【ギャリー・マッコイ】突如として現れてパワースライドを使いこなした凄さ【熱狂バイククロニクル】

松屋正蔵
1961年・神奈川生まれ。’80 年に『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄先生の矢口プロに入社。’89年にチーフアシスタントを務めた後退社、独立。バイク雑誌、ロードレース専門誌、F1専門誌を中心に活動。現在、Xアカウントの@MATSUYA58102306にてオリジナルイラストなどを受注する。
今回取り上げるのは、派手なパワースライドで有名になったギャリー・マッコイさんです。
ギャリー・マッコイさんといえば、レース好きな方なら「パワースライド」をイメージされるのかな? と思いますが、私も同様にそう思います。痩身で小柄なマッコイさんは、そのイメージとはかけ離れた、派手なライディングが特徴のライダーで、パワースライドと呼ばれる走法が得意でした。アクセルをリアタイヤが滑るレベルまで開けることで、路面にブラックマークを残しながら激しい立ち上がりを見せるのが、パワースライドと呼ばれる走法でした。
私は’83年頃から世界GPを見始めましたが、その時期にパワースライド走法を使っていた代表的なライダーは、ワイン・ガードナーさんでした。ガードナーさんと同じロスマンズカラーで走った、フレディ・スペンサーさんもパワースライドを使えていたことには、少ししてから気付きました。
そしてその後はケビン・シュワンツさん、ウェイン・レイニーさんも、ブラックマークを残しながらコーナーを立ち上がるシーンが見られるようになりました。当時のチャンピオンを争うトップライダー達は、皆やっていた、できていたのです。「向き変えが上手くできなくても、パワースライドでリアを流しながら立ち上がれば、コースアウトしないでそのまま!」と。
’80年代初めでは、まだタイヤを滑らせながら走る前提ではなく、しっかりとグリップさせて、できるだけ長い時間、高いグリップレベルを保つというタイヤを開発していた時期でした。そんなタイヤを使いながら、現在にも繋がる、タイヤを滑らせてドリフトしながら走行していたわけです。改めて考えても、凄い時代でした!
そして’90年代となり、レースファンの方々の中でも、パワースライド走法は定番となった印象がありました。そんな中、突然出て来たのが、今回注目するギャリー・マッコイさんでした。「いきなり」というのは、本当にそれまで聞いたことのないライダーが現れたからです。そして、一気にレースファンに認知されたきっかけは、その派手なパワースライドでした!

それは、勝てる可能性が無いマシンで走った時のランディ・マモラさんが、高速コーナーで白煙を上げながら魅せるパワースライドとよく似た派手さでした。そしてマッコイさんはその派手なパワースライドを駆使して、優勝してしまったのです! それまではほぼノーマークだったライダーがいきなり勝ってしまったのですから、GP全体がビックリしたのです。
そんなマッコイさんは、オーストラリア出身で、ガードナーさんやミック・ドゥーハンさんと同郷のライダーなのです。そしてスペンサーさん、シュワンツさん、レイニーさんと同様に、オフロードやフラットダートトラック出身のライダーでもありました。ですからタイヤを滑らせながら走ることは、苦にはならなかったのです!
マッコイさんのレースキャリアは、意外にもロードレースを始めてあまり時間を置かずに、世界GP125にデビューしてフル参戦を始めています。GP125を6シーズン走り、なんと2回の優勝も果たし、「条件が整えば勝てる!」というところを、関係者に見せつけていました。
そしてついに’98年には、ホンダから代役参戦でGP500へのステップアップを果たします。GP125とは違い、エンジンパワーが強力な500ccマシンは、マッコイさんにとってはピタッとはまるくらいマッチングしたのでしょう。
’99年からはヤマハに移籍し、’00年にはYZR500でついにGP500での初優勝を果たしました! この’00シーズンには3勝を果たし、GP500でも勝てることを証明してみせました。
しかし、GPでの注目がマッコイさんに集まり始めると、ミスが散見され始めました。GP500での転倒は、怪我も大きくなりやすいですから、それが原因でチャンピオン争いが困難になっていきました。’03年からはMotoGP初年度のカワサキに乗りました。結果的にはMotoGPでのシートが危うくなり、’04年からはSBKに移籍となります。そして’08年からはWSSへ移り、’10年には全てのレース活動からの引退となりました。

パワースライドの話で盛り上がりましたが、マッコイさんがGP500で初優勝を果たしたレースをビデオで見直してみると、実際にはパワースライドというより、最近のMotoGPでのライディングによく似ています。コーナーへのアプローチでのドリフトコントロールの巧みさが目を引くのです。ブレーキングから逆ハンを当てると同時に、マシンを寝かし込みます。この時にリアを振り出すのです。
リアを振り出しますから、マシンの向き変えがしっかりと早くできるので、他のライダーと比べても小回りが利いており、パッシングシーンでインに飛び込んでも綺麗に楽そうに通過していました。バンク角は深く、コーナリングに入ると意外にも、ごくごく普通なライディングフォームをしていました。背筋も自然と伸びていて、お尻の位置もどちらかと言うとリーンウィズかと思えるような大人しい腰のオフセット量でした。バンク角が深いことで、アクセルを開けると簡単にリアが流れるようで、マシンを起こしながらパワースライドに持ち込み、スピードを乗せて立ち上がっていきます。現在のMotoGPのトップライダーと似たライディングを、25年も前からやっていたのですね!?
この25年間でのタイヤの進歩は、エッジグリップの向上にあると思っています。ブリヂストンがMotoGPクラスのタイヤサプライヤーだった時代は、特に顕著にそう感じます。
ブリヂストンの登場により、ライダーのライディングが大きく変わったように感じるのです。マッコイさんはそれ以前のライダーですから、そこにマッコイさんの凄さを改めて感じます。いきなり出て来た印象のマッコイさんでしたが、あの派手なパワースライド、ドリフトは、見る人を唸らせるだけの、凄まじい味がありました。
タイヤ、マシンの開発でも、まだ改良が必要だった時期でしたから、見ていても非常に面白い存在でした。