんです。
ヘルメットメーカー、しかもアライというと、一目置かれるところがあるんです。すごくありがたいことですよね。 今でもよく覚えているのは、入社する前にアルバイトでショーの手伝いをした時のこと。外国人のお客さんにいきなり握手されたんですよ。
「僕はアライヘルメットに助けてもらった。本当にありがとう」と。 自分は社長のひとり息子として、この会社に入ることが宿命だとは思ってはいました。でもそんな風に誰かの命を守っていることを実感した時に「ああ、いい仕事なんだな」と強く思いました。誇りに感じたって言うのかな……。
中野 一度聞きたかったんですけど、海外ではアライヘルメットのユーザーさんをたくさん見かけるんです。特にアメリカとイギリスはすごい。 ラグナセカでのレースウィーク、丘の上からバイクで帰る人たちを眺めていたら、ほとんどアライだった。何か理由があるんですか?
新井 販売的には決してラクなわけじゃないんですけどね(笑)。ただ、欧米のライダーたちはアライヘルメットのブランドではなく、安全の本質を知っているからアライヘルメットを選ぶ、という方が多いようには 思います。あ、ちなみにイギリスではウィリアム王子がアライユーザーなんですよ(笑)。
中野 すごい! 英国王室御用達じ ゃないですか!(笑)
新井 安全性を追求し続けるアライヘルメットの姿勢が、アメリカやイギリスでは評価されているんだと思います。高い安全意識が文化として根付いているんでしょうね。でもそういう土壌は欧米に限らず世界各国にあるんだと信じているんです。
中野 日本ではもちろんですが、海外でも認められているブランドなんだと思うと、アライユーザーとしてはうれしくなります。
新井 そうですね。私たちとしてもうれしい反面、「襟を正さないと」とも思うんですよね。ブランドとして評価されるのはすごくありがたいんですが、それよりも私たちが取り組むべきなのは、ヘルメットが人の命を救う可能性がどこにあるのかを探し続けることなんだな、と。
中野 実際、僕も何度も助けてもらっていますからね……。皆さんよく覚えているのは04年のイタリアGPですよね。ストレートで後輪がバーストして投げ出され、転がりな がら何度も頭を打ったのに意識を失うことはなかった。まさにアライヘルメットのおかげです。 タンカに乗せられて「大丈夫だよ」というつもりで手を振ったら、後でランディ・マモラに「ナカノ、あれは『助けてくれ』のサインだ。今度はサムアップしろ」と言われちゃいましたけど(笑)。
頭を守ることを譲らない基盤に、進化を続ける
安全を追い求める姿勢は どの国でも通用する
〝カッコいいライダーたちを守る仕事に誇りを感じる〟 (新井)
新井 あの時は、ヘルメットにおける「かわす」性能の大切さを改めて痛感しました。ああいう出来事のひとつひとつが、私たちにとって大きな財産になります。その結果として、 今の形になっている。デザインやカラーリングは時代によって変わっても、アライヘルメットらしく安全性を第一に考えた普遍的な形状ができ上がっていると思います。
ただ、「絶対」はありませんからね。私たちも、もっともっと安全性を追求し続けますよ。 中野章仁さんは去年、副社長になられましたよね。アライヘルメットの今後については、どう考えてらっしゃるんですか?
新井 バイクという乗り物には、リスクマネジメントをするカッコよさがあると思うんです。だからバイク 乗りはみんなカッコいい(笑)。 でも、命に関わるリスクは減らした方がいい。安全性を求めるアライヘルメットらしい姿勢は、決して変わらないと思います。
売上や企業規模を大きくすることが目的ではなく、バイク乗りを守ること――つまり何事もないことが目的なので、成果が数字に表れないんですよね。でも、自分たちの仕事に誇りを持って臨んでいきたい。
一方で、私もいちライダーとしてバイクに乗りますが、ヘルメットに対してさまざまなニーズがあることも肌身で理解しています。多様な意見に耳を傾けながら、変えるべきところは変えていくつもりです。
中野 章仁さんとは個人的なお付き合いをさせてもらっていますが、ちょっとうれしかったのは56デザインを始めるにあたって、いろいろアドバイスをいただいたことなんです。
新井 え? そんな大それたことしたっけ?(笑)
中野 それまでの、「ヘルメットメーカーと契約ライダー」という間柄から、経営者同士の話ができるようになって、何か時間とともにステージが変わった感じがして……。
新井 レーシングライダーの方が無事に現役を終えて、今こんな風にお話できるのが、私たちにとって何よりもうれしいことなんですよ。 レーシングライダーでも、一般のライダーの方でも、何事もなくその日のライディングを終えてくれることが一番の願いです。
中野 年末には挨拶に伺って、いつも工場を回らせてもらうんですが、社員の方に「アライイズム」が浸透しているのが本当にすごいなって。 どうすればあん なに士気高く仕事してもらえるのか、僕も社員を抱える身としてぜひ教えてもらいたいなと。
新井 じゃ、このまま夜の部に(笑)。 中
野 ははは、終わらない夜になりそうですね!