【ライディングフォームの新セオリー】Part0:「脱力」のレベルを再考する
ある程度なら誰でも真似ができる、「型」。だが、いくら見た目だけが整おうが、いつまでもライディングは変わらない。ここで提唱するのは、ライディングを根底から見直し、その結果が「型」に現れる、という逆算の考え方だ。本質から取り組むことで、「型」そのものよりも、ライディング自体をしっかりと向上させよう、という取り組みである。速く走りたい。うまくなりたい。意のままにバイクを操りたい。スポーツライディングを志すすべてのライダーに向けて青木宣篤が全力で捧げる、ライディングフォームの新しいコンセプトが、ここに。今回は「脱力」のレベルについて。
PHOTO/S.MAYUMI, H.ORIHARA, T.FUCHIMOTO, SUZUKI, Red Bull TEXT/G.TAKAHASHI
【向上したいライダー向け】
ここでのライディングフォームの話は、「バイクの基本」というより、体を使うフィジカルなスポーツの基本だ。少しでも速く、うまく走りたいと希求するアスリートのための記事だと考えていただきたい。
操れることを何よりも優先「型」は、その結果である
ライディングフォームとは、その名の通り、バイク乗車時の姿勢のことだ。教習所でも、そしてライディングテクニックを語る上でも、大切な基本項目という扱いになっている。
バイクのここに、こう座りましょう。ハンドルはこう持って。その時、腕はこういう形に。背中は、足は、つま先は……。まさに「姿勢」だ。 一定の意味はある。基本中の基本として、姿勢を知るのは無駄ではない。
しかし、ことスポーツライディングという分野では、物足りない。 ライディングは、ダイナミックなものだ。動きがあって初めて成立する。静的な姿勢にも「一定の」意味はあるが、本質的ではない。
バイクを自分の意思のままに操ることが、スポーツライディングの重要な目標地点だ。だから姿勢を取ることよりも、操ることに重点を置きたい。私自身はバイクをしっかりと操れてさえいれば、静的な姿勢はどうあっても構わないと考えている。
体格、柔軟性、筋力、そして関節の可動域などは、人それぞれだ。だから、動きの決まった型に当てはめることはほぼ不可能だからだ。
それより、きちんと走れるかどうかにこだわりたい。そして逆説的ではあるが、「きちんと走れる姿勢が、正しいライディングフォームである」と考えたい。
そういう考え方こそがスポーツライディングの入口だと、私は信じている。
コンセントは抜かずに常に通電しておくこと
スポーツライディングには、力が必要だ。これを絶対的な大前提として話を進めたい……のだが、多くのライテク論において真っ先に登場するのが「脱力」、すなわち「力を抜いてください」という話なのだ。これが事態をややこしくしている。
理解していただきたいのは、脱力にもレベルがある、ということだ。ビギナーライダーとエキスパートライダーとでは、脱力のゼロ基点がまったく違う。
ビギナーのイメージする脱力は、本当に力が抜けたフワフワな状態だ。しかし今のバイクは重く、パワーもある。スピードも出る。この乗り物を操るためには、どうしたって操作力が必要になる。「脱力」と言われて、本当にダラッと、フワッと乗っていては、思い通りに扱えない。
エキスパートがいくら「脱力」とか「力を抜く」と言っても、ある程度の力が入っているのだ。家電の待機電力のようなもの、と言えば分かるだろうか。コンセントが抜けた状態がビギナーの「脱力」、常に通電していてボタンひとつで瞬時に起動する状態がエキスパートの「脱力」だ。
まず、フィジカルを使うスポーツであると理解すること。脱力とは言っても、常に力を入れておく必要があること。操作には相応の力が必要であること。これがスポーツライディングの出発点だ。