【ケニー・ロバーツ&ケニー・ロバーツ・ジュニア】世界王者のDNAを受け継いだ”ジュニア”の美しいライディングフォーム
TEXT&ILLUSTRATION/M.MATSUYA
長い歴史を持つ世界GP、MotoGPですから、世代を跨いで多くの親子ライダー、兄弟ライダーが存在しています。
現在のMotoGPではマルク・マルケス&アレックス・マルケス兄弟、アレイシ・エスパロガロ&ポル・エスパロガロ兄弟、バレンティーノ・ロッシ&ルカ・マリーニ兄弟。さらに、かつての世界GPにおいては我らが青木三兄弟、青木宣篤&青木拓磨&青木治親兄弟が有名です。
親子ライダーに目を移すと、ワイン・ガードナー&レミー・ガードナー親子、グラツィアーノ・ロッシ&バレンティーノ・ロッシ親子、ヘルムート・ブラドル&ステファン・ブラドル親子、ロン・ハスラム&レオン・ハスラム親子などが挙げられます。
兄弟選手、親子選手の名前を連ねましたが、特にこの方々を紹介しないわけにはいきません。それはケニー・ロバーツ&ケニー・ロバーツ・ジュニア親子です。
父のケニー・ロバーツさんはGP500において、’78〜’80年に3年連続世界チャンピオンとなり、「キング・ケニー」とまで呼ばれた名ライダーです。そして今回の主役であるケニー・ロバーツ・ジュニアさんも、GP500で’00年に世界チャンピオンを獲得している名ライダーです。さらに、ロバーツ・ジュニアさんの弟であるカーティス・ロバーツさんも世界を走ったライダーでした。つまりロバーツ・ジュニアさんは、親子ライダーであり、兄弟ライダーでもあったわけです。
ロバーツ・ジュニアさんは’93年にYZR250に乗り、世界GPデビューを果たします。そして’96年からはYZR500を駆り、翌’97年からは父ケニーさんが立ち上げたモデナス・チーム・ロバーツからの参戦となりました。世界GP参戦以来、怒涛のマシン遍歴を繰り返していたわけですね。
そして2シーズンを父のチームで走り、’99年からはスズキワークスライダーとなり、RGVガンマ500を駆ることになりました。このスズキワークスへの移籍はロバーツ・ジュニアさんにとって上昇気流に乗った状況となり、ミレニアムシーズンの’00年には、ついに父と同じGP500で世界チャンピオンに輝いたのでした!
親子での世界チャンピオンは世界GPの長い歴史上でも稀な出来事となりました。それに加えて、それまでのロバーツ・ジュニアさんの成績からは、最高峰クラスでのチャンピオンは遠いものと思われていたので、いちファンとしても驚きと共に、彼の成長に感心し、見直すこととなりました。
その後、ロバーツ・ジュニアさんは、’06年にホンダRC211Vのエンジンを貸与されたチーム・ロバーツに戻り、’07年に引退となっています。’00年の世界チャンピオン奪取はアメリカンライダーの復権でもあり、素晴らしい戦績を残したライダーでした!
ロバーツ・ジュニアさんのライディングを考察すると、とにかくスムーズな乗り方が特徴的でした。腰は引き気味で、リアステアを使っているように見えました。外足もカウル側面に沿って綺麗に添えられ、外足ステップには意識的に加重していないようで、カカト加重にはなっていませんでした。
余談ですが、近年、コーナーリング初期に外足をステップから外して乗るライダーが増えてきました。これはステップから加重を外すことでリアを振り出し、コーナリングスピードを上げる効果があるようです。この「外足外し」を始めたのは、私の記憶ではJSB1000チャンピオンの中須賀選手で、SBKを走るヤマハ系ライダーが真似し始め、世界的にも流行り始めたと考えられます。
さて、ロバーツ・ジュニアさんに話を戻しますと、腰のオフセットは平均的で、頭の位置もマシンセンターが基本です。時々少しインに入る場面もあり、伏せ方も平均的でした。無理なく身体を自由にして、タイヤの滑りへの対処に意識を集中しているように見え、実に華麗なライディングフォームにセンスが感じられるライダーでした。
【おまけ】ついに発掘されたケニーとスペンサーの接触の瞬間!
少し余談として、父ケニーさんの話題を取り上げます。伝説のシーズンとなった、’83年のケニー・ロバーツさんvsフレディ・スペンサーさんのあるシーンを解説したいと思います。なぜ今、そのシーンを振り返るかというと、ある画像に巡り会ったからでした。 ’83年の第11戦スウェーデンGP。この日の決勝レースの決着が、’83年シーズンを決めたのでした。ですが、とある肝心のシーンが写真にも映像にも残っていなくて、ずっと見れない状況だったのです。少なくとも日本では……。 それが最近、SNS上で、その重大な一瞬を証明する写真が出てきたのです。やはり世界は広い! と思いました。誰が撮影した写真なのか分からないのですが、今になって決定的な写真が発掘されたのです。 そのモノクロ写真をカラー化したのが下のイラストです。これはスウェーデンGPの最終ラップ、バックストレートエンドにあたる90度コーナー立ち上がりで起きたレーシングアクシデントなのです。 それまでトップを走っていたケニーさんは、ストレートの立ち上がりでミスをしてしまいます。そのためにストレートスピードが若干落ちました。そこをスペンサーさんが見逃すわけもなく、ストレートエンドでケニーさんのインに飛び込みました。 2台は横並びで90度コーナーへ進入し、アウト側にいたケニーさんをコース外に押し出す結果となりました。そして、いち早くコースに戻ったスペンサーさんが、このスウェーデンGPを制しました。 大事なシーンなのは分かって頂けたと思いますが、このシーンを少なくとも僕はこれまで目にしたことがありませんでした。ですからこのイラストの元となったモノクロ写真を初めて見た時は「これは描かないといけないぞ!」と思ったのでした。さらに詳しくは、各種レース関連本にて両者の言い分をお調べください。 そして’83年のチャンピオンを決めた最終戦(第12戦)サンマリノGPへと繋がり、フレディ・スペンサーさんが史上最年少で、初めての世界チャンピオンに輝いたのでした。 ケニーさんの考察はこの連載が始まった当初に書いてしまっておりますので、ロバーツ・ジュニアさん回を切っ掛けとして、このイラストをおまけとして掲載させて頂きました。