【Historic Bikes/YAMAHA FZ750】YZF-R1に受け継がれる、ヤマハのスピリットとは?-PART3-
※この記事は過去に掲載された記事を再編集した内容です。
ジェネシスで得た技術は現代も生き続けている―ジェネシスの系譜③- ジェネシス(Genesis)の開発と4スト・ビッグバイクでのパフォーマンス、独時のスタイリングなどでロングセラーとなったFZ750。そして継続された開発は、レース参戦で鍛え上げられながら進化の一途を辿り続けている。
90度V型の不利が露呈
先ず最大の変化は、シリンダーの前傾角。90度V4に端を発した45度の前傾角は、低重心化には功を奏したが、その深い前傾によって前輪との干渉が災いした。これはホンダのV4も苦しんだことだが、重く回転することでマスの増加を主張するクランクシャフトの位置が、前輪からどうしても遠くなり、タイヤの進化で深くバンクして旋回するまでのアプローチで、前輪荷重の大きさが旋回力と安定性を大きく左右することから、シリンダー角度の浅いライバルに対し、不利と言わざるを得ない状況が明らかになってきたのだ。
FZR1000(1987)
YZF750SP(1993)
YZF750SP(1993)
シリンダー前傾角度を浅くして対策
そこでレースでのホモロゲーションを目的とした、FZR750R(通称OW01)では、このシリンダー前傾角をやや浅くして、エンジン位置を可能なかぎり前輪へ近づけた。このレプリカどころではない、そのままレーシングマシンというレベルまで究極を求めたマシンは、当然ながらワークスマシン直系のアルミ製デルタBOXフレームをシャシーとして、世界の耐久レースからスプリントレースまで、ヤマハのパフォーマンスを最大限アピールしたのだ。
FZR750R OW01(1989)
ユーザーマインドに立つYAMAHAハンドリングの原点
「どんなスーパースポーツでも、結局ユーザーはツーリングするワケで、ハンドリングはライダーの感性に馴染みやい唐突な質は認めない」としてきた、ヤマハ開発陣のフィロソフィーも継承しつつ、ようやくトップパフォーマンスの戦列に肩を並べたのが1980年代終盤だったとは、ここまでの経緯を意識してこなかった方々には驚きであるかも知れない。
しかし、そこがヤマハのヤマハたる所以なのだ。そしてその延長上に、モトGPで活躍するYZR-M1からYZF-R1が存在するという、ここまでの歴史なくして語ることのできない要素が積み上げられてきたのである。
YZF1000R(1996)ThunderAce
YZF-R1(1998)
いつの時代もスポーツバイクは覇を競うことで進化してきた。しかも模倣ではなく、常にオリジナリティにこだわる進化だったのは忘れてならない。
だからファンにはそれぞれお気に入りのメーカーがあって、レースの応援や愛車の購入に一喜一憂する。気の遠くなるような遠回りに、敢えて躊躇せず取り組んできたヤマハの伝統………、こだわりのメーカー最右翼であるのは間違いない。
因みに消えかかったパフォーマンス路線の源流だったV4は、ベンチャーロイヤルという豪華ツアラーに採用され、後にVMAXで花開いたのはご存知の通りだ。