【Historic Bikes/~KAWASAKI Z1/Z2~】カワサキはZ1/Z2という空前絶後の傑作バイクをなぜ50年近く前に作れたのか?
※この記事は過去に掲載された記事を再編集した内容です。
Z1登場は’72年。北米市場がターゲット
『King of Motorcycle』『バイクの中のバイク』と言って、一番多くの人の頭に浮かぶのが『Z2(ゼッツー)』こと、『カワサキ750RS』なのではないだろうか? ベテランライダーの方々には、『若い頃に憧れた!』という人も多いはずだ。「新車時に乗っていた」という人は、もう65~70歳以上。そもそもおいそれと乗れるようなバイクではなかった。
’72年にアメリカで発売された『Z1』こと『900 Super 4』の、国内向け排気量縮小版(当時国内では750ccまでしか販売できなかった)として販売されたのが『Z2』こと『750RS』だ。
この2台のバイクは、空前絶後の人気モデルとなり、後にそのイメージをゼファーシリーズや、Z900RSなどのモデルに受け継がれるほど、カワサキの象徴的なバイクであり続けている。なぜ、Z1とZ2というバイクが生まれたのか、その背景と当時の空気感についてお話ししよう。
日本の成長の証となる、圧倒的に優れたバイクを
時に’60年代末。今にして思えば、第二次世界大戦の敗戦から、たった25年しか経っていない頃だ。焼け跡から立ち上がった日本は、朝鮮戦争特需などもあって、驚異的な復興を遂げようとしていた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器が普及し、新幹線が走り、東名高速道路が出来、東京オリンピック、大阪万博が開催された……空前の好景気に湧き、日本は豊かになっていった。
その日本の好景気を支えた基幹産業のひとつが、バイクと自動車の製造だ。あのホンダだって、最初は、大戦直後に自転車に補助エンジンを付けるところから始まっている。
戦前から始まる黎明期には、数十ものバイクメーカーが覇を競い合って成長し、あるメーカーは倒産し、あるメーカーは吸収され、歴史の波にのまれていった。小排気量車はともかく、大排気量車となると技術がなく大半が欧米のバイクのコピーだった。たとえば、陸王はハーレーのライセンス生産だったし、丸正自動車はBMWのフラットツインをコピーしていた。
’60年代末、当時カワサキが擁していた大排気量車は、機構がシンプルで軽くパワーを得やすい2st.のマッハ(空冷3気筒500cc)と、合併したことで得た目黒製作所のW1(並列2気筒OHV 650ccでトライアンフのコピー)だけだった。どちらも現代には名車として伝わっているが、2st.には貫録も高級感もなかったし、パワーはあったがあまりにもじゃじゃ馬だった。W1はお世辞にも速いとは言えなかったし、カワサキにはフラッグシップが必要だった。
そこで、計画されたのが、当時最大のマーケットだった北米市場を狙った、大きく、精巧で、パワフルな空冷並列4気筒エンジンを搭載したフラッグシップモデルだった。途中ホンダがCB750FOURを発表したので、排気量を拡大900cc並列DOHCエンジンが開発された。
北米市場に販売されるこのZ1の開発計画は『ニューヨークステーキ作戦』と呼ばれた。このあたりは、弊社刊の『Z1開発物語 New York steak story モーターサイクルサムアメリカを行く』に詳しいのだが、刊行は ’90年と約30年前で、当然ながら絶版。読みたい方には、オークションサイトなどで探していただくしかない。
シグナルGP最速の『ZAPPER(ザッパー)』
そんな時代に、発展途上国であった日本の技術力で世界に挑戦しようと、渾身の技術を込めて開発されたバイクだから、エンジンはすこぶる頑丈で、チューニングの余地があり、後にカスタムバイクのベースとして優れた素質を発揮することになる。
迫力があり、精密で、美しく、パワフルで、壊れない、空冷900cc並列4気筒DOHCエンジン。美しいメッキが施された4本出しのマフラー。すこぶる丈夫な鋼管ダブルクレードルフレーム。このバイクの象徴となっていく、まるで厚切りのステーキのようなどっしりとした燃料タンク。意外や足つきがよくクッション性に優れたシート。そのパワーと重量を受け止めるディスクブレーキ。フラッグシップに相応しい豪華な、灯火類。
欧米のサルマネから脱却し、世界に冠たるバイクメーカーとして羽ばたこうという情熱が結実したバイクだった。他の何にも似ておらず、空冷4気筒エンジンを中心にした完成された『オートバイ』としてのカタチがそこにあった。
Zの名は、ZAPPERに由来。ZAPはアメコミなどにもよく出てくる擬音語で、風切り音を表す。と同時に最後のアルファベットということで、究極のバイクであることも表現している。
ZAPPERの名は、アメリカ人の大好きなドラッグレースのように公道の信号から信号までを競争する競争、シグナルGPを席捲するイメージで名付けられている。以降、『Z』の名はカワサキのビッグバイクの代名詞として受け継がれている。
『あいつとララバイ』研二くんの『ゼッツー』
Z1/Z2が希代の名車として、語り継がれたのは、新車の時のバイクの出来の良さだけが理由ではない。
幾多の小説や映画、マンガに登場した物語性、そして長年カスタムチューンを施されて、さまざまなオリジナリティ溢れるカスタムバイクとして乗り継がれたことも大きな理由だろう。Z1/Z2を産んだのはカワサキだが、育てたのはファンたちだったのだ。
日本で一番有名なのは楠みちはるによるコミックス『あいつとララバイ』の研二君の愛車として登場したZ2だろう。タンクは赤/白ツートンに塗り分けられ、エアクリーナーボックスを取り払ったファンネル仕様に直管風の集合マフラーを組み合わせている。ホイールはかなりワイドなキャストホイールで、フロントダブル、リアシングルのディスプレブレーキに換装されている。40~50代のライダーの頭の中のイメージはむしろ、Z2といえばこの研二仕様かもしれない。
もっと若い世代でいえば、藤沢とおるの『湘南純愛組』の鬼塚英吉が乗る紅蓮のZ2か。
カスタムで性能アップ、自分だけのスペシャルに
登場時はさておき、豊富なアフターマーケットパーツが登場し、改造を楽しめたのもZ2の特徴だ。もともとの素性がよく、エンジンがパワーアップに耐えたこと(このあたりは4輪のGT-RやフェアレディZに通じるものがある)、シンプルなネイキッド仕様だったため改造がしやすく、変化が目に付きやすかったこと、後にスーパースポーツバイク用のパーツや、レース用パーツなど高性能なパーツが手に入れやすかったこともあるだろう。
音も変わって、スタイル的にも激変するマフラー交換はその第一歩だったことだろう。特にZ2の場合はノーマルがメッキの4本出しマフラーだったこともあり、重量も重かったから、マフラーを集合管にすると、大幅に軽くなるし、パワーは上がるしで、効果は大きかった。
エアクリーナーボックスを取り除いてのファンネル仕様、オイルクリーナーやアールズのオイルラインの追加も定番の改造だ。タイヤはワイドにして(ノーマルは時代もあって、我々が思っているより細い)、ホイールもワイドなキャストホイールに交換。
そうなると、コーナリング時にフレームにかかる負担も大きくなるので、フレーム補強、スイングアームもアルミのレーサーレプリカのものに換装となると、かなり大幅な改造になる。ツインショック なので交換が簡単なリヤサスペンションは、オーリンズなどのリザーバータンク付きのものに。フロントフォークはレーサーレプリカなどのものを使うことが多かった。
ハンドルはノーマルのアップライトなポジションからもっと下げる。研二君を意識するならクリップオンがそれらしいが、実際にはそこまでしてしまうと少々乗りにくかった。ブレーキはディスクに。キャリパーがブレンボやAPロッキードなどのものに換装されているとさらにそれらしい。チェーンをRKのゴールドに、スプロケットもアルミのものに交換。ミラーやウィンカーなどの灯火類は、最小限のサイズのものに……というのが定番だった。
カワサキの永遠のアイコン、オールタイムベスト
ノーマルは時代性もあって、今見るとおっとりしたライディングポジションのスタンダードなバイクだったのが、ユーザーがカスタムを施すことで、性能を上げ、スタイリッシュにしていけるのが楽しかった。個性を強く主張することができたのだ。
結果として、Z1/Z2は、発売されてから50年近く経っても語り継がれる伝説のバイクになった。今、状態のよい中古車を探そうとしたら、350~400万円ぐらいが相場なのだという。驚きだ。その後、Z1/Z2を模した、ゼファー400/750/1100も作られたし、よりそれらしいZ900RSも作られた。