Motorcycle Life 世界GP125チャンピオンライダー『青木治親』の新たな挑戦
世界GP125クラスチャンピオン・オートレーサー青木治親さん。バイクが好きだから世界に出て、バイクが好きだから走る場所を変えた。バイクが好きで、もっと皆んなで楽しみたいから、障がい者の支援活動を始めた。周りを笑顔にする青木治親さんのバイク人生。もちろん本人も笑っている。
全ての行動の原動力はただバイクが好きだから
レースファンであれば、青木治親さんを知らない者はいないだろう。青木三兄弟の三男、本誌ではお馴染みの青木宣篤さんの弟だ。「青木さん」がカブるので、ここは「ハルチカさん」とお呼びしたい。そのハルチカさんは、WGP125㏄クラスの世界チャンピオン経験者だ。
WGPの時代から、現在のモトGPに至るまで、幾人もの日本人世界チャンピオンが誕生している。だが、ハルチカさんが残した実績は飛び抜けている。ただでさえ手にするのが難しい世界の王座を、2年連続で獲得しているのだ。獲得回数で言えば、同じ125㏄クラスで坂田和人さんが並んではいる。けれど、連続で達成したのは、現時点ではハルチカさん一人だけだ。
ハルチカさんの、現在の肩書きはオートレーサー。バイクを使った公営競技である、オートレースのプロライダーを務めている。ロードレースの世界からオートレースに転向したのは2003年。成績不振によりシートを失い、止む無く進む道を変えたわけではない。
二十代も半ばを過ぎたばかり、レーシングライダーとして脂の乗り切った年頃で、多くのチームからオファーはあったという。そんな中でのオートレースへの転向は、ファンにしてみれば裏切りにも思えたものだ。世界チャンピオンにまでなりながら、ロードレースから離れるのか? と。
「ずっとライダーとして生きていきたいと考えていました。GPは素晴らしい舞台ですけど、選手生命は短いですよね? オートレースは年齢が上がっても戦えるんです。70代の選手が現役で活躍していますからね。ずっとバイクで食っていくなら、オートレースだって考えたんです」
バイクが好きだから、バイクと共に生涯を送るための選択だったのだ。そう聞くと、なんとも嬉しくなってくる。世界チャンピオンが、こんなにバイクを愛しているなんて!
ところで皆さんは、オートレースという競技をどれくらい知っているだろうか? 多くの人は、ハルチカさんならオートレースでも勝ちまくっているだろうと想像しがちではないか? 現役のオートレーサーは400人ほど。戦績で全ての選手にランキングが付き、その順位によって上からS級、A級、B級にクラス分けされている。現在ハルチカさんはA級にランキング。世界チャンピオンをもってしても、簡単には勝てないのがオートレースなのだ。
「今までの最高ランクはS級で7位くらいです。オートレースのバイクは、フレームもエンジンもタイヤも全て共通でファイナルも固定。マシンの性能的な違いは、誤差の範囲です。リアサスペンションもブレーキもありませんし、手を加えられるのはキャブセッティングとバルブタイミング、タペットをいじってバルブの突き出し量を変えるくらい。セッティングの幅がとても狭いんです。
以前は、フレームはかなり自由にいじれたんです。その頃は今より勝てていた。共通フレームのレギュレーションになってから苦戦しています。ロードレースはマシンをセッティングして、自分の走りに合わせて仕上げていきますが、オートレースはライダーがマシンに合わせる乗り方が求められる側面が強いですね」
コースは全長500mのオーバル。周回数は、6周か長くても8周。レースタイムは3分に満たない。乗り手のテクニックはもちろん、仔細なマシンの差、勝負駆け引き等々、わずかな時間の中に膨大な要素が詰め込まれている。密度の濃い競技だ。
オートレースにオフシーズンはない。多忙な生活を送るハルチカさんだが、プライベートを投げ打ち熱中していることがある。それは、半身不随の障がい者の人にバイクで走る楽しさを味わってもらう活動、サイドスタンドプロジェクト(SSP)だ。
「モトGPの併催イベントで、半身不随の人がバイクでレースをする映像を観たんです。衝撃でした。その夜、ベッドに入っても、そのことが頭から離れない。タクちゃんも、もう一度バイクに乗れるんじゃないか? って」
タクちゃんとは青木三兄弟の次男、青木拓磨さん。拓磨さんは、WGP500㏄クラスに参戦していた時、シーズン前のテストで転倒、半身不随の障がいを負ってしまった。四輪のレースやラリーに出場、バイクレースを主催するなど、しっかりと社会復帰を果たしてはいるが、バイクで走ることは叶わなかった。いや、叶わないと思われていたのだ。
「夜中に飛び起きて資料を作り、兄貴(宣篤さん)に送りました。兄貴もすぐにやってみようって。いろいろと下準備をしてからタクちゃんに伝えたんです。バイクに乗らないか? って。そうしたら、『乗るよ、乗れるよ。言ってくるのが遅いんだよ』って言われました(笑)」
それが19年の鈴鹿8耐での、拓磨さんの走行に繋がっていく。CBR1000RRで鈴鹿サーキットを駆け抜ける拓磨さんの姿は、驚きとともに大きな感動を呼んだ。同年のモトGPツインリンクもてぎ大会では、三兄弟揃っての走行も実現した。
「タクちゃんの復活は8耐とGPじゃなきゃダメだって決めていました。あと、三人で走ることも。レースあっての青木三兄弟ですから。タクちゃんがバイクで怪我をしたのに、その後も自分と兄貴はバイクの世界で生きてきました。
どこか後ろめたさみたいなものを感じていたんです。三人でもてぎを走れた時は、嬉しかったですね。タクちゃんがバイクで走ったことで、障がい者の皆さんに諦めないで頑張ろうというメッセージを送ることもできたと思います」
その反響はハルチカさんの予想を超えていた。どうしたら半身不随の障がい者がバイクに乗れるのか?との問い合わせが全国から殺到した。
「最初は、タクちゃんがバイクで走れればいいとだけ考えていた。でも、世の中にはバイクに乗りたいと望む障がい者の人が、多くいることを知りました。そういう人が、タクちゃんの真似をして事故が起きることが怖かった。バイクが悪者にされてしまいますから。障がい者がバイクで走るためのノウハウも、ある程度蓄積できていましたし、障がい者の皆さんがバイクを楽しめる環境作りを考えたんです」
出来ることは限られています でも、今は実績作りが大切 SSPの活動を多くの人に知って欲しい
ハルチカさんは一般社団法人SSPを立ち上げる。事業内容はバイクを通じての社会貢献、具体的には障がいでバイクを諦めている人のサポート。SSPでは、これまでパラモトライダー体験走行会を7回開催。のべ11人のパラモトライダーが、バイクで走る夢を実現させた。
「バイクって中毒性がありますよね。バイクで走ることでしか得られない快感がある。それは健常者でも障がい者でも変わりません、同じ目線で楽しめる。ですが障がい者の方がバイクに乗るには、介助が必要です。皆さん、それが解っているから、自分からは言い出し辛い。SSPの活動は、健常者が障がい者を手助けするというより、皆でバイクを楽しもうというスタンスです。周りが、ちょっと手伝いさえすれば、一度は諦めたバイクの楽しさを感じられる。
箱根のターンパイクって、貸し切りできますよね。あそこでパラモトライダーと健常者が一緒に走るツーリングをやりたい。あのコーナーがどうだったとか、このマシンはココがイイとか悪いとか、バイク話で盛り上がれたらイイですね。きっと楽しいですよ」