マン島TTに人生を懸ける、山中正之選手の思い
世界一過酷な公道レース、マン島TTに挑み続けている日本人がいる。レーシングライダー・山中正之、55歳だ。マンクスGPを2回走り、マン島TTは5回目となった今年、彼はベストラップを更新したうえに、ブロンズレプリカまで獲得する成功を収めた。
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結果が重要なレースだが過程の大切さを体感できた
山中正之選手は今年のマン島TTで、参戦した2クラスの計4レースをすべてフルラップで完走した。さらにスーパーツインTT(700㏄2気筒)レース2では、ブロンズレプリカ(1位のタイムの110%以内)を獲得した。これは日本人ライダーとして故・前田淳選手以来で、彼にとって5回目となるマン島TTにおいて、もっとも優れた結果となった。
練習走行では1度転倒したものの、それ以降は決勝レースを終えるまで転倒せず、怪我も体調不良もなく最終日を迎えたことが、好結果を残せたなによりの要因だ。
「いやあ……ちょっとずつ進歩しながら最後まで走れて、もうほっとしてます。今日のレースは前後にほかのライダーもいない単独走行をできたので、自分が考えている走りに近づけることができたと思います。それでもまだ、気持ちが焦って突っ込みすぎたりということがあるので、直していかなきゃいけないですね」
これは6月9日、山中選手にとって最終レースとなったスーパーツインTTレース2を終えた直後のコメントだ。このときはまだリザルトが確定していなかったが、数十分後にリザルトが確定し、ブロンズレプリカを獲得したことを伝えると、山中選手はこれまでに私が見たことのない、屈託のない正直な笑顔を見せ、受賞を大いに喜んだ。
6月6日に行われたスーパーツインTTレース1では、2周目以降、デイビッド・マドセン・ミグダル選手と抜きつ抜かれつの並走だった。互いの得手不得手で順序が入れ替わるレースとなり、理想のラインを走れる機会が減ったという。
「相手の得意なところを間近で見られるので、勉強にもなりました。彼がひとつ前でゴールしましたけど、自分もベストラップを更新できてました。以前は区間タイムを意識していたのですが、’18年に転倒したときにそれじゃダメだと気づいたんです。一部を意識しすぎるとほかが疎かになってしまうんです」
ミグダル選手との並走は、そのことをあらためて思い出させてくれた。そして山中選手にもうひとつ、大きな自信を与えてもくれた。
「ミグダルさんが66歳ということをあとから知って、まだまだ自分もいけるんだなと思えました」
◎
マン島TTは、’20年と’21年の2年間、新型コロナ禍のため中止された。3年ぶりの参戦となった’22年のマン島TTは、山中選手にとって最悪の年だったという。
「日本でのトレーニング中に足を骨折してしまい、退院してすぐにマン島へ行くことになってしまいました体力が落ちていたせいでバイクがいうことをきかないし、ブランクもあったのでスピードに対して恐怖しか感じられませんでした。そのことで自分の現状、そして限界を思い知らされた感じがしたんです。そういうときに限って、ダメな自分を他人と比較してしまって、さらに気持ちを落ち込ませてしまうんです。
他人と比べる必要なんてないとわかってるんですけど、あの人はうまく乗ってる、どんどん速くなってるのに、それに比べて自分は……と考えてしまうんです。こんな調子と成績では、来年はエントリーしても受理されないのではないかと、昨年のTTが終わったあとは不安でいっぱいでした」
みずからTTを引退する意思はなかったが、エントリーが受理されなければ事実上の引退である。山中選手はその覚悟をしつつ、それでも今年のTTに向けてトレーニングを重ねてきた。毎日スポーツジムに通い、ランニングも継続して筋力と持久力をつけてきた。仕事中でも頭ではTTコースをイメージし、走行ライン、ギアポジション、ブレーキポイントなどを繰り返し確認していた。
「今年は周回数が多かったし、走行キャンセルもほとんどなかったので、体力トレーニングをしていて本当によかったと思ってます。それでも最初の決勝レース(スーパースポーツTTレース1)では、直後に筋肉痛になりました。スーパーツインよりもスピードが出るので、サルビーブリッジやパーラメントスクエアの直前のように、まっすぐにがっつりとブレーキするポイントでしか気を抜けなかったですし、3周目からは全身が疲労して、とくに太もも、腰、右腕がつらかったです。
だからチェッカーを受けたときは本当にひと安心しましたし、無事に完走できたことが素直にうれしかったです。それと同時に、今ここでこうしていられるのは、応援してくださっている皆さんあってこそという思いもわいてきて、感謝の気持ちでいっぱいになりました」
前述したとおり、今年の初走行となった5月29日の練習走行で、山中選手は転倒した。ギア選択を誤り、コーナーでオーバーランした際、路面の砂でフロントがスリップダウンしたのだ。幸い、マシンも彼にもダメージはなかったが、ライブ配信カメラの直前だったため、コース上でマシンを必死に起こす山中選手の姿が放送され、彼の転倒は多くの人が知ることとなった。
「焦りすぎてたことが原因だと思うんです。去年がダメだったから、乗るまでは不安ばかりでした。今年の初走行だったので、早く慣れなきゃ、早くスピードを上げなきゃと思いすぎて、一歩ずつ行かなければならないところを二歩・三歩先に進めてしまったんです」
しかし山中選手はそこで冷静に自分の状況を判断し、気持ちを切り替えた。それは7年目のマン島という経験がそうさせた部分もあるが、転倒とその直後の様子がライブ配信されて多くの人に知られ、チームスタッフや知人、あるいは見知らぬファンたちと会うたびにそのことを冗談まじり、あるいは気軽に話してくれたことも理由のひとつではないかと、そばで見ていた私は感じている。
「そうですね。チームの雰囲気がほがらかですし、イアンさんはピリピリしたムードが漂うチームはよくないと言ってます。そんなチームで走れることはラッキーだと思います」
私がマン島TTで山中選手と初めて会ったのは’18年だった。当時は日本からチームを率いて参戦しており、監督も兼任していた。2年目のTTだからか不慣れなことも多く、また結果を出そうと意識しすぎていたと彼自身が語っていたように、レースウィーク中ずっと精神を張りつめてピリピリしていた。インタビューしようと私は何度もピットを訪ねたが、そのたび断られた。
しかし今年の山中選手は、いつ訪れても笑顔で迎えてくれたし、過度に緊張している様子はなかった。
「集中しすぎると焦りにつながるし、それがミスや転倒につながってしまいます。だからそうならないよう、とくに転倒してからは自分からまわりの人たちに話しかけて気持ちをリラックスさせるように心がけました。去年がどん底だったこと、そして今年の最初の走行で転倒したことで、自分にできないことを再確認させられたというか……気持ちの焦りが全部失敗につながっていたことを、あらためて実感したんです。
レースに早く慣れるとか、他人と比べるとか、結果を意識するとか、そういうことではなくて、そのときの自分にできるベストをひとつずつ尽くすこと。そのときまで見失っていた、自分が行くべき道に戻れました。 もちろんレースだから結果も大事なんですけど、結果がすべてではなくて、そこへ至る過程が大切だってこと。頭ではわかっていましたけど、それを身をもって知ることができましたし、そのことを多くの人に伝えられたらうれしいですね」
ブロンズレプリカ獲得によって、山中選手はひとつステップを上がることができたはずだ。それは来年のマン島TTが、彼にとって新たなステージになることも意味する。
「いつまでマン島TTに挑むのかは決めてません。エントリーが受理される限り、マン島TTを走りたいと思ってます」
もはや山中正之という人間にとって、マン島TTはレーシングライダーとしてのキャリアやライフワークといったものでは収まりきれない。彼の人生そのものといえるのだろう。
そして彼は、命ある限り人は成長できるという希望を事実として、私たちに見せてくれるのだ。