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熱狂バイククロニクル【サロンのリーンウィズ乗り|クリスチャン・サロン】

世界GP参戦ライダーの中でも、いかにも紳士然としたライダーが、今回取り上げるクリスチャン・サロンさんです。いつ見ても背筋がピンと伸び、軽い足取りで歩く細身の姿は、紳士的で映画俳優のようでもありました。そんな彼が荒ぶるGP500マシンを駆るレーサーなわけですから、世界GPで活躍するライダーの裾の広さをも感じました。

クリスチャン・サロンさんは’76年からGP350に参戦を開始。’84年にGP250で世界チャンピオンになりました。最高峰GP500へのステップアップは’85年からで、マシンはヤマハのYZR500。メインスポンサーは彼の母国フランスのたばこメーカー、ゴロワーズでした。青の濃淡と黄色いラインのゴロワーズカラーは、500㏄クラスで非常に目立っていました。

そんなサロンさんでしたが、いざレースになると面白い特徴がありました。それは装備品に関してです。’85年は大き目の外観のKIWI製ヘルメットと、ブカブカな印象のシニサロの革ツナギを着用していました。そのブカブカボワボワの印象は、先にお話しした「姿勢良く細身で軽々と歩くフランス紳士」の印象とは随分違っていて、まるで鎧兜を身に着けているようで、何だか騙されているような、不思議な印象でもありました。

このサロンさんのライディングの特徴といえば、リーンウィズでした。リーンウィズとは、ライダーの腰の位置がマシンのセンターから動かない乗り方で、コーナーでもストレートでもマシンセンターに乗っていました。’80年代当時でも、トップライダーとしては珍しい乗り方でした。

’70年代後半にケニー・ロバーツさんが、ハングオフスタイルを世界GPに持ち込んだと言われていました(別の説も聞きますが)。漫画イラストにリーンウィズとリーンインのフォームの違いを図解しましたが、正にこのようにライディングフォームが違います。どっちが良くてどれが悪いということではありません。

そもそもハングオフというフォームは、日本では「ハングオン」と呼ばれました。ケニー・ロバーツさんがこの呼び方について指摘をされており、世界的には腰をマシンのイン側にズラす事を「オフセットする」と言い、ハングオンではなくハングオフと言わないと、世界に出たら理解されない! ということでした。強いてハングオンに意味付けをしてみるならば、ケビン・シュワンツさんやミック・ドゥーハンさんの乗り方のリーンアウトならば、ハングオンでも意味は通じるかも知れませんが……。

日本でハングオンと呼ばれた理由は、僕ら世代のゲームセンターにあった、ロードレース体感ゲームからでした。ネットで検索すれば、そのゲーム機の画像も出てくるはずです。これが「ハングオン」という名称だったことが、日本にこの呼び方が定着した理由だと思います。

イラストで画いているように、最近のライダーに多い、上半身を大きくイン側に入れる乗り方(ヒジまで擦る選手もいますね)と、今回取り上げたリーンウィズのフォームの大きな違いに今さらながら驚きさえ感じます。 ちなみにケビン・シュワンツさんやミック・ドゥーハンさんのリーンアウトは、立ち上がりの時にリアタイヤがホイールスピンし、アウト側に滑るのを抑えためと考えられていました。この乗り方は現在でも通用するようにも思います。

リーンウィズで鳴らし、GP250王者になったサロンさんは、前述のように’85年から最高峰クラスに挑戦しました。実はこのクラスでサロンさんは、ジワリジワリと乗り方を変えていっていました。’86〜’87年に、地味にハングオフになっていったのです。

ただ、当時を振り返ると350、250クラスでも、下の漫画のように腰はセンターに置いたまま、イン側のヒザを突き出すシーンも見られました。そしてGP500にステップアップすると、お尻を半分ほどイン側にズラし、ヒザを開くようになりました。

しかしサロンさんの場合、ほとんどヒザが路面を擦ることは無かったので、当時GPライダー達が付け始めていた、ヒザのパッドが付いていませんでした。ですが’87年シーズンからは、サロンさんにもヒザパッドが見られるので、この頃からヒザを路面に擦るようになったのだと思われます。

さて、いきなりですが「フロントからの転倒!」という表現がありますが、実際にはフロントタイヤが滑っても、路面に接触しているイン側のヒザで路面を押す(路面を叩く)ことでマシンが起き、フロントタイヤのグリップが回復して転倒を回避できる、という技があるとも聞きます。サロンさんもこれに気付き、ハングオフスタイルに変え、ヒザを路面に擦るようにしたのでは? と考えられます。実際のところ、それまでのサロンさんはフロントタイヤの滑りをきっかけとした転倒が多かったです。

ところで、なぜレーサー達はハングオフするようになったのか? ですが、これは「どんどん太くなっていったリアタイヤに対応するため」と聞いています。マシンが寝ていく時、タイヤの接地点がセンターからエッジまで移動します。タイヤが太いほど、この移動にタイムラグが生じます。ですから、あらかじめイン側に腰をズラしておく方が、タイミングを合わせやすかったそうです。GP125やモト3クラスはタイヤが細く、接地点の移動距離が短いので、事前に腰をズラす必要がないとも言われています。実際、今でもリーンウィズに近いフォームのライダーも存在しています。

サロンさんに話しを戻します。これは現在でも変わりませんが、世界的に「雨が多い年」というのがあるそうです。下の漫画に描いた’85年も雨が多い年でした。このシーズン、サロンさんは良い面も悪い面も、雨のレースで体験しています。

第3戦西ドイツGPでは、レース序盤にスパートを掛けたフレディ・スペンサーさんの独壇場になるかと思われました。しかし終盤、サロンさんがスペンサーさんを激しく追い上げ、追いついてから一気に抜き去って、GP500参戦初年度で初優勝を果たしました。雨のレースで、彼の良い面が出たわけです。この時から「雨のサロン」と呼ばれるようになりました。

そして第7戦オランダGPでは、今度は悪い面が出てしまいます。オープニングラップで、右の90度コーナーにおいて、ウエット路面にフロントをすくわれて単独転倒。この直後、前を走っていたスペンサーさんに追突し、両者リタイアとなってしまいました。

この’85年は、サロンさんが本当にGP500で通用するのか、真価が問われたシーズンでした。結果的には、良きにつけ悪しきにつけ、雨のレースでサロンさんが目立ったのは確かで、一気に最高峰クラスでもトップライダーの座を確立したのでした。紳士のようでもあり、暴れん坊の一面も持ったクリスチャン・サロンさんは、面白い存在感のGPライダーでした。

ちなみにレース当日にサーキット周辺に雨雲がある場合、レースが始まってエンジンの爆音が鳴り始めると、雨雲がこの爆音に呼び集められるそうなのです。ですから、レーススケジュールが進むと、雨が降りやすいそうなのです。なるほど! ですね。

【松屋正蔵】1961年・神奈川生まれ。’80年に『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄先生の矢口プロに入社。’89年にチーフアシスタントを務めた後退社、独立。バイク雑誌、ロードレース専門誌、F1専門誌を中心に活動。現在、Twitterの@MATSUYA58102306にてオリジナルイラストなどを受注する

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