【Historic Bikes/~KAWASAKI Z1 900 SUPER4~】最速神話のはじまり-part3
カワサキのバイクづくりはZ1から変わっていない 1972年に登場したZ1は、そのスタリング、スペックから長い間ライバルたちが意識せざるを得ないモデルの中心となり、「アップハンドルのスーパースポーツ=カワサキ」がスタンダードという時代が続いていた。さらに時代はZを中核として、大排気量バイクが主流となっていった。
※この記事は過去に掲載された記事を再編集した内容です。
Z1000Rがバイクのデザインを変えた
大排気量バイクの人気に伴い、高速化がカウリングなどウインドプロテクションの装備をもたらし始めていたが、たくましさを象徴するカワサキの「男のバイク」は、カウルを装着しないフォルムがもてはやされたのだ。
アメリカのAMAレースが、レーシングマシンではなくプロダクションバイクをベースとするレギュレーションへと変更されたこともあって、このイメージはより定着していった。
エディ・ローソン・レプリカと呼ばれたZ1000Rに象徴されるように、ハンドルマウントのミニカウルまでが、サバイバルなスポーツバイクのウインドプロテクションの定番とされたのだから、その影響力が如何に絶大だったかが伺い知れるだろう。
トラッドなスタイルがネイキッドブームを生んだ
後年、レーサーレプリカブームが一段落した頃、レーシングマシン然としたフルカウルモデルへの反動として、原点回帰とも言えるカウルを装着しないバイクが多く登場し、「ネイキッド」という新たなカテゴリーが生まれた。
そのブームを牽引したのが、Zシリーズの復刻とも言えるゼファーだった。Zシリーズやゼファーが持つ「バイクらしいカタチ」が個性的に見えるほど、効率と性能を追い求めたマシンが没個性化することを、過熱したレーサーレプリカ・ブームが立証たのだ。
カワサキはZシリーズによって追われる存在になった
ゼファーはそれから暫くネイキッドブームを築き、再びリーダーとしてのポジションをカワサキに与え、他のライバルたちが追随するという流れが続いた。日本のメーカーの中で、パフォーマンス以外でこうした影響を及ぼすのは、カワサキをおいて他にないというのも痛快な話だ。
命運というべきなのだろうが、後発メーカーだったカワサキが大逆転劇を狙ったZ1デビューも、ホンダがCB750フォアの投入で先行していなかったら、Z1はナナハンどまりだっただろうし、DOHCがその後のスタンダードにもならなかったかも知れない。
さらに言えるのは、後にそのホンダでさえナナハンの上位としてCB900を設定。他のメーカーでもこだわりを感じさせる排気量として、キリの良い1000㏄ではなく900ccを採用する例は多い。
これらはすべてZ1の伝説的な成功ストーリーに端を発しているのだ。多様なニーズに応えるために、様々な要素を盛り込んだモデルを作ると、当初明確だったコンセプトを見失い、平均的で個性を失ったバイクになることをどのメーカーも分っているがやめられない。
一方カワサキには迷いがない。そのスタンスの違いは、今も昔も明白である。
デジタル・テクノロジーを駆使したバイクが前提の時代を迎えている。それは以前のレーサーレプリカブームにも通ずるものがある。
どれも似てしまう……そんな状況で期待されるのは、まさしくZ1以来カワサキによってもたらされた、分りやすい差別化に違いない。あらためてZシリーズのフォルムを眺めていると、依然として色褪せていない魅力を感じてしまうのだ。