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Motorcycle life ー“レースが好き”だけでここまで来た 異質で異色の会社員ー

“レースが好き”だけでここまで来た 異質で異色の会社員 ビー・エム・ダブリュー BMW Motorrad Japan 武藤 昇さん BMWの社員が、BMWでレース活動。けれど、レースの現場に立つ時は会社とは無関係な一個人。そんな型破りなスタイルでレース人生を送ってきた武藤 昇さん。その生き様は、まるで冒険譚だ。

G310 Trophyのエントラントに配られたステッカーにも「MutoGP」のロゴが……。MutoGPの文字は、G310 Trophyの参加者向けガイドブックや、もてぎのWebページにも掲載。もはや公式?

もてぎを席巻した謎の言葉「MutoGP」とは?

去る7月4日、ツインリンクもてぎで、BMWのG310R/GSのみで争われるワンメイクレース、G310トロフィーが開催された。この日のもてぎは、生憎の雨模様。ツーリングだったら、迷わず中止にするであろうヘビーウエットの中、実に47台ものG310が出走。熱い戦いが繰り広げられたのであった。

このレース、アマチュアレースとはいえツインリンクもてぎが主催し、MFJの競技規則に則って開催される、しっかりとした競技だ。にも関わらず、妙な点が見受けられた。

それは、ステッカーやパンフレット、ウェブの情報等々で、レース名の「G310トロフィー」の横に必ず鎮座している「MutoGP」というロゴマーク。ご丁寧に赤系のカラーで、グランプリチェックまであしらわれている。権利問題的にはスレスレでセーフな感じである。

それにしても「Moto」ならぬ「Muto」とは、何を意味するのか?その答えは、ピットロードにズラリと並ぶG310レーサーを前に、満面の笑みを浮かべている男性が鍵を握っている。というか、「MutoGP」の回答にして理由にして原因であるのが、この武藤 昇さんなのである。

そう、「Muto」とは「武藤」のこと。しかし、なぜ個人の名前が、レース名に関係してくるのか? 武藤さんはBMWジャパンの社員。現在は東日本地域のエリアマネージャーという要職を務め、担当地域のBMWモトラッド正規ディーラーを忙しく飛び回っている。そんな、BMWのエライ人だから、職権濫用でレースに自分の名前を付けてしまったのかというと、そうではない。

現在、G310でレースを走ることはちょっとしたブームになっている。ツインリンクもてぎで開催されているネオスタンダードというカテゴリーでは、今やG310ユーザーが最大勢力。そうした盛り上がりもあって、G310トロフィーの開催へと繋がったわけだが、その立役者が武藤さんなのである。

#46のS1000RR仕様にモディファイされたG310Rレーサーは、武藤さんの愛車。G310Trophyでは、国内バイクレースの最高峰、MFJ全日本ロードレース選手権ST1000クラスに、BMW S1000RRを駆って参戦中の、TONE RT SYNCEDGE4413 BMWの星野知也選手がライド。レベルの違う走りで参加者を喜ばせた

武藤さんとレースの関係は深い。かつて人気を博した、BMW製バイクのワンメイクレース「ボクサートロフィー」を立ち上げ、運営の中心人物として活動。R1100SやK1200Rの鈴鹿8耐参戦も、武藤さんの存在がなくては実現しなかっただろう。S1000RRが登場した2010年からは監督としてチームを率い、鈴鹿8耐に参戦。その重責を、2015年まで担ったのだ。

そんなレース大好きな武藤さんだから、G310という絶好の素材を見逃すことはなかった。モデルの発表こそされたものの、日本国内へのデリバリーが始まっていなかった2016年から、もてぎと交渉をスタート。250㏄以下のレースとして行われてきた「もて耐」に、2017年に1台だけではあったが、G310Rがエントリーしていたのは、武藤さんの頑張りの成果なのだ。

その後、G310でレースを楽しむエントラントはどんどん増え、現在の隆盛ぶりを迎えている。

2010年から2015年、Team Trasの監督として鈴鹿8耐に参戦。ベストリザルトは2011年の総合15位
RIDERS CLUB読者にもお馴染みの高田速人さんは、2010年から2013年の4回、Team Trasのライダーを務めた
メカニックは、全国のBMW Motorrad正規ディーラーから集まったマイスター達が務めた。サービススペースと同じメカニックスーツが異彩を放つ

武藤さんの誘いなら仕方ない。そう笑って集まる仲間達と一緒に走り続けてきた30年

そんな武藤さんなのだが、レースと関わり始めたきっかけは、営業活動の一環であったという。

「私がBMWに入社したのは1985年です。当時のラインナップは、R100系やR80系、K75といったところでした。ユーザーさんとお話しして、BMWのバイクを勧めても『オジさんの乗るバイクでしょ?』と相手にしてもらえなかったんです。じゃあ、BMWがスポーツバイクだってことを証明してやろうと、レースに出ることにしたんです」

R100GSを購入してレーサーに改造。ツインクラスに出場して腕を磨き、表彰台に上がるようにもなった。そうした中で“”クサーツインの神様”と呼ばれた名メカニック、故柳澤勝由さんとも繋がりができ、二人で協力してボクサートロフィーを立ち上げることにもなった。

そのボクサートロフィーは1995年から2010年まで、15年間にわたり続けられたのだが、BMWのオフィシャルイベントとして開催されたのは、わずか3年の間だけ。

「柳澤さんと自分の二人が、好きで始めたレースですからね。営業的にBMWが盛り上がればいいとは考えていましたが、それはそれとしてBMWでレースをしたかったんです。多くのディーラーさんにご協力していただいて成り立っていたレースですが、会社とは別の流れで動いていましたね」

筑波サーキットで開催された、Boxer Trophyのグリッド。1990年代に盛り上がった、シングル/ツインレースブームの波に乗り、毎戦のように多くのエントラントを集めた。惜しまれつつも、2010年で終了した

今でこそ、SBKにファクトリーが参戦する等、レース活動にも積極的なBMWだが、過去にはバイクレースと距離を置いていた時代もあった。武藤さんも、会社の方針でレース活動がやりにくい時期があった。

「ボクサートロフィーを始めた頃でした。社内にポスターを貼っていたら、ドイツの本社から来ていた偉い人が激怒したことがありました。レースなんかするな! って、ポスターを破かれましたから」
そう言って笑う武藤さんだが、実際は笑い事ではなかったようだ。

「これまで3回『レースを止めるか、会社を辞めるか選べ』と迫られたことがあるんです。会社の方針にそぐわなかったり、自分の営業成績が落ちたのが理由であったり……。8耐の直前に行くなと言われたこともあります。8耐はたくさんの人が関わりますし、動き出したら止められません。その時は、会社を辞める覚悟を決めて鈴鹿に向かいました。妻にも、会社を辞めると伝えたんですが、仕方ないねと言ってくれました。ありがたかったですね。『武藤は頑張ってる』と応援してくださる方もいらして、おかげで今も勤めていられます」

シングル/ツインエンジン車のレースイベント、サウンド・オブ・シングルスで見事優勝を果たした#40武藤さん。マシンはR100GSレーサー
2000年の“もて耐”にR1100Sで参戦。ライパのインストラクターとしてお馴染みの斎藤栄治さんとチームを組んだ
BMWイベントに展示された、武藤さんのR100GSレーサー。外国人男性は、パリダカマシン製作で知られるチューナーHPNのスタッフ

8耐といえば、武藤さんが作ったチームは独特だ。メカニックは全国のディーラーから集まったメカニック。BMWのことは熟知していても、レースのプロではない。当初は上手く機能しない部分もあったが、最終的には世界耐久選手権のポイントを獲得する有力チームに成長した。そんな強豪チームであっても、メカニックもクルーも手弁当での参加。仕事を休み、交通費も自腹で日本中から鈴鹿に集まっていた。

レースの世界に巻き込まれた人たちは、口では文句を言いながらも、皆本当に楽しそうな顔をしている。お金や時間を遣っても「武藤さんの誘いだから仕方ないよ」と笑っているのだ。武藤さんには、人を惹きつける、不思議な魅力がある。

もちろん武藤さんご本人は、まわりの人以上にお金も時間もレースに注ぎ込んできた。なぜ、そこまでしてレースに関わり続けるのだろう。

「結局、好きなんですよね。オーガナイザーとしてレースを開催するのも、チームを作ってレースに参戦するのも、ライダーとしてレースを走るのも、全部大好きなんです」

武藤さんは、今年65歳の誕生日を迎えた。でも、レースへの想いはまだまだ高まっていくばかりだ

星野知也選手と関口太郎選手、S1000RRで全日本を戦う二人のライダーがゲストで来場。こうした大物ゲストを招くことができるのも、武藤さんのレース界との深いコネクションがあってこそなのだ
エントラントに頼まれれば、カメラマンも務める武藤さん。参加者に楽しんでもらえるようにとの努力は怠らない
武藤さんを囲むのは、BMW Motorrad Japanの皆さん。G310 Trophyは、BMWも関わるイベントだが、駆け付けた皆さんの殆どは、プライベートで“武藤さんのレース”を応援しにきたのだ。社内でも慕われていることが伺えるシーン
梅雨真っ只中だったため悪天候に見舞われてしまったが、エントラントは意気軒昂。水しぶきを跳ね上げながら、サーキットを疾走した
サーキットに居る時とは違った表情をみせる、仕事中の武藤さん。この日訪問したMotorrad Hanedaの野崎店長は「ディーラーやユーザーの立場で考えて、一緒に仕事を進めてくれる人」と、武藤さんについて語ってくれた
サービス部門にも足を運び、生の声を聞く。現場主義が、武藤さんのビジネススタイルだ
店内のディスプレイにも目を配る

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