レース現場を撮影して約40年! マシノがオススメするDVD『阿部典史―流星伝説―』
私がレース現場の撮影を始めたのは1983年。それからバイクを取り巻く世界も激変していますが、仕事を通じて出会った今だから話せるエピソードをお届けします。動画作品にまつわる、とっておきのエピソード。【Wickマシノの#おうち でモタスポ】
増野知英 Tommy Mashino
ウィック・ビジュアル・ビューロウ代表取締役。レース関連の映像制作や、DVD制作&販売を行いながら、日本のレースシーンを裏側から支える重鎮
ディカプリオに握手してあげた!? ノリック阿部の仰天伝説
全日本選手権ロードレース国際A級に、いきなり500㏄からデビューした“ノリック”こと阿部典史選手。初めて会ったのは、彼のデビュー戦、’93年全日本選手権開幕戦の鈴鹿でした。
その年、テレビ東京系列のTV番組『1993ロードレースジャパン』のディレクション&プロデュースを行っていた私は、予選時の、先輩ライダーよりも格段に早い切り返しを目の当たりにして驚きました。17歳のノリックの身体には筋肉が全然ついておらず、力で切り返すと言うよりも柔軟な身体でリズムに乗って切り返すといったイメージでした。
日本人離れのセンスに惚れてしまった私は、「今年は阿部選手に密着していこう」と強く感じたのでした。 そのデビューレースは、スタートでつまずき最後尾から追い上げて、2位でチェッカーを受けました。
グランドスタンド前の表彰台では、嬉し涙を流すノリックへの声援が、初優勝の本間利彦選手への声援を大きく上回り、本間選手がちょっと気の毒に感じられるほどでした。2日後、世田谷の自宅でインタビュー収録を行いました。ノリックはまだ取材馴れしておらず、とても初々しかったのでした。
後年、ノリックが所属していたチーム・ブルーフォックスの岩崎監督と話をさせていただいた際、それまで感じていたことを尋ねてみました。 武石伸也選手が鈴鹿8耐で日本人初のポール・ポジションを獲得した時の、RVF750を駆るライディングフォーム。
ノリックがWGPにデビューした時のNSR500を駆るフォーム。両者の乗り方がミック・ドゥーハンのフォームに通じるものがあると思っていたのですが、岩崎さんも同様に感じていたとおっしゃっていました。
ただ武石選手よりも、18歳のノリックの方が身体がしなやかで、クルマなりに乗ることの優位性を感じていたので、私は当時、ノリック本人にも、「そのままNSR500で世界に挑戦して欲しかった」と話していました。
ノリックは、目黒にマンションを借りて次々とトレーニングマシンを購入し、自分専用のジムを作りました。トレーニングを行うことで、500㏄を駆るために必要な筋肉をどんどん身に纏っていきました。
「NSR500のライディングの感じが良かったんだけどなぁ」と聞くと、「増野さんは500に乗ったことがないからそう見えるだけで、今のマシンは筋肉が無いと乗りこなせないんですよ」とノリック。
そんな彼のキャリアの集大成として制作したDVD【阿部典史-流星伝説-】では、交流のあった福山雅治さんにオープニングとエンディングのナレーションをしていただき、本編のナレーションは、今や大ブレイクした吉田鋼太郎さんにお願いしました。
ノリックとは家に遊びに行ったり来たりと、公私ともに付き合いがありました。彼のエピソードは沢山ありますが、そのなかでも印象的なものを紹介しようと思います。
’00年の日本GPで優勝した彼を祝うために“イトシン”こと伊藤真一選手と、モトGP通訳でお馴染みのMIKIO、私、そしてノリックの4人は夜の六本木へと繰り出しました。4人で14、15本、それまでも、そして今もなお呑んだことの無い量のシャンパンです。
もうこれ以上は無理と断っても、「あれ? GPで優勝した阿部典史の酒が飲めないんですか? おかしいなぁ?」とノリック。その結果MIKIOと私は何度もトイレへ行くことに……。
2軒目のレキシントン・クイーンへ移動すると、そこにはレオナルド・ディカプリオがいました(この店は、90年代に来日した海外のアーティストやハリウッド俳優など著名人の99%が来店したと言われています)。
するとノリックは、「ちょっとディカプリオに挨拶してきます」と我らの制止をかわしてVIPルームへ。ガラス張りなので丸見えです。なにやら言葉を交わし、2人は握手していました。
「オレはノリック阿部と言うんだけど知ってる? と聞いたら知らないって言うんですよ。だからWGPの500㏄ワークスライダーで、今回の日本GPで優勝したんだって説明したら、オメデトウって言うから握手してあげました」
我ら3人は、笑い転げ腹筋が辛いことになりました。なかなかディカプリオに握手を「してあげた」と言える人はいないでしょう。午前3時過ぎ頃にディカプリオが店から引き上げると、それまで白人や日本人の美女で、ほぼ満員状態だったのに、店内はガラ~ンとしてしまったのです。
一番ショックを隠せなかったのは、“握手をしてあげた”ノリックでした。