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【シンガーソングライター 花野ちゃん】バイクに乗り始めて夢がどんどん膨らんでいる

大好きな言葉「やらまいか」(遠州弁でやりましょうの意味)のとおり、何事も前向きな花野ちゃん。レブルに折りたたみギターを積んで、自分自身の想いを、歌とギターの音色に乗せてライブやイベントで届けている。とってもピュアで元気な花野ちゃんに、バイクと音楽について話を伺った。

シンガーソングライダー
花野ちゃん

シンガーソングライダー・花野ちゃんの原点

モンイエローのレブル250で颯爽と風を切って走る姿が素敵な花野ちゃんは、バイクにギターをくくりつけて歌を歌い、多くの方に元気を届けるシンガーソングライダーだ。

と、ここで呼び名だが、本来なら花野「さん」なのだが、彼女は周囲から「花野ちゃん」という愛称で親しまれているため、「ちゃん」で呼ばせてもらうことにする。花野ちゃんは〝バイクのふるさと〞〝楽器の街〞でも知られる静岡県浜松市で生れ育った。

小さいころから元気いっぱい外で走り回り、いろんなことに興味を抱き、気になり始めるととことん調べていたという。

バスケットボール、鬼ごっこ、かけっこが大好きな反面、家の中でゲームをすることも好きだった。まさに静と動のメリハリのある生活をしていたようだ。

家族構成は、父親と母親、3歳下の妹、そして5歳下の弟の5人。音楽活動の原点ともいうべきピアノは、小学校一年生から六年生まで習っていた。

では、いつごろからバイクに興味がわいてきたのだろうか?

そもそも浜松はバイクに乗る人が多く、バイク関連ショップも目にすることが多い。バイクメーカーやそれに付随する工場などもあり、何かしらとバイク色が濃い街だ。

そんなバイクの街で育ち、バイクを目にする機会が多かったこともあって、子供のころから自然と心の中で「バイクに乗りたい」という思いが膨らんでいった。

歌うことも大好きで、父親がギターを弾いていたこともあり、高校2年生の時にお年玉で初めてギターを買った。

「いつかバイクに乗って、ギターを担いで日本中を回れたらいいなあ、なんて思っていました」

高校卒業後は母親の影響もあって看護師を目指し、看護学校に進学する。しかし兼ねてから芸能関係の仕事に就きたい、音楽の道に進みたいと思っていたため、看護学校との両立は難しいと考え半年で退学。家を出て上京した理由は、自分の言葉でも思いを伝えたいということで「音楽の道」に進みたかったため。その意志は強く、父親も「やりたい思う道に進みなさい」と応援してくれたそうで、浜松の実家を出て東京に引っ越す際にも、段ボール4箱と自転車を車で運んでくれた。

父親の娘に対する愛情が伺えるシーンは、まるで映画のようだ。

妹が二輪普通免許を取得して、彼女がグラストラッカーでカッコよく走っている姿を見て、花野ちゃんのバイク熱はさらに上昇していった。妹のライダー姿が引き金となり、花野ちゃんも念願の二輪普通免許を取得した。

「実は反対されるのが嫌だったので、免許を取ったことは両親に内緒にしていました。バイクを買うことも、な〜んにも話さなかったです」

いよいよバイクを購入することになったが、先ずどんなバイクに乗っていいのかわからず、周りの人たちに聞いたりもした。最終的な決め手は、「大好きなレモンイエローカラーのバイクに乗りたい!」だった。いろんなメーカーのラインナップを子供のころと同じくとことん調べ、「これだ!」とレブル250を選んだ。

その際、前のオーナーの癖などがついているかもしれない中古車ではなく、新車を選んで購入したというあたりに、花野ちゃんの堅実さが伺える。

ちょうどコロナ禍、日本中が居住区を出るだけでもブーイングが出ていたころで、せっかく入手したレブルともあまり遠出が出来ずにいた。

コロナが収束すると花野ちゃんは都内を飛び出し、走る! 走る!2年間で、総走行距離は2万5000㎞にもなった。

「日本中を走っていたので、バイクでつながった友達が全国にいることが嬉しいです。音楽を通してのファンと、バイクを通してのファンが半々くらいで、ちょっとずつバイクつながりのファンの方が増えてきています」

そう笑顔満開で答えてくれる花野ちゃん。ファン層は、小学生から年配の方まで幅広い。

そもそもバイク自体、趣味の延長で乗っていたところに仕事としてのオファーが入るようになってきた。その第一弾は、浜松市にある「田方自動車学校」でのバイク試乗会で歌って欲しいとの依頼だった。

バイクに乗り始めたことで、大きな驚きがあった。なんとご両親とも元ライダーだったのだ。

ご両親は花野ちゃんが誕生したタイミングでバイクを手放し、妹さん、弟さんが成長して育児から手が離れても、二人ともバイクに戻る事はなかった。その事実を、少し前まで全く知らずにいた。

最近、父親がスーパーカブに乗り始め、そこで両親がライダーだったことを聞かされたそう。ちょうどご両親が乗っていたころはバイクブーム。女性は妊娠、出産でバイクを降りてしまう方も少なくなかった。

妹と自分が免許を取り、父親がリターン。一挙に家族にライダーが増えた、というよりバイクファミリーになった。

バイクとファミリーといえば、それに関するエピソードがある。

あるライダーの娘さんが不登校になり家族で悩んでいた時、ちょうど花野ちゃんの「はじめのいっぽ」をユーチューブで見つけて聴き、そのメッセージに感動して明るい未来を目指すことが出来たという。花野ちゃんの楽曲で、ひとつの家族が救われたのだ。

「誰かのためになれていることが嬉しく、バイクに乗っていたからこそ出会えたご縁に感謝しています!」

バイクでつながった人と人との絆がどんどん広がっている花野ちゃんは、これからもいろんなことにチャレンジしていきたいという。

とにかくバイクで走ることが大好きだから、「キャンプしたい」「北海道や九州にも行きたい」「もっともっとバイクと歌を繋げて故郷の浜松で大きなイベントをやりたい」「スーパースポーツタイプにも乗ってみたい」と、やりたい目標がどんどん花野ちゃんの口から出てくる。

浜松愛がとびっきり深い花野ちゃんを、浜松市の「やらまいか大使」に推薦したいくらいだ。

バイクに乗り始めたからこそ広がる夢。その実現に向けて、花野ちゃん、GO!

レモンイエローのレブルを探せ!
大好きなレモンイエローの燃料タンクが目を惹くレブル250に、折りたたみのギターを積んで出かけるのがいつもの旅スタイル。全国津図浦々に花野ちゃんの歌声が響き渡る日が楽しみだ。今日はどこを走っているのかな??
どこかにレモンイエローが……
2りんかんでアルバイトをしていることもあり、バイクに乗る際の装備にはこだわっている。身に着けるものにさりげなく入るレモンイエローが鮮やかで視認性抜群。もちろん安全運転も心掛けている
相棒のギターは折りたたみ式
コンパクトにたためるタイプを発見して以来愛用しているこのギターは、専用のケースに入れてバイクに積めることが一番の強み。斬新なカラーのヘルメットもお気に入りで、花野ちゃんにぴったり
旅の思い出が積み重なる幸せ感
レブルでどこへでも走って行ってしまう花野ちゃんのトップケースには、いろんなステッカーが貼られている。その一つ一つが旅の思い出や人との出会いが感じられるものばかりで、見ていると楽しい
SNS用の写真撮影に余念なし
ランチのハンバーガーを、自身のSNSにアップするために自撮りしている姿がほほえましい。バイクと音楽の活動を広げて、今後はYouTubeもどんどん更新していきたいとのことだ
自分の気持ちを歌で伝えたい
2024年5月5日、56designレイクサイドテラスで開催されたレブル乗り中心のカフェミーティングにゲスト出演。駐輪場の関係で参加者は56名限定ながら、トークショーやライブ、じゃんけん大会などで大盛況だった
空と電車と海に癒されるバイク旅
海の見える駅・愛媛県伊予市の下灘駅は、あるユーチューバーのスタンプラリー企画のポイント地点で訪れた。瀬戸内海をバックに電車も見る事ができ大感動
ワンマンライブは最高に楽しい!
2022年11月29日には渋谷のduo MUSIC EXCHANGEでワンマンライブを開催。クラウドファンディングで、国内外へライブ配信も行なったPHOTO/スエヨシリョウタ

花野(かの)ちゃん
静岡県浜松市出身、12月29日生まれ。好きな言葉は「やらまいか」。中学3年生でバンドボーカルを経験し人前に立つ喜びを覚え、自分の言葉で思いや気持ちを伝えたいと歌とギターを始めた。2016年6月、初のCD『わたしが雨を好きな理由』発売以来、多数のライブに出演。バイクにギターを積んでライブ会場へ向かう、シンガーソングライダーとして活動する。

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