MotoGP/年間王者を逃すも、安定した戦績を誇った2020 YAMAHA YZR-M1
新型コロナウイルス感染拡大の影響で例年とは異なったスケジュールで進行した2020シーズン 開発の現場ではいったい何が起こっていたのだろうか スズキが躍進した原動力は? それに対しヤマハとホンダはどう対策していったのか……元MotoGPライダーの中野真矢さんがYZR-M1の開発者にインタビュー。
不安定だった“強さと速さ”YAMAHA YZR-M1
チャンピオンシップでは敗北したことになる。だがヤマハは全14戦中ポールポジションを9回、表彰台は延べ12回獲得し、そのうち7勝と勝率は5割をマークしているのだ ライダーとマシンのマッチングがいかに繊細で困難で、そして重要かを改めて示した。
ヤマハ発動機 MS開発部
MotoGPグループリーダー鷲見崇宏さん
’03~’06年までYZR-M1の車体設計を担当。量産車部門でのYZF-R1の車体設計などを経て、’09年、再びレース部門に戻り、M1の車体設計を取りまとめる立場に。’19年から現職に就いた
状況やメンタルの変動にもっと寄り添えるマシンを
中野 19年型と20年型で、YZRM1はどのように変わりましたか? 違いと、その狙いを教えてください。
鷲見 19年型のM1は、ポールポジ ションを9回獲る速さがありましたが、マルク・マルケス選手という手強いライダーを相手に戦うには、強さが足りませんでした。20年に向けては、強さを身に付けること――主にはエンジンをパワーアップし最高速を高めることを狙い開発を進めました。優れたハンドリングやドライバビリティという、ヤマハの長所を維持しながらもトップスピードを上げ、強豪に立ち向かうつもりでした。
中野 20年はミシュランが新しいリアタイヤを投入しました。マシン造りも影響があったのではないかと思いますが、いかがでしたか?
鷲見 おっしゃる通り、タイヤの変更は大きな出来事です。我々も過去にフロントタイヤの変更で、マシンのキャラクターが大きく変わってし まうという苦い経験をしていますので、ミシュランの新しいリアタイヤには慎重に臨みました。
19年のうちから何度かテストをする機会があったんですが、その時の手応えからすると確かにグリップは上がっている、と。ただ、マシンのキャラクターに影響を及ぼすほどではなかったんです。幸い、開発の方向性を大きく変えなければならないようなことはありませんでした。
聞き手:中野真矢さん
’98年、YZR250で全日本王座。翌’99~’00年にYZR250、’01~’03年はYZR500とYZR-M1を駆り、世界GPとMotoGPを戦った
中野 シーズンが開幕して、手応えはいかがでしたか?
鷲見 エンジンパワーの改善をしたつもりでしたが、ライバルも同じように改善しており、戦う環境を変えるには至りませんでした。ただ、サ ーキットによっては確実に差が縮まっていて、方向性としては間違っていなかった、と思っています。
ファクトリーマシンをマーベリック・ビニャーレス選手、バレンティーノ・ロッシ選手、そしてファビオ・クアルタラロ選手の3人に託しまし たが、強みを維持しながらパフォーマンスの枠を大きく広げるのは、非常に難しいことを再認識させられましたね。熟成されたマシンに比べると、操縦性を中心に完成度の煮詰めが足りない面がありました。
ポジとネガが交互に現れた
中野 20年のヤマハ勢は速かったレースと厳しいレースがあり、成績に波があったように見えました。おっしゃられている煮詰め不足が要因だったのでしょうか?
鷲見 新しいハードウエアにはプラスとマイナスの両方が付き物です。その結果、マシンに対してライダー側がアジャストするよう要求する部分がありました。これが不安定さの要因のひとつでしたね。
実は全14戦中7勝を挙げていますから、ヤマハの勝率は5割。ポールポジションは9戦で獲っています。
速さと強さを発揮できる場面は19年よりは増えていたんです。特にフランコ・モリビデリ選手が 後半戦によいパフォーマンスを発揮 しながら安定性を高め、ランキング2位まで上り詰めてくれました。ただ、ポジティブ、ネガティブがきれいに交代にやってきたのも確か。 ヤマハとして特にチャンピオン獲得に期待していたビニャーレス選手とクアルタラロ選手が後半戦に低迷したのは大きかったですね。
パワーを上げながらも今までの強みを維持することが目標でしたが、これがなかなか難しいかったですね。何かが突出すると、相対的に何かが凹んでしまう面があり、そこを整え切れなかったのかな、と。
特にビニャーレス選手はタイヤや路面状況の変化に敏感で、人一倍苦 労させてしまいました。ハードウエアとライディングのマッチングは、大きな課題として取り組んでいます。
中野 ビニャーレス選手といえば、 第6戦スティリアGPでブレーキトラブルが発生しました。どのマシンもほぼ同じブレンボのブレーキシステムを使っていますが、なぜ彼にトラブルが起きたのでしょうか?
鷲見 レッドブルリンクがブレーキに厳しいことはあらかじめ理解していましたので、温度管理などしっかりしていたつもりでした。ただレース展開の中で限界を超えてしまった。ライダーによってブレーキの使用負荷はまったく違います。ビニャーレス選手のブレーキングのデータを見て我々が選んだスペックが正しくなかった、ということですね。彼を危険な目に遭わせてしまったことは大変申し訳なく思っています。
中野 ファクトリー勢が苦戦する中、モルビデリ選手が後半戦は安定していました。その要因と、ファクトリーマシンとの違いを教えてください。
鷲見 まずマシンの違いですが、彼には唯一、我々が「サテライトAスペック」と呼ぶ仕様に乗ってもらいました。これは19年型をベースにしながら、よりよいパーツを組み込むことでパフォーマンスを高めた仕様です。いわゆる型落ちの19年型ではなく、20年型と19年型の間、というイメージでしょうか。
彼が安定して成績を残せたのは、19年からヤマハのサテライトチームに所属していた彼にとって、基本的には乗り慣れたマシンだった、ということもあると思います。ですがマシンがすべてというわけ ではありません。マシンの強みをきちんと理解し、各走行セッションでもチームスタッフと一緒にひとつひとつ積み上げていくという、彼のスタイルがさらに改善されていました。
落ち着いて、地に足を着けて、彼本来の能力を安定して発揮し、ランキング2位まで上り詰めることができたのは、本人とチームのやり方がうまく噛み合った成果でしょう。21年もサテライトAスペックを供給予定。安定して高いパフォーマンスを発揮してくれるはずです。
中野 21シーズン、ファクトリーチームはビニャーレス選手とクアルタラロ選手がチームメイトとなります。ふたりは仲がいいんでしょうか? シーズン中、ピットが壁で仕切られてしまうようなことがありそうです か?
鷲見 お互いに強いライバル心は持っていると思います。最後はチームメイトが最大のライバルだということは、中野さんもよくご存知ですよね(笑)。ポイント争いが接近戦になれば、ピリピリする時も訪れるかもしれません。
でも、我々の目的はチャンピオンを獲ること。必要以上の緊張感やチーム内の「壁」は決していい風には作用しません。ですので、助け合うことをベースに、コースでは「ふたりで戦ってこい」と送りだそう、という取り組みですね。
中野 ロッシ選手はサテライトチー ムに移りますが、ファンの多い彼のことですから、復調を願う声もたくさん聞かれます。ヤマハが彼に期待することはなんでしょうか?
鷲見 ロッシ選手のパフォーマンスは健在です。今は「金曜朝のフリー走行からずっとトップタイム」といったことはありませんが、そこは力を入れるべきところ、抜くべきところを分かっている大ベテラン。日曜の決勝にしっかり仕上げて来るのが強みです。
カラーリングは変わりますが、今年は去年以上に、若手の中でパフォーマンスを発揮する彼の姿をお見せできるようサポートしていきたいですね。サテライトに移籍することにはなりますが、同じYZR-M1を仕上げていく中で、ベテランであるロッシ選手のコメントには重みがあります。
ヤマハとしては彼からのフィードバックを大事にしながら、M1を速くしていこうと考えています。もちろん、チャンピオンが見える位置に行ければ、彼としても狙ってくるでしょう。獲れれば10回目、常にモチベーション高くレースに臨むのが彼の強みです。
中野 最後になりますが、個人的にはホルヘ・ロレンソ選手の開発ライダーとしての走りをもっと見たかっ たです。やはりコロナ禍は大きく影響しましたか?
鷲見 おっしゃる通りです。我々としてもああいう速いライダーと契約することができ、最大限テストの機会を作り、レースライダーにフィードバックするつもりでいました。しかし残念ながらコロナ禍の影響で、我々は機材を持ってヨーロッパに飛ぶことができず、逆に彼を日本に呼ぶこともできなかった。うまく テストの機会を作れませんでした。
最終戦としてポルティマオが追加されることが決まり、10月に当地でミシュランがタイヤテストを行いました。なんとかそのチャンスに走っ てもらい、フィードバックをもらったのが唯一の機会となってしまった のが残念ですね。
最後の最後にご挨拶させてくださ い。中野さん、改めて初めまして。 ライダー時代の中野さんのお話を先輩方から多くうかがっていたので、勝手に個人的に身近に感じていました(笑)。今回はこうしてお話できたことを非常にうれしく思っていま す。
中野 ありがとうございます! 21シーズンのさらなるご活躍に期待しています。