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中須賀克行 通算JSB100勝へのカウントダウン|クラス初優勝の軌跡を振り返る【百”勝”錬磨】

’06年にYSP & PRESTOレーシングに加わった中須賀克行。当初は熱い気持ちが先行して空回りするなど苦悩したが、チームに帯同する吉川和多留との出会いにより好転。’06年シーズン中盤以降は存在感を増し、’07年のオートポリスで1勝目を挙げ、トップライダーへの道を歩み始めた。

【中須賀克行|Katsuyuki Nakasuga】

1981年生まれ、福岡県出身。2005年から全日本ロードレースの最高峰JSB1000クラスに参戦を開始し、2023年までの19年間で12回のチャンピオンを獲得。特に2021 ~ 2022年は2年連続で全勝した。鈴鹿8耐も2015 ~ 2018年に4連覇している
PHOTO/YAMAHA, MFJ JRR TEXT/M.SAKUMA
取材協力/ヤマハ発動機 
☎0120-090-819 
https://www.yamaha-motor.co.jp/mc/

JSB1000クラスで通算89勝を挙げ、100勝達成の偉業に向けて歩みを進めるヤマハファクトリーレーシングチームの中須賀克行。その中須賀が、当時のヤマハトップチーム、YSP&PRESTOレーシングに加わったのは’06年だった。

その年、中須賀のチームデビューレースは開幕戦もてぎだった。途中から雨が降り始め、変則の2レース制となった。レース1の順位がスターティンググリッドとなり、レース2は8周で行われた。中須賀は一時2位に上がるが、5コーナーでコースアウト。転倒は免れてすぐにコースに復帰すると、5位でチェッカーを受けた。

当時を中須賀はこう振り返る。

「実績のない自分がいきなりヤマハのトップチームに加わって、チームとコミュニケーションもおぼつかなかったし、レースウイークでチームがどのような動きをするのかが分からず、戸惑いましたね。だから、ライダーとして認めてもらうためには、とにかく結果を出すしかない、と強く思っていました」

しかし、その思いとは裏腹にライディングは噛み合わなかった。そんな苦悩する中須賀に、現在のヤマハファクトリーレーシングチーム監督で、当時はアドバイザーとしてチームに帯同していた吉川和多留がある提案を持ちかけた。

「何か空回りしていましたね。だから二人でじっくりと話をして、3年後にチャンピオンを獲ろうと。最短ルートでチャンピオンを獲りに行こうと提案したんです」

2006年 第1戦 もてぎ チームデビュー戦

予選5番手(ドライ) 決勝5位(ドライ/ウェット)

Nakasuga’s Comment

「予選では、結構ミスをしたにもかかわらず好タイムを記録することができ、自信に繋がりました。ドライ路面のレース1では、後続の徳留選手を抑えながら、前を行く柳川選手を抜く自信はありましたが、途中から降り始めた雨は残念でした。ウェット路面のレース2では、小西選手を抜いてペースを上げようとした直後の出来事(コースアウト)で残念。結果は5位でしたが、今回は予選でも最悪2列目を目標としていたので、全体的にまずまずの出来だったと思っています」

ここからチームと共に、吉川と中須賀の二人三脚の戦いがスタートした。

「具体的には、常にレースのことを考えること。テスト、レースウイークの走り出しの段階で、レースモードの状態であるように準備してくることです。それと、私自身レースを戦っていたので、そこでの経験から、失敗したことは徹底的に排除しました。でも、後々に財産になる失敗もあって、そこは敢えて経験してもらいました」(吉川)

同年、第4戦オートポリスでは予選3番手で初のフロントロウにマシンを並べ、第6戦オートポリスでもフロントロウの3番手スタート。着実に速さに磨きがかかるが、悲願の初優勝は翌年に持ち越しとなった。

2006年 第4戦 オートポリス 初フロントロウ獲得

予選3番手(ウェット) 決勝10位(ウェット)

Nakasuga’s Comment

「ここ九州は地元。お客さんや全体の雰囲気が慣れ親しんだ感覚です。他のサーキットよりも当然気合いが入りました。ただ金曜日の走行でマシンのフィーリングが合わず、水谷さん(水谷清孝テクニカルディレクター)と相談してマシンのセットを大きく変更しました。これで土曜日の予選は気持ちよく走れるようになり、初のフロントロウを獲得できました。決勝はスタートも決まったのですが、残念な結果になってしまいました」

’07年、いよいよ中須賀に歓喜の瞬間が訪れた。第4戦オートポリスがその舞台だった。

7番グリッドからスタートした中須賀は、1周目で4番手にまで順位を上げ、その後に柳川明(カワサキ)、酒井大作(スズキ)、秋吉耕佑(スズキ)、阿部典史(ヤマハ)らと先頭集団を形成する。

7周目以降、柳川と酒井が激しく順位を入れ替え、10周目の1コーナーで秋吉と酒井が接触して秋吉が転倒。この間に中須賀は2番手に浮上して一気にペースを上げると、12周目の第2ヘアピンでトップの柳川を攻略して、そのまま初優勝のチェッカーを受けた。そしてこの勝利こそが、100勝へと続く1勝目となった。

2007年 第4戦 オートポリス JSB1000初優勝

予選7番手(ドライ) 決勝1位(ドライ)

Nakasuga’s Comment

「今年は、鈴鹿2&4でトップを走っていてマシントラブルがあり、筑波では予選で転倒して決勝を走れず、何か歯車が噛み合わない状態が続いていました。今回は地元九州でのレースなので、ここで優勝を決めて流れを呼び戻したいと思っていました。それが実現できてとても満足、本当に嬉しいです。みなさんにお礼を言いたいですね。そしてこれを弾みに、鈴鹿300kmを含めて後半戦も頑張ります」

nakasuga nakasuga

中須賀の初優勝でチームは一気に活気付き、これに呼応するように中須賀はさらに躍進。第6戦岡山国際では2勝目を挙げた。

中須賀、柳川、渡辺篤(スズキ)、徳留和樹(ホンダ)がトップグループを形成し、レース終盤では中須賀と渡辺の一騎打ち。そして渡辺を巧みに抑え切った中須賀が、0.111秒の僅差で逃げ切ったのだ。

2006年 第6戦 岡山国際 トップ走行中に転倒

予選3番手(ドライ) 決勝32位(ドライ)

Nakasuga’s Comment

「転倒は自分のミスです。精神面の弱さを痛感しました。でも、今回はレースウイークで安定した天候だったので、その中でマシンのセットアップを詰めて行くことができ、自分が、今の全日本でどれくらいの力を発揮できるのかが分かったレースになりました。最終戦の鈴鹿には、気持ちを切り替えて、優勝目指して頑張ります」

nakasuga nakasuga

そして最終戦鈴鹿では、レース1で3位表彰台に立ち、レース2を5位で終えると、’06年のランキング9位から、ランキング4位へと大きくジャンプアップした。

これまで中須賀は、初優勝したオートポリスと岡山国際との相性の良さを強調することが多いが、’06年から’24年まで、オートポリスで19勝、岡山国際で12勝としっかりと結果を残している。

ただし、オートポリスに関しては、相性というよりも、「九州出身の自分としては、オートポリスの空気感がとても好きなんです」と語る。

2007年 第6戦 岡山国際 2勝目

予選2番手(ドライ) 決勝1位(ウェット/ドライ)

Nakasuga’s Comment

「勝つための絶対条件であるスタートがうまく決まり、レースをコントロールすることができました。レース中は、ラップタイムをいかに落とさずに走れるかを考え、自信のあるブレーキングで勝負に出ました。最終ラップのダブルヘアピンの進入を抑えることができて、この瞬間に勝利を確信しました。最終戦の鈴鹿は得意なコースなので、2レースとも優勝を狙っていきます」

nakasuga nakasuga

そしてチームと共に動き始めた吉川との二人三脚の挑戦は、いよいよ’08年に結実するのである。

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