モノを造るヒトの想い|寺本幸司さん【TERAMOTO】
定番カスタムパーツとして人気を集める、TERAMOTOのT-REV。T-REVの開発者にしてTERAMOTOの代表、そして現役のレーシングライダーである寺本幸司さん。長身でスマートな物腰、どんなエリート街道を歩いてきた人かと思わせる寺本さんだが、実は深い挫折を経験した苦労人。そんな寺本さんの、逆境からの大逆転ストーリーを公開。
PHOTO/D.HAKOZAKI, S.MAYUMI, K.ASAKURA, TERAMOTO
TEXT/K.ASAKURA
取材協力/ 寺本自動車商会
TEL072-875-8088 https://www.teramoto.biz/
レースに向けてマシンを仕上げていく作業が大好きパーツを造ることも大好きです
学習雑誌ってあるじゃないですか? 小学何年生とか、学年別に作られた雑誌。その幼稚園児向けの本に、ポケバイでレースをする漫画が載っていたんです。それを読んで、カッコいい! ボクもレーサーになるんやって思ったんです」と、語るのは、クランクケース内圧コントロールバルブのT-REVをはじめ、さまざまなパーツをラインナップするテラモト代表の寺本幸司さん。
レーシングライダーとしても知られる、いやむしろレーシングライダーとしての活躍を知る人の方が多いかもしれない寺本さんだけに、バイクとの出会いもレースがきっかけだった。だが、幼少期からレースに取り組んでいたわけではない。
「幼稚園の時、レーサーになりたいって思って、バイクを買うための貯金を始めたんです。お小遣いとかお年玉とかをコツコツ貯めて、小学3年生の時に5万円貯まったんです」
子供にとって、4年という時間は長い。出会うものすべてが新鮮である幼少期、それだけの時間バイクへの興味が揺らがなかったのは凄いことだ。車両探しと購入は、お父さんが手伝ってくれて、ようやく手に入れたポケバイ。ここでレーシングライダー寺本幸司の歴史が幕を開けた! かと言うと、そうではない。
「エンジンをかけたら、排気音にビックリしちゃった。なんだ、このバリバリうるさいモノは!? って。すっかりビビって、一度も走らせずに、そのまま玄関の置物になってしまいました(笑)。自分のバイクを持っていることは嬉しく感じていましたけど、乗ろうとは思いませんでしたねえ。兄が中学に上がってから、ボクのポケバイで遊んでいましたが『あんなうるさいモンよう乗るわ』と冷めた目で見ていたくらいです」
だが、成長するにつれ、寺本少年の意識が変わってくる。中学生の頃には、バイクの走行音が心地良く感じるようになっていた。16歳で原付免許を取得しバイクデビュー。今度こそレースの世界へと足を踏み出した! とはならなかった。
「嬉しくてハシャギまくったあげく、免許をとって1カ月で免許取消しになってしまいました」
当時の10代少年はバイクに乗るのが当たり前。免許を失ってしまった寺本さんは、仲間との関係性まで薄まってしまったという。欠格期間を耐え忍び、再び免許を取得。久々にバイク仲間の溜まり場に顔を出したところで衝撃を受けた。
「街中でハシャいでいただけの連中が、駐車場にパイロンを立てて必死にバイクで走り込んでいたんです。『何ソレ? オレもソレやりたいワ!』ってなりました。そこで思い出したんですよね。ボクはバイクのレースがやりたかったんやって」
駐車場の即席サーキットでは、すぐに仲間内で一番速くなった。もっと速くなりたいと、ワインディングに通い詰める日々。大阪の峠道で、走っていない道はないほどだという。そして、速さを求めるのなら行き着く場所がある。サーキットだ。
「ミニバイクレースの存在を知って、すぐにスポーツランド生駒のレースにエントリーしました」
〝速い人は最初から速い〞とは、よく言われるが、寺本さんも例外ではない。スポーツランド生駒でのレースに連戦連勝、続いて進出した堺カートランドのミニバイクレースでも勝ち続け、ミニバイクレースの頂点と言われていた「まるち杯」の全国大会に、堺カートランドの推薦で出場することになった。
だが、このレースをポール・トゥ・ウィンで優勝。レーシングライダー寺本幸司の歯車が再び回り出す。’97年にシリーズチャンピオン、翌’98年は全勝で2連覇を果たした。
「ギャラももらえていたので、アルバイト感覚でした。レースで食っていこうとか、そういう意識はありませんでしたね。ただ、いくら勝ってもチーム代表が褒めてくれないのがシャクで……。代表に認めさせてやる! と意地で走っていた感じです」
所属していたチームは、スズキ系の有力チーム・ベガスポーツ。その後参戦クラスをST600にスイッチ、’00年には国際ライセンスに再昇格し全日本に復帰。全日本ST600で表彰台にも上がった。この時は、さすがにチーム代表から褒めてもらったそうだ。
いつしかGSX-R使いとして、知られる存在になっていた寺本さん。’03年にフランスのマニクールで開催されたGSX-Rカップ・ファイナルに出場が決まる。GSX-Rカップは、スズキが世界各地で開催していたGSX-Rのワンメイクレース。ヨーロッパではSBKと併催され、その最終戦は、GSX-Rユーザーの祭典的なレースとなっていた。
「観客の数も声援もスゴい。レースもトップグループに迫る走りができて、世界でも戦える、世界に出たいと考えるようになったんです」
’04〜’09年は、スズキの契約ライダーとして全日本や鈴鹿8耐に参戦。’10年に世界耐久選手権に参戦を開始。日本でのパッケージを持ち込むのではなく、単身海外のチームに乗り込んでレースを戦うスタイルが注目を集めた。
「海外では、自分のことなんか誰も知りません。全チーム全ピットを周って、名刺を配って歩いたりしましたね。チームからの扱いもぞんざいでしたが、でもタイムを出せばちゃんと認めてくれる。そこが面白いし、やりがいがある。世界に出て、初めてレースをやっていて良かったと感じられましたし、プロのライダーとしてのプライドが持てるようになりました」
〝侍〞コウジ・テラモトは、世界耐久選手権で高い評価を得ている。世界進出と同時期にスタートさせたのが、パーツブランド・テラモト、そしてクランクケース内圧コントロールバルブT-REVの開発だ。
「スズキ時代にマシン開発にも関わって、そこで経験したものの一つが、クランクケース内圧コントロールバルブでした。クランクケース内を負圧に保つことで、バックトルクやフリクションロスの軽減といった効果がある。ストリートでも有効なパーツという確信もあった。最初のうちは全然売れませんでしたが(笑)」
寺本さんは全国のバイク用品店でT-REVのキャンペーンを展開。ユーザーの愛車にT-REVを装着し、効果を体験してもらった。その効果は口コミで広がり、今や誰もが知るパーツになっている。
また電子制御デバイスの開発にも積極的で、EZ-シフターも人気だ。
「スタンダードでクイックシフターを装備しているモデルでも、EZ-シフターに交換される例は多いですね。シフターのトリガーは圧力センサーが多く、これが繊細な部品なのでトラブルが少なくありません。EZ-シフターは信頼性の高い磁気センサーを採用しているので、耐久性には自信があります。レース中、絶対に壊れて欲しくない部分なのでレースユーザーから評価してもらえたのですが、最近はストリートユーザーからも好評です」
寺本さんの造るパーツは、マフラーやブレーキパーツといった、直接的なパフォーマンスパーツとは少々毛色が違う。
「基本的にライディングをアシストすることを目的としたものです。乗りやすく快適に、より速く走れるようにと考えています。自分は図面を引いたりは出来ませんが、レーシングライダーですからマシンを仕上げる方法は知っています。今もレースを走り続けているからこそ得られるデータや、マシンを仕上げるスキルがあります。テストを繰り返し、目指している性能に近づけていく工程は、レーサー造りも市販のパーツ開発も同じですし、そうした作業が大好きなんです」