モトコルセ代表・近藤 伸さんに訊く「奇抜でアーティステックなプロダクトを創造するイタリアの発想の源とは?」
モトコルセが、ドゥカティを中心として数々のイタリア製品を取り扱うのは、代表の近藤さん自身がイタリアンプロダクトに魅了されているからに他ならない。イタリアンのものづくりの魅力はどこにあるのか、近藤さんに話を聞いてみた。
PHOTO/N.SHIBATA TEXT/T.YAMASHITA
イタリアと日本ではものづくりの土壌が違う
「イタリア人は自身のアイディアをかたちにするための情熱を持っていますし、それを支える体制が整っていることも大きな理由だと思います。ものづくりにおいて、組織の効率よりも個人の能力を尊重する土壌があるんですね。性能・機能・デザインのためならコスト増でもそちらを優先する、そういう気質というか〝いいカッコ〞をする文化があるのです」
イタリアンプロダクトが生まれる背景について、近藤さんはそう語る。古代ローマ時代、そしてルネッサンスを経たイタリアの歴史そのものが土壌となっているのだろう。
「ハードウエアの完成度が上がったことも、イタリアンプロダクトの機能を高めました。とくに近年のドゥカティの電子制御技術の進化は著しいものがあります。しかもほとんどが世界に先駆けてドゥカティが独自に開発したものばかりです。電装系の品質が上がったことで、イタリア人エンジニアたちのアイディアがきちんと機能できるようになったと言えるでしょうね。それまでは先進のアイディアを機能させ、成果につなげる事が困難だったのです」
これはMotoGPでも指摘されていることで、イタリア勢の躍進は、失敗を恐れることなく新しいアイディアを実践していった結果だ。対して日本メーカーは、アイディアがあってもかたちにならないような組織体制になってしまっている。これはホンダもヤマハも認めている事実だ。
イタリアンプロダクトはどうして格好いいのか
「彼らは新しいものにチャレンジすることに貪欲です。ドゥカティもビモータもヴァイルスも、作りたい物しか作れない、作りたくない、という一面があります。これはある意味で不器用という言い方もできますが、言い方を変えればそれぞれのブランドの個性を演出することに長けているのです。たとえば、パニガーレのヘッドライトとテールライトのデザインがそうです。LEDでコスト高ですが、ユニークで美しくスピード感に溢れた造形はいかにもドゥカティというデザインに仕上がっていると思います。こうしたイタリア人の気質やセンスは、やはり古代ローマ時代から2000年以上にわたって磨き上げられてきたのだと思います。当時の建築物の構造がしっかりと計算しつくされていたからこそ絶大な存在感と共に現存しているわけですが、そこに造形美や装飾美が機能美としてもしっかりと込められています。建築だけではなく、彫刻や絵画といった美術もそうですね」
もちろんこうした芸術は王族や貴族がパトロンとなってクリエイターたちに投資して作らせたわけですが、彼らだけで愛でるのではなく、凱旋門や円形の劇場や闘技場、街のいたるところに置かれた彫刻などのように、今日でも庶民の目に触れる場所に数多くあります。ゆえに、イタリアに暮らす人々は、そういうレベルの高い造形が基準であり、それらに触れる機会が日常である。芸術に親しみ、楽しむ文化がすでに2000年以上前からあったのだ。
日本でそうした美術、芸術に庶民が触れる機会が増えるのは江戸時代以降と、歴史が浅い。また、日本の美術の真髄は侘び寂びにあります。湿度の高い温帯に属するこの島国では、石材より木材が建築に適している。また、地震や噴火、洪水といった自然災害が多いため、数百年という長い時間に耐えられる建築物は少ない。スクラップ&ビルドから逃れられない。だからこそ、美の対象が侘び寂びにならざるを得ないという側面があるのだ。
「格好良さやお洒落には、厳しい側面があって、それを身に纏うには我慢しなければならないことがあります。だからといってそれらを取っ払ってしまったら、美しさもなくなっていまいます。近頃は“よそいき”という言葉があまり聞かれなくなりましたが、イタリア製品は、まさしく〝よそいき〞です」
たとえば女性のハイヒールがそうだ。身体に厳しく歩きづらい靴であるが、脚線美を強調するために我慢する。ドゥカティ、ビモータ、ヴァイルス、MVアグスタ、モトグッツィなど、イタリア車を所有して楽しむには色々な意味で自覚も不可欠だ。
「初めて見たときから格好いいと感じるプロダクトは、どれもディテールにこだわっています。“神は細部に宿る”と言いますがそのとおりです。最近のビモータで私がいちばん気に入っているのはテージH2です。細部まできっちりと作り込まれていますし、デザイン、性能、クォリティ、どれもがビモータらしさに溢れていて惚れ惚れします」
イタリアではなぜ小規模メーカーが生き残れるのか
「ひとつは投資に対する習慣の違いでしょうね。ビジネスの世界ではホテル経営がひとつのステータスですが、イタリアやヨーロッパではバイクメーカーも同じポジションにあります。だから投資家たちが次々と現れ、経営不振に陥ったブランドに投資するのです。また、パトロン文化が確立している点も大きな理由だと思います。バイク市場がしっかりと存在していますから、レースチームをスポンサーすればそれが利益につながります。このあたりはバイクという乗り物の価値が社会に浸透しているからでしょう。結局、イタリア人はバイクが大好きなんですよ(笑)。だから、いいバイク、美しいバイクを作ればそれが名誉になりますし、スポンサーや投資家もつくのです。」
イタリアの新聞のスポーツ面は左ページにサッカー、右ページにMotoGPのニュースが載っている。スポーツ新聞ではなく、一般紙の話だ。バイクレースはそれほど注目度が高い人気スポーツであり、ニューモデルや販売台数の記事なども日本では想像することすらできない状況が、イタリアでは日常となっている。
日本で似たような土壌がある文化といえば、相撲や歌舞伎といった伝統文化を中心として、芸能界にはタニマチと呼ばれる後援者が存在し、彼らはそれをステータスのひとつと考えている。スポーツ界ではプロ野球を筆頭に大企業が同様の理由でチームを所有する。しかしモータースポーツには当てはまらない。
MVアグスタを復興させたクラウディオ・カスティリオーニは、自ら起業して成功させたカジバを捨ててMVアグスタのブランドを継承した。前述したようにそれはステータスであり、投資であったろう。しかし同時にノブレス・オブリージュともいうべき騎士道精神が働いた部分も大きかったのではないか。イタリアの誇りであり、名誉であるMVアグスタを歴史から消し去ってはいけない、後世に残さねばならない。そのために財産をなげうち、ブランドを残した。彼にとって、カジバという彼自身の成功よりも、MVアグスタという少年の頃の憧れ、イタリアの名誉のほうが大切だったのではないか。
「四輪車メーカーもブランドも含めたバイクの価値を分かっていますから、ドゥカティにはAMGが興味を示し、のちにアウディ(フォルクスワーゲン)が傘下に収めたのです。」
BMWへ睨みをきかせるため、アウディはドゥカティというバイクブランドを手中にしたいという企業戦略もあったかもしれない。とはいえ、それと同じくらい、イタリアのバイクメーカーには価値があるのだ。
「このあたりの事情は車両メーカーに限らず、ビモータのような小規模ブランドからブレンボ、STM、カピット、アルトといったパーツメーカーも同様です。バイクには価値があり、投資の対象になるからこそ、小規模メーカーが高性能、高品質なプロダクトを生み出せるのです。」
古代ローマ、そしてルネッサンスを経たイタリアの美に対する執着と情熱。それを支える文化的土壌。イタリア製品の機能美は、2000年以上にわたって培われた。まさしく「ローマは一日にして成らず、すべての道はローマに通ずる」のである。