レーシングライダー 小掠 藍【本音で語る。トーキンググリッド】
育成プログラムから、世界へ──。Moto2で活躍している小椋藍選手は、ニュータイプのレーシングライダーだ。
バイクに乗れば乗るほど、うまくなる。速くなる。
中野 Moto2で大活躍中の小椋選手ですが、昨年末、桶川スポーツランドでミニバイクレースに参戦していましたよね?
小椋 はい! 中野さんがいらしていてビックリしました(笑)。
中野 僕が代表を務めさせてもらっている「56レーシング」の所属ライダーを観に行ったんだけど、普通に小椋選手がミニバイクレースに出場してるもんだから、コッチの方がビックリしましたよ。
小椋 事前に告知してイベントみたいになってしまうと、一般参加の皆さんにご迷惑がかかってしまうので、当日まで伏せていたんです。
中野 素晴らしい配慮! そしてライディングも本当に素晴らしかった。ひとつのコーナーで見てましたが、すごくトライしていて、失敗すると次の周には細かく修正していましたよね。「今、桶川でオレが1番彼の走りを理解してるぞ!」と、心の中で勝手に自慢してました(笑)。
小椋 いやぁ、中野さんみたいなすごいライダーに見られてると分かって、緊張しましたよ(笑)。
中野 小椋選手のライディングを見てると、ものすごくレベルが高い。「ああ、時代は完全に変わったな」とつくづく思うんです。世界への道筋も、僕らの時代とはまったく違う。小椋選手は全日本を経由せずに、アジア・タレントカップ、レッドブル・MotoGPルーキーズカップ、そしてCEV Moto3ジュニア世界選手権からMoto3にデビューしてますよね。
小椋 スペンサーさんは今、MotoGPのレーススチュワード(審査員)をやってるんですよ。だからトラックリミットをオーバーしたかどうかとか、いろんなことでライダーとぶつかり合う立場をされています。
中野 スペンサーさんなんて、僕らからしたら神ですよ! ぶつかり合うなんて、とんでもない。これだけでも「時代はつくづく変わったな」と思わされます(笑)。
ローソン、ガードナー、ドゥーハン……。みんな憧れの遠い存在だったけど、小椋選手はMotoGPライダーたちに、そういう憧れみたいな感情を持ちました?
小椋 MotoGPルーキーズカップの参戦初年度は15歳でしたが、MotoGPと併催されているんですよ。子供のうちから間近に見てたので、ジワッと自然に馴染んじゃってるところはあったと思います。
中野 うらやましいですよ。僕の話で恐縮だけど、世界グランプリに行ったのが21歳の時。飛行機でヨーロッパに渡る時は、「父ちゃん、母ちゃん、戦ってくるぜ」みたいな(笑)、ちょっと悲壮な覚悟があった。
でも小椋選手の代になると、身近にMotoGPがあって、自然にその世界に溶け込んでいたんですもんね。
小椋 いやあ、まったく同じですよ。自分もアジア・タレントカップのオーディションを受けるために飛行機に乗る時は、さすがに「戦ってくる感」はちょっとありました(笑)。
中野 それが何歳の時?
小椋 中1だったんで、12、3歳でしたね。それぐらいの年齢だと、オーディションに合格するかしないかで自分の将来が大きく変わることが分かっていたので、めちゃめちゃ緊張してましたよ。「ここで失敗したら、オレのレース人生も終わりだ」ぐらいの感じでした。
中野 中1にして「自分の将来がここで決まる」という大きな山場を迎えていたんですね! それは逆に僕らの頃より厳しいかもしれない。
中1って、僕はミニバイクレースをしてて、まだ将来のことなんかぼんやりとしか見えてませんでしたよ。そうか、道筋がハッキリしてるっていうのは、かえって苛酷な面もあるんですね。
じゃあ、アジア・タレントカップのオーディションを受けるあたりから、「プロになるぞ」とか「MotoGPライダーになるぞ」みたいな意識を持っていたってことですか?
小椋 実は自分は、あまりそういう感覚はありませんでした。ただ目の前にステップがあって、それをクリアするとまた次のステップがあって……。という感じです。3歳の頃からずっとそんな感じだったので、「プロになるぞ」という感覚はなかったですね。ただ上を目指して走るってだけでしたね。
中野 どこかでこう、「すげえとこ走ってるな!」みたいに感じるタイミングはありませんでした?(笑)
小椋 CEV時代にワイルドカードで4回Moto3に出たんですが、その1回目の時は「これはすげえ!」と思いましたよ。
中野 おっ、やっと共通点が(笑)。
小椋 抜いて行くのがテレビで観るようなライダーばかりだったし、お客さんの数もものすごくて、走っていて「人!」と分かるぐらい。あの時は「すげえ!」と感動しました。
中野 そういう経験ができることも含めて、育成プログラムがちゃんと整っている今の環境は、すごくうらやましく感じるけど……。
小椋 はい。正直、ラッキーとしか思えないですよ。この世代に生まれて、世界につながるレールが用意されているっていうのは、本当に運がよかったな、と思います。
自分より前の世代の先輩方は、何もないところから自分で道を切り拓いていったわけですからね。ご苦労されたという話もよく聞くので。
中野 苦労しましたよ(笑)。でも僕のさらに先輩方に至っては、世界に行くってこと自体がものすごくハードルが高かったわけですからね。僕なんか、まだ楽させてもらった方なんじゃないかと。
小椋 僕たちの世代はもっと楽をさせてもらっていて、走りに集中できる環境も整っていると思います。 だから逆に、「もっとできるんじゃないか」とも思うんです。「もっとバイクに乗れるんじゃないか」って。
海外でレースしてるとすごくよく分かるんですが、イタリア人やスペイン人に比べると、日本人ライダーは圧倒的にバイクに乗ってる時間が短いんですよ。
考えることも大事だけど、ひたすらバイクに乗ることはもっと大事。バイクに乗る数とか、量とか、時間とかって、ものすごく大きな差になっていると思います。
中野 シンプルに、「走ってナンボ」ということですね(笑)。
小椋 はい。だってバイクを使ってレースをするのに、バイクに乗らないと速くはならないですからね。考えたり頭を使ったりするのは、バイクに乗ることにプラスすればいい話で、乗る時間を減らしちゃダメだと自分は思います。「考えることにこそ時間を使え」なんて話もたまに聞きますけど、走ることと考えることを両立すればいいだけ。基本はひたすらバイクに乗ることだと思っているんです。
中野 素晴らしい! 多くのレーシングライダーに響く言葉だと思います。僕たちの頃は、メーカーの開発に携わることもできたし、テストなどを含めて走る機会は多かったんですよね。しかもほぼ自分専用にマシンを作り込んでもらえる体制だった。小椋選手は「レールが敷かれていて幸運」と言うけど、ファクトリー体制ではないから練習の機会は自分で作る必要もあるし、しかもMoto2は、ほとんどワンメイクに近い中で結果を出さないといけない。ライダーの腕が勝負で、本当にレベルが高い舞台。大変だろうな、と。
小椋 タイム差が本当にシビアなので、例えば予選でちょっとでも天候に乱れがあるとすぐにポジションを落としちゃうんですよ。それがまた、決勝にも響く。
だからフリー走行の1発目から予選のつもりで、アタックしなくちゃいけないんです。セッティングしているヒマがないんですよ。例え思い通りにならないマシンでも、どうにか自分の力でタイムを出さないと。
だから、とにかくバイクに乗ることが、上手になることが1番。すごく単純な話ですが、速くなって、地力を上げるしかないんです。
速い人の走りを後ろから見ていても、セッティングうんぬんじゃなくて、人間の差だな、と。正直、今の段階では「ちょっと敵わないな」と思うこともあるんですよね。
中野 具体的には?
小椋 コーナーへの進入で、ブレーキにタッチしてからスロットルを開け始めるまでを、どれだけ短い時間にして、どれだけ向きを変えるか。これに尽きます。たぶん言葉にすると昔から同じことだと思うんですが……。
中野 ファクトリー体制でGP250をやっていた僕の時代は、メーカーの個性やタイヤの個性があって、時にはそれをダシにして言い訳もできたけど(笑)、今のMoto2はエンジンもタイヤも同じ。ライダーの腕次第、という面が大きくなっていますよね。タイムもすごい僅差で競われている。
小椋 リザルトで1位から10位までがコンマ5秒以内、なんてこともザラにあります。でも、すごく不思議なんですけど、コース上でのコンマ1秒差って、ものすごい違いなんですよ。数値以上に大きな、圧倒的な差を感じます。コンマ5秒なんて、はるか彼方(笑)。
中野 MotoGP以上に究極の競り合いをしているのかもしれない。Moto2は、本当にすごいと思う。
小椋選手は、その中で自分の強みは何で、逆に課題は何だと自己分析しているんですか?
小椋 20周を限界で走り続けられる力は、Moto2ライダーの中でもある方かな、と思います。だけど、ただ淡々と走るだけしかできなかった、という言い方もできる。もう1歩の成績が出せていませんしね。
この壁を越えるには、もう地力を上げていくしかない。そのためには、しつこいようですがバイクに乗るしかない。
中野 壁って具体的に何なのか、小椋選手には見えているんですか?
小椋 ちょっとマニアックな話になっちゃうんですけど、「いかにフロントを押さずにリアで曲がるか」ですね。上位の人たちと自分との違いはそこでした。
中野 フロントタイヤに負担をかけることなく、リアタイヤから曲がっていくライディングスタイル……。ものすごく難しそう。
小椋 ブレーキングから立ち上がりまで、フロントタイヤとリアタイヤを50対50で使うようなイメージですね。リアもスライドさせ過ぎないように、うまく体を使う必要があります。
自分もそういう走りができるはできるんですが、「ムズ!」となる。まだ、いっぱいいっぱいなんです。だけど上位のライダーは、余裕を持って何周もそういう走りができる。その差が「壁」ですね。
中野 そうすると練習も、ミニバイクに乗ったりモタードに乗ったりモトクロスをしたり、となる?
小椋 はい。バイクに乗るのが1番ってことになるんです。
Moto2でランキング2位になったラウル・フェルナンデスも、Moto3チャンピオンのペドロ・アコスタも、めちゃくちゃバイクに乗るんです。もう、強烈に乗る(笑)。あのふたりを見ちゃうと、やっぱり乗るしかないなって。
彼らは、ライディングを体で覚えているから、いろんなことが勝手にできちゃってる。しかもある程度の年齢になると、しっかり頭も使い始める。そうなったら敵わないですよ。
中野 マルク・マルケスとトレーニングしたこともあるそうですね。
小椋 1度だけですが……。実はマルクにも、3周だけならついていける。でも、彼はそのままのペースで30周走り続けるんです。こっちはイチかバチかの3周なのに、向こうは正確に30周をこなしていくんですよ。
自分たちレーシングライダーは、「アイツにできるならオレにもできる」と考える生き物ですが、まだちょっと届かないな、と。
中野 でも、3周でもついていけるってことは、小椋選手にはもう絵が見えてるんだと思うんですよ。マルクと30周走る自分の絵が。
僕なんか、彼の走りを眺めていても、絵が見えてこないんです。分析はできても、そこに辿り着くための答はまったく見えてこない。この差は大きいですよ。
小椋 あと27周もありますからね(笑)。だからますます、バイクに乗るしかなくなるんです。
中野 僕が桶川スポーツランドで観ていた時は、まさに小椋選手がマルク役になっていましたよ。みんな1周はついていけるけど、少しずつ離されていく。最高にいい刺激になったと思います。「マシンがどうした、セッティングがどうだ、タイヤがどうだ」とあれこれ考えがちなところに、小椋選手が「走ってナンボ」の威力を見せてくれるのはすごく価値がある。またミニバイクレースに参戦して欲しいなあ(笑)。
小椋 スペインでは当たり前のように、トップライダーたちがキッズたちに混ざってミニバイクコースを走ってたりするんです。自分も少しでも役に立てたらいいな、と思っています。
中野 小椋選手と話していると、本当にレベルが高くなっていることを感じます。いよいよ最高峰クラスでチャンピオンになる日本人ライダーの姿が目に浮かぶんですよね(笑)。
小椋 もちろん自分もそれを目指しています。でも、たとえ自分が届かなかったとしても、すぐ次の世代が夢を叶えられるようにしたい。1世代だけが速くても仕方がないので、次、また次と、どんどん繋げていきたいんです。
中野 小椋選手、Moto2で初表彰台に立ちましたが、あまり爆発的に喜んでいる感じでもなかった。
「もう次のレースのことを考えているのかな」と思うと、日本のおじさんにはたまらないものがありました(笑)。
小椋 そうなんですよ。自分はレースが終わると、悪かったことの反省の方が先に来ちゃうんです。もっとワーッと、今、この瞬間を喜ぶようにしないといけないなって。
中野 僕も現役時代にはそういうところがあったみたいで、フランス人チームオーナーのエルベ・ポンシャラルさんに「シンヤ、人生は1回なんだ。その場その場で楽しめ」と言われて、考え方を変えました。
小椋 ライダーがあまり喜んでいなかったら、その場の雰囲気にも影響しますしね(笑)。
中野 でも日本のおじさんとしては、無駄に喜ばない侍のような小椋選手の姿も見続けたい(笑)。
小椋 じゃあ、初優勝の時は爆発的に喜びます。2勝目以降は、無駄に喜ばないスタイルで(笑)。