国産車でみるカテゴリーの遍歴【かつてネイキッドはスーパースポーツだった】
「サーキットを走るならやっぱりスーパースポーツのほうが……」なんて考える人もいるかもしれないが、そもそも量産二輪車は、カウルレス&バーハンドルのバイクとして発展してきた歴史がある。ここではまず、ネイキッドカテゴリーの変遷を振り返る。
日本のバイクカルチャーはネイキッドが中心だった!?
日本国内では、「暴走行為を助長する」という理由から、’83年にスズキのRG250ガンマが認可されるまで、メーカーがフルカウル付きのバイクを公道用として正規販売できずにいた。
しかしこの時代が終わると、日本は空前の250ccレーサーレプリカブームに突入。一方で’90年代前半には4気筒&2本ショックのネイキッドブームも到来した。’00年代初頭にはリッタースーパースポーツがジャンルを確立し、スポーツバイクの進化を牽引した。
スーパースポーツは現在、MotoGP由来の最新テクノロジーが真っ先に投入される最先端マシンだ。しかし過去の歴史において、量産スポーツバイクのメジャーカテゴリーとなり続けてきたのは、いわゆるネイキッドである。
とくに’70年代までは、公道用スポーツバイクのほぼすべてがカウルレス。つまりネイキッドは、最先端技術が導入されるカテゴリーでもあり、日本車の花形でもあった。
だから現代のネイキッドには、スポーツバイクとしての素地がある。しかも昨今はスーパースポーツからの技術転用や、エンジンの流用を受けながら開発されている車種も少なくない。ネイキッドのスポーツ性、いま一度見直してみませんか?
【1970’s】目指したのは世界最速
量産二輪車として世界で初めてフルカウルをまとったのは、’76年に登場したBMWのR100RS。’72年デビューのドゥカティ・750SSなど、ロケットカウルやビキニカウルを装着したバイクもあったので、’75年以前のロードバイクがすべてカウルレスだったわけではないが、現代的な解釈で言えば、ほとんどがネイキッドだった。しかもバイクには“最速”を求めて進化を続けてきた歴史があるので、大排気量ネイキッドは速さを競うカテゴリーでもあったのだ。ちなみに日本では、’82 年までカウル装着の認可が下りなかった。
【1980’s】AMAでレーシングマシン化
’70年代に世界最大のバイク市場となっていたのはアメリカだった。そんな状況で’76年に開始されたのがAMAスーパーバイク選手権。このレースは、4ストロークエンジンを搭載する量産二輪車がベースのマシンで競われたので、結果的に当初はカウルレスでバーハンドルのネイキッドバイクが主役だった。’82年までは1000ccマシンで競われ、日本の4メーカーが手がける空冷並列4気筒マシンが席巻した。
【1990’s】ビッグネイキッドの時代
レーサーレプリカブームに対するアンチテーゼもあり、日本ではネイキッドブームが沸き起こった。’90年に国内正規販売は750ccまでという自主規制が撤廃されたことも追い風となり、威風堂々としたリッタークラスのネイキッドモデルにも注目が集まった時代。’92年にホンダのCB1000スーパーフォアやカワサキのゼファー1100、’94年にヤマハのXJR1200、’95年にスズキのGSF1200が新発売された。
ゼファーによって「ネイキッド」というカテゴリーが浸透
’80年代のレーサーレプリカブーム全盛期に、レプリカ車のカウルをはぎ取ったバイクがヤマハやホンダから登場。これがネイキッドという呼称のルーツだが、カテゴリーとして世間に浸透させたのは、’89年に発売された空冷400ccのカワサキ・ゼファーだった。
【2000’s】ストリートファイターの隆盛
’93年にドゥカティがモンスター900、翌年にトライアンフがスピードトリプルを発売。欧州ではストリートファイター的なネイキッドへの注目度が高まりつつあった。ただし日本ではまだ、丸目1灯でリア2本ショックの伝統的なネイキッドスタイルが圧倒的に支持されていた。国内メーカーも海外向けにはストリートファイター系を導入しはじめたが、日本で受け入れられ始めたのは’00年代に入ってからだった。
【2010’s】スポーツ性と楽しさの両立
この時代になると、バイク生産のグローバル化がさらに進み、日本国内のラインナップにも欧州と同様の車種が目立つようになる。“ジャパニーズネイキッド”と呼ばれるコンベンショナルなスタイルのネイキッドもまだ残っていたが、欧州などで受け入れられていたスポーティな装備と個性的なルックスのネイキッドが日本国内でも販売され、その走りの良さから受け入れられるようになってきた。また、ライダーの高齢化で、アップライトなバーハンドルがより好まれる傾向も……。