【レースアナウンサー|竹内さくらさん】表現者としての基盤はバイクから生まれた【モーターサイクルライフ】

竹内さくらさんは、レースアナウンサーとして活動する傍ら、プライベートでもロードレース、オフロードにトライアル、キャンプツーリングも楽しんでいる。バイクとデザイナーの二刀流をこなすバイタリティーはどこから来るのだろうか?また昭和時代に憧れを抱き、当時のグッズを集める理由はいかに?
PHOTO/S.MAYUMI TEXT/Y.KAWASAKI

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竹内さくらさんといえばレースアナウンサーとして、各サーキットでその声を耳にする機会が多い。軽快な中にも落ち着いた声質は、サーキットだけでなくイベント会場などでも、多くの方から親しまれている。
レースアナウンサーになるきっかけは、なんだったのだろうか。
「両親も妹もバイクには乗らないんですが、自分だけ中学生くらいから車やバイクが好きだったんです」
免許の取れない中学時代は、再放送のアニメ「YAWARA!」を観て、「柔道やりたい」と柔道部に入部した。なんと黒帯まで進んだという。
そして高校に進学。そのころには、「早く免許を取りたい」とバイク熱は高まっていた。その熱は、一人でオートサロンや東京モーターショーに行ってしまうほどだった。
驚いたことに、現在仕事を共にしている“MCシモ”ことレースアナウンサーの和田鉄平さんとは、このころからの知り合いだとか。


16歳になると、すぐに原付免許を取得した。
「両親に免許のことは何も言わずに取っちゃったんですけど、怒られることはなく、ジョグZRを買ってくれたんです」
通学では乗らなかったが、プライベートはいつもジョグで出かけていた。そしてある時、仲間にサーキット走行会に連れていってもらった。
「みんなが膝を擦りながらコースを走っている姿を見て、『こんな世界があるんだ、すごいなぁ』と驚きました。世界が広がった感じがしたんです」と興奮気味に話す。
徐々にサーキットを走るようになり、「自分もみんなみたいにギア付きに乗れたらいいなぁ」と思って購入したのはNSR50だった。

当時はリュックを背負った方が楽だということすらわからず、ショルダーバッグにケミカルなどを入れて、サーキットまで自走で行っていた。
「負けず嫌いな性格なので、みんなができているのに、なんで自分にはできないんだろう? という悔しさがあり、どんどんサーキット走行にのめり込んでしまったんです」
笑顔で答えるさくらさんだが、“勝負に負けたくない”という気持ちは、中学時代の柔道で培った勝負魂・武道魂があるのかもしれない。

サーキットにのめり込んでいき、モトクロッサーCR80のエンジンをNSR50のフレームに載せたりしたこともあった。そしてミニバイクレースをやるようになり、NSR50や80に長く乗っていた。
その後、普通二輪免許を試験場で受験し、見事合格。大型二輪免許は教習所に通って取得した。
さくらさんには、もう一つの顔がある。それはデザイナーだ。
小さいころから絵を描くことが得意で、図画工作も好きだった。高校卒業後の進路で自動車整備学校に進むことも考えたが、当時はクルマ系の市場があまり良くなかったこともあり、デザイン系の学校に進学することを決め、グラフィックデザインを専攻した。

卒業後は女性ファッション誌に携わるデザイン事務所に就職。3年ほど勤務して独立した。
バイク関係の知り合いが多かったこともあり、レーシングスーツのロゴやオリジナルキャラクター、イベントのポスターなどの制作を請け負う、グラフィックデザイナーとして活動中だ。
デザインを生み出す才能は、レースアナウンサーとしての表現力を作り出すということに、何か共通するものがあるのかもしれない。
鈴鹿8耐はすごい自分も携わりたい!
2017年に初めて鈴鹿8耐を観戦に行き、スタートとゴールシーンに、それまでにない感動を覚えたという。
「すごいライダーたちが同時に走るんだ、という驚きと緊張が伝わってきました。スタンド席にも多くのファンがレースを観に来ていて、こんなにバイクが好きな人たちがたくさんいるんだ! ということを知れて嬉しくなったんです」
その時は「鈴鹿8耐はすごい!」と興奮しながら帰宅した。翌年も観戦したが、家に着いてレースシーンを思い出しながら、「この感動を伝えるお手伝いがしたい!」と思うようになった。
「自分も8耐に携わりたい」という気持ちはどんどん強くなり、胸は高鳴るばかり。ついに2020年3月、鈴鹿サーキットに直接アポイントを取り、面接を受けた。

しかし当時は、まだレース実況やアナウンサーとしての経験は少なかった。そこで、「なんでもやります。ファンの皆さんに感動を伝えるお手伝いをさせていただきたいです」と直談判したのだった。
さくらさんの熱意が通じ、「来年の8耐からレポーターとして」という許可が出た。しかしコロナの影響で、鈴鹿8耐は2年連続で中止になってしまった。
ようやく2022年に再開されると、念願の鈴鹿サーキットで、ピットレポーターやメーカーブースのトークショーMCなどを務めることができた。以後、鈴鹿8耐ではピットレポートやイベントMCとして、時間を余すことなく動き回っている。
「自分でもイベントレースに参戦しているため、規模こそ異なりますが、選手の気持ちに少なからず寄り添えるものはあります。選手一人ひとりに、レースに関わるストーリーがあることも把握しています。

その選手たちのエピソードを伝えることで、ファンの皆さんによりレースを身近に感じ、楽しんでもらいたい。そのための実況ができることが、レースアナウンサーの醍醐味だと思っています」
デザイナーとしての表現と、レースアナウンサーとしての言葉の表現。共にその向こうには、楽しんでもらいたい相手がいる。その相手のために何かを作り出す。だから、どちらも外せない天職だという。
その表現力の強い味方は、もしかすると「昭和」時代の「ものづくり」に対する情熱に惹かれている事ではないだろうか。
1980年代――特に1985年ごろは、バイクにしてもパーツにしても、またバイク以外の生活用品でも、各社しのぎを削る激戦が続いていた。バイクは、ニューモデルが次々と発表されていた。



時代が変われば生活様態も変化し、忘れ去られるものがある。でも、いつの時代にもどの世代にも、愛されるものは残っている。いわゆる昭和をどっぷり感じる物品だ。
平成世代は、この昭和に流行ったものに魅力を感じるらしい。さくらさんも、その昭和にはまっている。
「昭和のものからは、当時の開発者たちの熱い意気込みと熱量が伝わってくるんです。当時のバイク誌をオークションで入手すると、『こんなショップがあったんだ』って知ることもできます。歴史からその文化的なことまでわかると、さらにバイクのことが好きになるんです」



昭和グッズに囲まれてのバイクライフ。まるで生まれてくる時代を間違ってしまったかのようで微笑ましい。最新のバイクやパーツなども、それぞれに歴史があって、今この製品が成り立っているんだということが理解できる。そして、その経緯を知ることも楽しいらしい。
昭和を感じながら、自らプライベートでロードレースやサーキット走行会に参加することで、さらにレースアナウンサーとしての引き出しは増え続けている。
さくらさんは、「将来、鈴鹿8時間耐久のレース実況ができるようになりたい!」と、日々アンテナを張り巡らせている。
