二輪レースを間近で見続けて40年 『世界一美しいライディングフォーム』の若かりし頃
’81年から国内外の二輪、四輪レースを撮影し続けているフォトグラファー折原弘之が、パドックで実際に見聞きしてきたインサイドストーリーをご紹介 今月は、美しいフォームで世界王者に上り詰めたエディ・ローソンが青年・折原の写真を見て語った、プロフェッショナルへの敬意について。
フォトグラファー折原弘之が振り返る パドックから見たコンチネンタルサーカス
83年にケニー・ロバーツとの一騎打ちで、チャンピオンを獲得したフレディ・スペンサー。そのフレディが同年の日本グランプリ(全日本選手権の最終戦)にエントリー。鈴鹿でフレディが走る姿を撮影する事ができた。それ以来、あの衝撃的なライディングが頭から離れず、「WGPでフレディを撮りたい」と思い続けて1年が過ぎ、 85年に撮影のチャンスを掴んだ。
第6戦ユーゴスラビアGPに向かうときの、ワクワクは今でもはっきりと覚えている。しかも85年はフレディが250&500㏄のダブルチャンピオンを決めた年。まさに全盛期のフレディを撮れるチャンスだったのだ。
ユーゴスラビアまでの成績は250&500㏄共に5戦3勝と絶好調。 金曜日のフリープラクティスに備えて前日に現地入りするも、興奮で寝付けなかった事も鮮明に覚えている。そしていよいよフリープラクティスが始まった。80、125、250㏄(この頃フレディは体力温存のため、250㏄のプラクティスをキャンセルする事が多かった)がフリーを終 え、いよいよ500㏄が始まった。
僕は興奮を抑えながら前日ロケハンし、目星をつけた撮影ポイントへ急いだ。 多くのロスマンズカラーのマシンに混じってフレディも走り出した。大きくハングオフし、上体を起こしリーンアウト気味に乗る独特のフォームはイメージ通り。20カ月待ち続けた甲斐があった。
しかし、僕の目が釘付けになったのは別のライダーだった。そのライディングフォームは、ただただ美しく僕を魅了した。 フレディのライディングフ ォームは異形。速いからカッコよく見えるのであって、フォルムとしての美しさとは違っていた。
ところがエディ・ローソンのフォームは、それ自体が美しいのだ。スムーズなブレーキングからターンイン、マシンのリーンアングルと平行に倒しこまれる上体。適度に作られた懐、若干イン側に傾いたヘルメット。エディのフォームはベストバランスだ。少なくとも僕にはそう思えた。
そんなエディのライディングはどのコーナーで撮っても絵になっているように思えた。当時、僕は師匠の坪内さんから「どの時間に、どんな光のコーナーを選ぶかだけじゃなく、そのコーナーには誰を撮りに行くのか決めてから行け」と言われていた。
僕は常にフレディとエディを意識してコーナーを選んでいた。しかし二人ともどのコーナーで撮っても絵になってしまう。それはそれで良いのだが、もう一歩踏み込んで撮りたいと思うようになっていた。そして行き着いた答えが、ライダーが気持ちよく走れるコーナーならそれが一番いいはず。というシンプルなものだった。
しかし、それを実行するには直接話を聞かなければならない。グランプリに来たばかりの日本人カメラマンを、ワールドチャンピオン達が覚えてくれるわけもない。良いアイディアが浮かばないまま3レースが過ぎた頃、いきなりチャンスが訪れた。
フランスGPが行われるル・マンに移動し、いつものように木曜日にコースを歩いて下見していた時だった。スクーターでコースの下見をしていたエディが、いきなり「ハーイ」と声をかけてきてくれた。これを逃したらもう二度とチャンスがないと思い、話しかけてみた。
「エディ、僕のこと覚えてくれてるの?」と僕。するとエディはニコニコしながら「あの長いスパのコースを、(アップダウンが激しく全長も約7㎞でGPサーキット最長)歩いているフォトグラファーなんて君くらいだよ」と言ってくれた。
僕は驚きと嬉しさが 入り混じった感じで困惑しながらも、最大のミッションに移った。 「エディ、あなたはこのコースで、どのコーナーが一番好きなの?」と聞くと、なぜそんなこと聞くんだと言った風情で「明日走った後で聞きにきなよ」と言ってスクーターで行ってしまった。僕は辛かったけど歩いててよかったと、心の中でガッツポーズを作っていた。
金曜日のフリープラクティスが終わり、ミーティングが終わった頃を見計らってエディのモーターホームの周りをうろついていると、エディが一言「Garage Vert」と言ってくれた。コの字形の 右コーナーだ。土曜日のクオリファイは Garage Vertに決まった。
次のイギリスGPでも同じ質問をするとちゃんと答えてくれる。さらにスウェーデンでは、1回目のプラクティスが終わった直後、すれ違いざまに「Gislaved」と言ってくれた。何かエディとの間に、勝手に絆らしきものを感じてしまうほどだ。
世界一きれいなライディングフォームのライダーを、おそらく最高に乗れているコーナーで撮れるだけで幸 せだった。 エディとのそんな関係は翌年も続いた。
ある日彼は「オリ、君はなんでどのコーナーが好きなのか聞いてくるんだ」と聞いてきた。僕は「一 番好きなコーナーが一番美しいフォームで走れるでしょ。そこを撮りたいから聞いてるんだよ」と言うと、「そうか、僕の一番きれいなフォームを探してくれていたのか。一体どんな写真が撮れてるか、今度見せてくれないか」と言ってきた。
まさに天にも昇る気持ちだった。あのエディが僕の写真を見たがっている。僕は「今度、パネルにしてカリフォルニアまで持っていくよ」と言うと 「冗談だろ」と言ってエディはミーティングに向かった。
だが、その年のシーズンオフ、インタビューで彼の自宅に行くことになった。あの時の約束を果たせる日が来た。僕は撮りためた写真の中から一番のお気に入りをパネルにしようと思ったが、どうしても絞り込めない。それなら選びきれなかった3枚をパネルにして持っていくことに した。
現地に着きエディの自宅に行 くと、彼はカメラマンが誰なのか聞いていなかったらしく驚いた様子。そして「入れよ」と招き入れてくれた。部屋に入った僕は、大きなパネルを差し出し「約束した写真」と言うと、エディは3枚のパネルを並べ、しばらくみた後、
「オリありがとう。この写真を見ると僕が調子のいい時のフォームがわかるよ。この先スランプに陥ることがあっても、この写真のフォームを思い出せば抜けられそうだ」とすごく真面目な顔で握手を求めてきた。
そして「これからも同じスタンスで撮り続けてよ。そして、おかしいと思ったら教えてくれないか」と、これまた大真面目な顔で言ってきた。僕は驚きながら「いいけど、僕の言うことなんてアテにならないよ」と言うと、「いや、これほど僕の事を考えてくれたフォトグラファーはいない。この写真を見れば君がいかにちゃんと僕を見ていたか分かるよ」と言ってくれた。
折原弘之
1963年生まれ。’83年に渡米して海外での撮影を開始。以来国内外のレースを撮影。MotoGPやF1、スーパーGTなど幅広い現場で活躍する