パドックから見たコンチネンタルサーカス【クリスチャン・サロン】
’81年から国内外の二輪、四輪レースを撮影し続けている折原弘之が、パドックで実際に見て、聞いたインサイドストーリーをご紹介。今月は、リーンウィズスタイルを貫いた、サロンの矜持について。
グランプリシーンにおいて、ライディングスタイルは大きく変貌している。’60〜’70年代中盤まではジャコモ・アゴスティーニを代表としたリーンウィズのスタイル。’70年代後半からは、ハングオフが主流となった。このスタイルをヨーロッパのレースシーンに持ち込んだのがケニー・ロバーツだ。
その後フレディ・スペンサーがハングオフしながら、リーンアングルに対して上体を起こし気味に乗る、言うなればハングオフしながらのリーンアウトスタイルで、当時のグランプリシーンを席巻していた。そのスタイルはその後、ケヴィン・シュワンツやミック・ドゥーハンといったライダーが継承している。そんなアメリカンスタイルが全盛の中、美しいリーンウィズスタイルで戦い続けたライダーがいる。それがフランスの伊達男、クリスチャン・サロンだ。
’55 年フランス生まれ。’76 年350ccクラスで世界GP デビュー。500ccクラスを経験した後、’84年に250ccクラスチャンピオンを獲得。翌年再び500ccクラスに昇格し、西ドイツGPで1勝を挙げ、シーズンランキング3位に。当時主流だったパワースライドを使わず、前後輪を滑らせてドリフト気味に走る、今となっては現代的なライディングスタイルが特徴だった
彼を語る上で、’85年の西ドイツGPは外せないエピソードだ。彼自身の最後の勝利であると共に、最高峰クラスで挙げた唯一の勝利ということもある。でも、彼の名を一躍世界的にしたのは、その時のレース内容だった。
激しい雨が降りしきる中、スタートの出遅れを巻き返しての勝利だと聞いている(僕が渡欧したのが、西ドイツGPから3レース後だったため、実際には目撃していない)。
その雨中の激走が、あまりにも強く印象に残ったため「雨男」のニックネームまで付いていた。僕がGPを撮影するようになっても、雨が降れば必ず上位にいた。もちろんドライコンディションでも抜群に速かった。そして、もうひとつ彼を印象付けたのはスタートだった。
当時はまだ、押しがけスタートが採用されていた。クリスチャンは、スタートがすこぶる苦手なようだった。ハスラムのような筋力があったわけでもない上、ホンダのように始動性が良いマシンでもなかった。
僕の知る限り、スタートで順位を上げたレースは一度もなかったように思う。ただ、僕の言うスタートでの印象というのは「スタートが下手」というものではない。クリスチャンはマシンの右側に立って押しがけをする、珍しいライダーだったからだ。
初めて見た時には、「エッ、何かの間違い」としか思わなかった。僕にとっては違和感しかなかったのだが、師匠の坪内氏によると、ヨーロッパのライダーにはわりといるらしい。自分が知らなかっただけで、いわゆる左利きということらしかった。そんな印象もあり、いつか話してみたいライダーの一人だった。
その年のスウェーデンのことだ。僕がミシュランの名物エンジニアであるスヌーピー(僕はこの愛称しか知らない)と話していると、クリスチャンがスクーターで現れた。タイヤの打ち合わせをしているようなので、大人しく聞いていた。とは言え、すべてフランス語なので、僕にはチンプンカンプンだったのだが。ひとしきり打ち合わせが終わったようなので、英語で話しかけてみた。
「クリスチャン、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」 と僕。すると彼は、キョトンとした顔でスヌーピーに目をやった。するとスヌーピーが教えてくれた。
「オリ、知らないのか? 彼はフランス語しか出来ないぞ」
なるほど、彼の所属するソノートヤマハはフランスのチーム。自国語だけで不自由しないのだ。そこでスヌーピーに通訳に入ってもらい、話を聞くことができた。
まずは「西ドイツGP優勝おめでとう」と言うと。
「敵国ドイツ(ドイツとフランスは昔から仲が悪い)で勝てたのは、痛快だった。次は自国で勝ちたいね」 とジョーク混じりで答えてきた。続いて僕。
「クリスチャン、なんでリーンウィズスタイルで走っているの? ハングオフした方が有利じゃない」
と気になっていたことをズバッと聞いた。クリスチャンはニヤッと笑て「怖いからだよ」と短く答えた。「いや、ジョークじゃなくて真剣に」 と続けると。
「本当に怖いからなんだよ。もちろん僕も試してみたよ。あの方が速く走れると思ったから。でも僕のコーナリングスタイルは、バンク中でも上体を伏せ気味で走ってるだろ。そのままハングオフすると、地面がすごく近くなるんだ。感覚的には、路面に触れてしまうのではないかと思うくらい。しかもエディのように速く走ることもできなかった。僕には合わないスタイルだと、すぐに気付いたからやめたんだ」
しかし上体を内側に入れたほうが、バンク角を稼げるというのが今の常識なのに。と思っていると。
「君の考えていることはよく分かるけど、ドイツで僕は証明したはずだよ。雨の中でさえ僕のライディングは、他の誰より速く走れたことを。僕はこれからも、このスタイルを止める気はないよ」 と言ってチームに戻っていった。
短い時間だったけど、クリスチャンと話せてよかった。僕はスヌーピーに礼を言って、パドックに戻った。
その日の午後、ゴロワーズブルーのマシンと同じ角度でバンクしている後ろ姿を撮影した。もしかしたら、速いのはフレディやエディかもしれない。
しかしマシンとライダーが、限りなくひとつに近いのは、クリスチャンかもしれない。今やマイノリティになってしまったスタイルも、僕にとってはとても美しいライディングフォームに思える。