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レブリミットの向こう側【フレディ・スペンサー】|パドックから見たコンチネンタルサーカス

PHOTO&TEXT/H.ORIHARA
【折原弘之】
1963年生まれ。1983年に渡米して海外での撮影を開始。以来国内外のレースを撮影。MotoGPやF1、スーパーGTなど幅広い現場で活躍する

読者のみなさまからの熱烈な再開要望を受け、折原弘之のコラム連載がついにリスタート! 今回は、スペンサーと交わした秘密の会話について。

’85年のシーズンオフのことだった。’82年に走らせていたNR500の開発インタビューでHRCを訪れた。

インタビューの相手は、開発責任者であった金沢氏(後にHRCの代表になる方だ)。見るからにキレモノで、聡明で優しい話し方をする人物だった。

インタビュアーが開発の経緯からグランプリでの苦労話しなど一通り聞き終えたころ、僕は気になった事をぶつけてみた。「’81年のシルバーストンでトラブルが無ければ、フレディが最高位を記録したのに残念でしたね」と言った。

すると。「あれね。あれはバルブが落ちちゃったんですよ。あの時は18000rpmをレブリミットにしてたんです。あのエンジンは20000rpmまで回しても、バルブは1本も落ちたことがなかったから。絶対に起こらないはずのトラブルだったんですけど、32本のバルブが全部落ちてたんです。その事をフレディに聞いても、はっきりした答えがなくてね」という返事が返ってきた。

フレディほどのライダーが、オーバーレブさせる事は考えにくい。その場は単純にメカニカルトラブルだったのだろう……ということに落ち着いた。

それにしても32本すべてのバルブが落ちるなんて、やはり世界一を争うレースはマシンにも相当厳しい環境なのだろうと納得していた。

一方フレディはと言えば、’85年のダブルチャンプ以降、怪我に見舞われ急速に輝きを失ってしまう。そして’88年にはグランプリシーンから、姿を消してしまった。

’83年の鈴鹿で見たフレディの姿に憧れ、グランプリを撮ることを夢みた僕のヒーローがいなくなってしまった。それでもダブルタイトルを獲った’85年シーズンの彼を撮影できたのは幸せな時間だったのだと自分に言い聞かせた。

ところが翌シーズン、突如ヤマハライダーとして復帰してきた。

メインスポンサーもロスマンズからマルボロに変っており、違和感満載のフレディが現れた。その変貌ぶりには心がざわついたものの、僕のアイドルが復帰した喜びはとてつも無く大きかった。

だが、復帰したフレディは僕の知る彼とは似ても似つかぬモノだった。あれほど鮮烈で驚きに溢れたライディングは影を潜め、スタート時にはどこにいるのか分からないほど普通になっていた。この印象は僕だけではない事を、ジャーナリスト達が裏付けた。どこにいてもプレスに追いかけられていたのに、フレディの周りには誰もいなくなっていた。

’89年は日本、オーストラリア、アメリカとまわり、ヨーロッパの開幕戦とも言えるスペインに移動してきた。

この頃のスペインは、グランプリ人気が尋常ではなく、朝の5時からゲートが渋滞するほどの過熱っぷりだった。僕はモーターホームでのパドック暮らしだったため、渋滞とは無縁だったが、観客が騒がしくて早朝に起こされていた。仕方なく朝のヘレスサーキットを散歩しているとフレディがモーターホームから姿を現せた。僕の心拍は急上昇。それでも目があったので「ハイ」と声をかけた。

それまでろくに話したこともなかったのだから、無視されるのが当然と思っていたら、意外にも挨拶が返ってきた。そして「君はパドックに住んでるフォトグラファーだよね」と、声をかけてきた。 

あまりにも意外な展開にビックリしている僕に、「君のことは知っているよ。ホンダの写真を撮っているよね。ホンダに乗っている時に、ずいぶん若いジャパニーズフォトグラファーだなって思ってたんだ」と続いた。

僕のアイドルが、僕のことを知っていた。天にも登る気持ちとはこのことか。僕は嬉しくなってしまい拙い英語でグランプリを撮り出したのは、あなたに憧れての事なんだと言った。すると「それは嬉しいな。時間も早いし少し話そうか」 と言い出した。

今思えば、フレディにとっては、ただの暇つぶしだったのかもしれない。それでも’83年の話やAMAのことなど、いろいろな話をした。時間にすれば30分にも満たない刹那だったように思うが、僕にとっては夢のような時間を過ごせた。気がつくと、周りのモーターホームがざわつき始めたので、そろそろ行かなければと思い最後に質問してみた。

「’81年のシルバーストンで、NRのバルブを全部落としたと聞いたんだけど、何があったの?」と聞いた。

フレディは笑いながら「もうホンダの人間じゃないから、言ってもいいかな。実はNRは回転数が低いと、エンジンブレーキが強すぎて乗りにくいんだ。でも18000rpmから上は、エンジンブレーキが穏やかなんだ。だから、ブレーキングで20000rpmのレブリミットを超えた回転で扱っていたんだよ。そうしないと戦えなかったからね。そうしたらエンジンが、最後まで持たなかったんだ。HRCには内緒だぜ」

そう言い残してモーターホームに戻っていった。 やっぱり究極で走っているライダーは、発想が違う。

凡人なら、勝つことより壊さない方を選ぶだろう。でも勝つことが仕事で戦っている人間は、あくまでも勝つことが優先。壊してしまうことで起こるであろうトラブルなど意にも介さず、一直線に勝利に向かっていけるのだ。

そんな人間は強い光を放つが、その光が強いほど短命なのかもしれない。僕をグランプリに引きずり込んだ、とびきり強い光は、たった数年でその輝きを失ってしまった。

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