【Historic Bikes/KAWASAKI GPZ900R Ninja】「男カワサキ」の称号はココから始まった! -PART1-
カワサキが目指したのは公道最速のスーパースポーツ -GPZ900R Ninjaその黎明期①- 20年ものロングセラー続けたカワサキGPZ900R。Ninjaの名を冠したこの初のバイクはカワサキならではの反骨精神、マイノリティに特化したコンセプトで誕生した。サイドが左右非対称となるサイドカムチェーン駆動の水冷4気筒や、そのエンジンをあえて見せるためのカウル形状など、開発者たちのこだわりが生み出した“個性”の塊だった。世界最速を標榜し、世界中のファンに愛されたGPZ900Rはやはり忘れることのできない稀有な存在だ。今回お届けするR/Cアーカイブスは、いまだに大人気を誇り唯一無二の存在となっている『GPZ900R Ninja』だ。そのデビュー以来、20年間ほとんど進化をすることなく、3回のビックマイナーチェンジのみ。ビッグバイクの進化が激しい中、時代の流れに抗いつつも常に圧倒的な支持をうけたその魅力をが語る。(第1回/全3回)
※この記事は過去に掲載された記事を再編集した内容です。
いままでにないチャレンジで新しい個性を生み出した
Ninjaといえばいまやカワサキのスポーツバイク全般で使われているネーミング。しかし、その由来は1984年に発売されて以来、2003年に生産が終了するまで実に20年間もの記録的なロングセラーとなった、GPZ900Rからきている。
今でも中古車市場やカスタムのベース車輌として絶対的人気を誇るこのGPZ900Rに、なぜこれほどの注目が集まり続けるのかといえば、それは他に類のない「個性的」な資質にあるのは間違いない。そしてそれこそが「男カワサキ」のような言われ方をする、カワサキというブランドがファンの人気を獲得し、差別化されてきた原点といえるだろう。
後発メーカーから世界の中心へ
そもそもカワサキは、日本メーカーにあって後発の位置づけからスタートしている。1960年代からホンダを筆頭に世界GPを制覇し、中型車にもかかわらずヨーロッパの伝統的なメーカーの大型スポーツ車を凌ぐ高性能と手頃な価格で、アメリカをはじめ全世界へ進出していったその流れに、ただ追随しようとしていたのではない。
その象徴的な存在が1969年にデビューした2ストローク3気筒500㏄のマッハⅢ。1966年の2スト2気筒250サムライに始まるザッパー(カッ飛び)路線を不動のものにした。それは扱いにくかろうが矢のようにダッシュする、マイノリティとしての反骨精神に通じるもので、アメリカのAMAレースでも、ライムグリーンという彼の地では不吉をイメージさせるカラーリングのマシンで、先頭を走るか転倒するかというワイルドさを演じ、後発ながら一気に名を馳せたのだ。
マッハ500SS
Z1がカワサキの地位を決定づけた
とはいえ、世界はホンダが発表したCB750フォアに陶酔し、カワサキも実は水面下で開発をしていた4スト4気筒マシンを、さらにブラッシュアップせざるを得なくなったのである。そのバイクこそ名車の誉れ高いあのZ1。排気量を当初の750から900に拡大し、世界最速とパフォーマンスのカワサキ・イメージを受け継ぎつつ、走りもクオリティも最高級を目指し、名実ともに後発メーカーのイメージ払拭を果たしたのだった。
この好評をバックにカワサキの空冷DOHC4気筒シリーズは、中間排気量に至るまでスポーツバイクのリファレンスモデルとして位置づけられる人気モデルを輩出、ザッパーの面影をチラつかせるいっぽうで﹆賢人バイクのイメージも被さっていった。
しかし70年代も後半に差し掛かると、ライバルメーカーはDOHC化はもとより気筒あたり4バルブとパフォーマンスアップを激化。対抗するカワサキもZ1エンジンをベースにZ1000やインジェクション化したZ1100GPなどを投入したが、ライバルたちのターボ化やV型エンジンに水冷化など、エスカレートする新技術競争に次第に色褪せていく危機感を募らせていたのだ。そんな中、開発をスタートしたのがこのGPZ900Rだった。
Z1
カタログ
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