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中須賀克行 通算JSB100勝へのカウントダウン|チャンピオンからの陥落そして苦境からの復活【百”勝”錬磨】

’08年、’09年のJSB1000連覇から急転、’10年、’11年はチャンピオンの座をライバルに明け渡した中須賀克行。とくに’10年は、チャンピオン争いをリードしたものの未勝利に終わる。しかし、’12年にキャリア最多のシーズン4勝を挙げてチャンピオンに返り咲くと、完全復活。速さと強さには磨きがかかり、日本のロードレース界における唯一無二の存在へと突き進み始めた。

【中須賀克行|Katsuyuki Nakasuga】

1981年生まれ、福岡県出身。2005年から全日本ロードレースの最高峰JSB1000クラスに参戦を開始し、2023年までの19年間で12回のチャンピオンを獲得。特に2021 ~ 2022年は2年連続で全勝した。鈴鹿8耐も2015 ~ 2018年に4連覇している
PHOTO/YAMAHA TEXT/M.SAKUMA
取材協力/ヤマハ発動機
☎0120-090-819 
https://www.yamaha-motor.co.jp/mc/

’08年と’09年にJSB1000で連続チャンピオンを獲得し、中須賀克行の時代が始まるかと思われたが、強豪が集うJSB1000において、その後の2年間は厳しい状況に直面することになった。

’10年は勝利を挙げることはできず、ランキングは3位。’11年は岡山国際において1勝を挙げるも、ランキングは5位に留まった。とくに’10年の最終戦鈴鹿は、レーシングライダーとしてのプライドと葛藤しながらの戦いであった。

2011年 第7戦岡山国際

Nakasuga’s Comment

「岡山国際サーキットは肉体的にとても厳しいので、とにかく心が折れないように集中して走りました。今年は震災の影響でシーズン開幕が遅れ厳しい戦いが続いたけれど、涼しくなってからが勝負と決めていて、気温が下がった今大会で勝てたことがとても嬉しいです」

nakasuga

ポイントリーダーとして最終戦鈴鹿に挑んだ中須賀だが、それまでに4度表彰台に立っていたものの、いまだ勝利を得ていなかった。チャンピオンを獲るために安定したレースをするか、それとも優勝を狙って攻撃的なレースをするか悩んだ結果、中須賀は優勝を目指す決断をしてレース1に臨んだ。

しかし、9周目に転倒し、戦列を離脱する結果となってしまった。レース2では3位に入賞したものの、最終的にランキングは4位でシーズンを終えることとなった。

鈴鹿大会の後、中須賀は「レース1での転倒は、優勝を狙って攻めた結果として納得している。しかし、チャンピオンを逃し、応援してくれる人たちをがっかりさせてしまった」と語っている。

このときのことを、絶対王者の名を持つようになった中須賀に尋ねると、「今であれば、間違いなくチャンピオンを狙いに行く。未勝利でも最終戦でチャンピオンを狙える位置にいるなら、そこを目指す」と答えた。

勝利がなくても、1シーズンをしっかりと戦った結果としてのチャンピオンには十分な価値があると受け止められるものだ。

’12年を迎え、中須賀のYZF-R1にはブリヂストンタイヤが装着された。

タイヤメーカーが変わると、特性の違いからマシンのセッティングを変更する必要が生じる可能性がある。ライダーにとっても、新しいタイヤの特性に慣れるための時間が求められ、ライディングスタイルを見直す必要が出てくることもある。

これに関して中須賀は「これまでブリヂストンタイヤを使用しているライバルの動きを観察してきたので、その特性については理解している。ただ、戦い方が変わる可能性はあるだろう」と語っていた。

2012年 第1戦もてぎ

Nakasuga’s Comment

「今年、タイヤがブリヂストンに変更されましたが、テスト時間が少なくて、レース前は表彰台に立てれば、という状態でした。だから優勝できたことはとても嬉しいですが、これで気を抜くことなく、さらにマシンのセットアップを進めていきます」

nakasuga

そして注目された開幕戦のもてぎでは、予選3番手から優勝を決めるが、レース内容は、これまでの先行逃げ切りタイプではなく、レース終盤での逆転勝利だった。

この年、中須賀はキャリア最多の4勝を挙げ、チャンピオンの座に返り咲くと、以降、圧倒的な強さを見せることとなる。

’13年は、第3戦オートポリス、第6戦SUGO、第8戦岡山国際で勝利を収め、最終戦鈴鹿での2レースを連勝し、大逆転でチャンピオンを獲得した。

兼ねてから中須賀は、鈴鹿サーキットでの勝利を渇望していた。’09年の鈴鹿大会で優勝した経験はあるが、その際は東コースであり、フルコースでの優勝はこれが初めてだった。

「1周6kmの中にさまざまなコーナーが配置されていて、難易度の高いコースであることが理由だけれど、鈴鹿8耐やF1などで広く知られる鈴鹿サーキットで勝利することで、初めてトップライダーとして認知される気がする」

2013年 第9戦鈴鹿

Nakasuga’s Comment

「予選でコースレコードを塗り替えられたのが自信になりました。レース1での混戦のなかでも、この自信があったから冷静に走れたし優勝できたと思います。雨のレース2では、単独でのトップ走行になったので、淡々とラップを刻みました。チャンピオン防衛は本当に嬉しい」

nakasuga

そしてこの優勝で、全日本ロードレースが開催される全サーキットを制したことになった。

’14年も4勝(鈴鹿×2、オートポリス、岡山国際)して、3連覇を達成。そして’15年は、YZF-R1がフルモデルチェンジを受けた。さらにファクトリー体制のヤマハファクトリーレーシングチームが結成されて、そのエースライダーとなった。

また、中須賀がヤマハのトップチームに加わった当時からアドバイスを送ってきた吉川和多留が監督に就任するなど、彼のレースキャリアのなかでも大きな転機となった。そして、これを見事に生かす形で、快進撃はさらに加速していくのである。

2014年 第8戦鈴鹿

Nakasuga’s Comment

「開幕戦で優勝してスタートダッシュができました。その後に苦しい立場になりましたが、チーム一丸で戦い、今年2回目のオートポリス、そして岡山国際、最終戦鈴鹿のレース1で3連勝して波に乗ることができました。チャンピオン防衛ができてホッとしています」

nakasuga

Point Standing
※○内の数字は中須賀の通算勝利数

2011年

pos.No.RiderPts.鈴鹿もてぎRace1もてぎRace2SUGOオートポリス岡山国際鈴鹿Race1鈴鹿Race2
11秋吉耕佑 F.C.C. TSR Honda2002525252522282828
2634高橋 巧 MuSASHiRTハルク・プロ1671822202225181923
387柳川 明 TEAM GREEN1421318161618202318
471加賀山就臣 Team KAGAYAMA13516152220162125
521中須賀克行 YSP Racing Team with TRC1302220182025⑦25

2012年

pos.No.RiderPts.もてぎ鈴鹿筑波SUGOオートポリス岡山国際鈴鹿Race1鈴鹿Race2
121中須賀克行 ヤマハYSPレーシングチーム16725⑧2225⑨2225⑩25⑪23
287柳川 明 TEAM GREEN1622018182020202125
3104山口辰也 TOHO Racing with MORIWAKI12516162016161823

2013年

pos.No.RiderPts.もてぎ鈴鹿オートポリス筑波SUGO岡山国際鈴鹿Race1鈴鹿Race2
11中須賀克行 ヤマハYSPレーシングチーム167201625⑫25⑬25⑭28⑮28⑯
287柳川 明 TEAM GREEN1662018182020202125
3634MuSASHi RT ハルク・プロ15816162016161823

2014年

pos.No.RiderPts.鈴鹿オートポリスもてぎSUGOオートポリス岡山国際鈴鹿Race1鈴鹿Race2
11中須賀克行 ヤマハYSPレーシングチーム18725⑰22221525⑱25⑲28⑳25
2634高橋 巧 MuSASHi RTハルクプロ152222525221122250
312津田拓也 ヨシムラスズキシェルアドバンス13514182020221823

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