【里中はるか(はるか180cm)さん】バックパッカーからはじまった海外レンタルバイクツーリング

海外ツーリングを最も簡単に楽しむ方法は、レンタルバイクを利用することだ。そうは言っても、インドの奥地・ヒマラヤとなれば話は違ってくる。標高5000mを超える土地は空気が薄く、気温は低く、高山病の不安のほか、ガードレールのない山道を安全に走破するための知識、体力気力が不可欠だ。そんな旅を楽しむ里中はるかさんのモチベーションは、どこから来るのだろう。
TEXT / T.YAMASHITA
PHOTO / S.MAYUMI

海外を旅するようになったのは大学生の時だ。それ以前に初めての一人旅で、はるかさんは東北地方を巡った。この経験で「自由で好きなことをできる」ことに気づかされ、海外をバイクでツーリングする原点になったという。
「バレー部に在籍していたのですが忙しくて大変で、ボランティアの名目なら部活を休めるかもと、ベトナムの子供たちと遊ぶボランティアに参加したんです。新しい経験をしたかったことも動機のひとつでした」
ベトナムを訪れたかったわけではなく、ボランティアの活動先がたまたまベトナムだった。それでも日本とはまったく異なる文化や価値観は、はるかさんの心を大いに刺激した。300万人もの犠牲者を出しながら、アメリカを退けた戦争を経て独立を果たした社会主義国家、という歴史を持つ国での体験は、はるかさんにカルチャーショックをもたらした。
「日本よりも物事が緩やかで、昼間から道端でエネルギッシュにおしゃべりしてる人たちがいたりと、いろいろなことがきちんきちんとしていないからラクなんです」
初めての海外生活ではるかさんは、日本という島国でしか通じない常識に縛られすぎている自分を見つけた。それからはフィリピン留学のほか、卒業旅行はペルー、ボリビア、コスタリカなど中米を巡る1カ月半の旅に出かけ、文化の違いを感じて見聞を広げた。
「初の海外一人旅はインドへ行きました。詐欺に巻き込まれそうになったり、スマートフォンを盗まれたり、大変な目にも遭いましたけど、エネルギッシュでカオスな空間にいると、いろいろなことがどうでも良くなって気持ちがラクになるんです。ああしなくちゃ、こうしなくちゃと社会に自分を合わせる必要がなくて、伸び伸びと自分らしくふるまえるんです」

大学を卒業してからもはるかさんは海外旅行を続けた。それまではバックパッカースタイルだったが、ドイツを訪れたときに初めてレンタルバイクを使ってツーリングをした。ニュージーランドでもレンタルバイクで旅をしたほか、フランスではレンタカーで南仏を訪ね歩いた。
「父が乗っていたので日常的にバイクがあったんです。大学は原付で通っていて、バイクの免許を取りたかったのですが、時間がなくて。後ろめたさもありましたが、うつで休職中に今後の自分の支えになる趣味をつくろうと思い、クルマと大型バイクまで取りました」
初めて買ったバイクはBMW F800Sで、旅のスタイルはバックパッカーよりもバイクツーリングが増えていった。新型コロナ禍に見舞われている中、はるかさんはF800Sにテントを積んで、北海道から九州まであちこちを巡った。

「もともとBMWが格好いいと思ってました。いくつもお店を見て回って、惚れたのがF800Sです。クルマより小回りがきいて、自転車より遠くへ行ける。バイクだと旅がもっと自由気ままになって、勇気がわいてくるんです」
単行本にまとめられたインド・ラダックのツーリングは2022年のことだ。翌年にトルコ、そして2024年にはラダックとトルコを再び訪れ、バイクでツーリングをした。
「去年のトルコは新婚旅行を兼ねていたので二人でしたが、女性が一人で海外を旅することにはやはりリスクがあります。でも、だからといって、怖気づくよりも好奇心のほうが勝っているんです。自分でできる範囲の冒険ですね。ひとつの生き物として旅をするとき、エネルギーが湧いてくるんです」




意思疎通がままならず、文化習慣も異なる異国での一人旅では、何か問題が生じたらすべて独力で解決しなければならない。そうした事態に陥らないための準備と注意は不可欠だし、だからこそ知識と経験、時には勘を最大限に働かせる。そうした状況下では、一人の人間というよりも、一個の生命体としての本能が発揮される。はるかさんが言うエネルギーとは、生きる力そのものだ。
ありのままの自分で生き好奇心を満たすための旅
「普段は他人の目や評価を気にするタイプで、つい自分と比べてしまいます。人は好きなんですが、対人関係は常にプレッシャーで、人が怖くもあります。でも海外を旅していると、社会に対する殻を外して剥き身の自分でいられるんです」
生活の糧を狩猟採集から農耕牧畜に変えて以降、人間という生き物は自然よりも文明や社会という自らが作り上げた環境に依存し、その中で生きる動物になった。小難しい言葉を使うと、これを自己家畜化というそうだ。そして人間は自宅を出て社会に入るとき、誰もが衣服を身につける。同じように、心にも殻や鎧のように硬い衣服をまとい、やわらかな心を守りながら社会の家畜となる。


およそ1万年前に農耕生活をはじめて以来、人間が背負い続けてきた悲しき宿命は、科学の発達で社会が複雑化する中で、さらに厳しく過酷な現実をもたらすようになった。
「旅に出る動機は、現実逃避の部分もあるんですけど、考え方や生き方が自分とは違う人との出会いも旅ならではの喜びですし、街よりも自然のほうが好きだからです。いろいろなことがあって落ち込んで、自信を失くして諦めている時にラダックへ行ったのですが、殻を脱げたことで元気になって帰国できました」
ラダックをバイクで旅した紀行漫画とツーリングガイドをまとめたはるかさんのデビュー作『女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。』には、彼女のそんな心の有り様も克明に描かれている。


「描きたいテーマを最後までやりきれました。今はちょっと燃え尽きた感がありますけど、トルコツーリングやイランのこと、新型コロナ禍の時に巡った国内のことも漫画で描いてみたいと思っています」
出版後は『ヒマバイ展』と称した個展をライダーズカフェなどで開き、読者と積極的に交流している。漫画は表現としての手段にとどまらず、重すぎる殻に疲弊した人々との絆を深めるツールにもなっている。
「体験を読者の皆さんと共有し、一緒に疑似体験して、コミュニケーションできたことが嬉しかったです」
念願の漫画家デビューを果たしたはるかさんだが、今のところは会社員と並行して活動していくという。


「漫画を描くために旅をすることはやりたくないんです。自分の気持ちが乗ることを、そのままかたちにできれば嬉しい」
プロとして創作を続けていけば、儲けるための作品を描くことを強いられ、手段と目的が逆転してしまう。そうなると作家は、己の足を食べて飢えをしのぐ蛸のように、命を削って作品を生み続けることになる。
そうならないために、はるかさんは旅人であり続けたいと考えている。
「モンゴルやキルギスを走ってみたいですし、東南アジアや中南米も今度はバイクで周りたいです」
長引く不況と円安により、海外旅行のハードルは高い。しかしグローバル化と民族多様性が高まる今だからこそ、異なる文化や価値観、海外諸国の目覚ましい経済発展を目の当たりにする体験は、ますます重要で大切になっている。
はるかさんの旅は、この島国を支える大きな原動力となるはずだ。
