鈴鹿8耐も制した職人【マーチン・ウイマー】|熱狂バイククロニクル
TEXT&ILLUSTRATION/M.MATSUYA
今回はマーチン・ウイマーさんの回です。
まず、ウイマーさんで思い付くのは、その呼び方が「マーチン・ウイマー」だったり「マルティン・ヴィメル」だったりするところなのです。ウイマーさんはドイツ出身なので、英語読みだったりドイツ語読みだったりするので、そうなるのでしょうが、全然似ても似つかない呼び方なので、最初に聞いた時は誰の名前なのか分からなかったほどです。今回は「マーチン・ウイマー」で統一いたします。
ウイマーさんの醸し出す雰囲気は、寡黙で真面目。ちょっと怖いくらいの人。当時観ていたビデオにはあまりウイマーさんの素性が分かるようなシーンが無くて、本当はどういう人物であったのかは分からないのですが……。
ウイマーさんが、世界GPに参戦したのは’80年からとなっています。かなり古くからGPに関わったライダーでした。ヤマハTZ250のスペシャリストとも呼ばれていました。当時「職人」と呼ばれるライダーの一人だったのです。職人と呼ばれるライダーには、必ず名メカニックの存在があった事を書き加えます。
とても目立ったシーズンは’86年シーズンでした。この年に初のGPフル参戦を果たしたのが平忠彦さん。所属したチームはマルボロヤマハで、GP250クラスでした。その時のチームメイトがウイマーさんだったのです! ですから、これを切っ掛けとして日本のファンもウイマーさんの存在、速さに気付き始めたわけです。
そして、ウイマーさんの独特なライディングフォームが、カッコ良い事にも気付きました! ウイマーさんは翌’87年の鈴鹿8耐に、怪我で走れない平さんの代わりにテック21カラーで走り、何と! テック21チームとしては主役である平さんよりも先に優勝してしまうのでした。
日本で大活躍しながらも、世界GPではチャンピオンには手が届かずにいました。’89年シーズンにはアプリリアへ移籍し、さらには’91年シーズンにはラッキーストライクスズキに移籍しますが、このシーズンの終了と共に、12年に渡った長いGPキャリアに終止符を打つ事となりました。チャンピオンにはなれませんでしたが、その一発の速さは本物の、渋い職人ライダーであったのでした。
ウイマーさんのライディング考察に移ります。ヨーロピアンライダーの特徴のひとつである、強く低く伏せるフォームが印象的でした。面白いのは、その上半身はシュワンツさんのような、ハッキリとしたリーンアウトになっていました(後ろ姿のイラストをご参照ください)。
上半身が立ち気味になり背筋が伸びれば頭の位置が高くなり、シュワンツさんと似たフォームとなるのは必然なのです。それと日本のプレスライダー(特急で新聞の原稿を届けていたバイク便ライダー)の乗り方の特徴である、頭とアウト側の拳が近くなる乗り方とも似ているライディングフォームでした。
さらにバンク角が深く、速いライダーの特徴を持っていました。バンク角が深いと申しましても、現在のモトGPのようなバンク角60度以上とはいきません。深いバイク角を使うライダーは、その分コーナリングスピードが速くないと出来ない走り方でもあります。全盛期のスペンサーさんやシュワンツさんも、相当深いバンク角で走っていました。
ウイマーさんは、特にインフィールド区間では、左右どちらかにズッと寝ている感じで、マシンにコーナリングGをズッと掛け続け、誰よりも速いコーナリングスピードを保っていました。そして前乗りでありながら、外足はマシンのサイドにピタリと張り付いていました! 通常、前乗りだと外足は開き気味になるはずなのです。
おそらく、外足の位置を始めに決めてからイン側の腰の位置を決める乗り方だと考えられ、上半身は低く深く伏せながらのリーンアウトになっていました。ですから、結果的には強く伏せる事によって前乗りのようなフォームになりますが、腰は引き気味に、さらにイン側に大きく落としていました。ウイマーさん特有の特徴的な乗り方をしていたのです。それでもポールポジションを度々獲る速さを持っていましたから、速いライダーであることは証明はされていた訳ですね。
ドイツ人ライダーに限りますと、数回前に考察した世界チャンピオンのアントン・マンクさんや、ヘルムート・ブラドルさん、ラインハルト・ロスさんなど、ドイツは速いライダーを多く輩出しています。日本もそれと変わらない実力を持ったライダーが多く存在しておりますので、見比べるといい勝負となりますね。毎月思うのですが、こうして過去に活躍したライダーに目を向ける事は、ロードレース界にとっても良い影響があるものと信じております。
世界GP、モトGPには、まだまだ特徴的な速いライダーはたくさんおります。今後も私が知りうる限り良いライダーをご紹介していこうと思っております。