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ヤマハファクトリーライダーのチャンピオン達スペシャルトーク「王座は努力の証」

ヤマハファクトリーライダーとしてチャンピオンを獲得し、一時代を築いた男たちである。和やかなムードでトークは盛り上がったが、話の端々からは得も言われぬ迫力がしずくとなってこぼれ落ちる。そこから広がるのは、頂点に立った者にしか分からない究極の領域だ。勝つこと。勝ち続けること。その意味を、その難しさを、彼らは誰よりも深く知っている。

原田:中須賀くんは今年も全日本ロードJSB1000でチャンピオンを獲って、これで何回目?

中須賀:はい、おかげさまで11回目になります……。

中野:11回って、すごすぎる!僕は全日本のチャンピオンは1回だけだから、到底敵わないな。

【原田哲也】’70年生まれ。千葉県出身。’92年、全日本GP250でタイトルを獲得。翌’93年には世界GP250に参戦。デビューイヤーでチャンピオンを獲得。’97年、アプリリアに移籍。’99~’00年は最高峰の500ccクラスに挑戦し、翌’01年は250ccクラスに返り咲き、ランキング2位をもぎ取った。グランプリ通算表彰台55回は今も日本人最多記録
【原田哲也】’70年生まれ。千葉県出身。’92年、全日本GP250でタイトルを獲得。翌’93年には世界GP250に参戦。デビューイヤーでチャンピオンを獲得。’97年、アプリリアに移籍。’99~’00年は最高峰の500ccクラスに挑戦し、翌’01年は250ccクラスに返り咲き、ランキング2位をもぎ取った。グランプリ通算表彰台55回は今も日本人最多記録
【中須賀 克行】’81年生まれ。福岡県出身。’00年、GP250で全日本参戦開始。’05年よりJSB1000クラスに。’07年に初優勝を遂げると安定した速さを発揮し始め、08年には初のチャンピオン獲得。以降タイトルは、翌’09年(2連覇)、’12~’16 年(5連覇)、’18 ~’19 年(2連覇)、そして’21 ~ ’22 年(2連覇)と、計11回にもなる。ヤマハMotoGPマシンの開発ライダーも務め、’12 年にはスポット参戦したMotoGPバレンシアGPで2位表彰台を獲得した
【中須賀 克行】’81年生まれ。福岡県出身。’00年、GP250で全日本参戦開始。’05年よりJSB1000クラスに。’07年に初優勝を遂げると安定した速さを発揮し始め、08年には初のチャンピオン獲得。以降タイトルは、翌’09年(2連覇)、’12~’16年(5連覇)、’18 ~’19年(2連覇)、そして’21 ~ ’22年(2連覇)と、計11回にもなる。ヤマハMotoGPマシンの開発ライダーも務め、’12 年にはスポット参戦したMotoGPバレンシアGPで2位表彰台を獲得した
【中野真矢】’77年生まれ。千葉県出身。’97年、全日本GP250に参戦開始し、翌’98年には9戦中8勝を挙げてチャンピン獲得。’99年から世界GP250に参戦し、’00年にはランキング2位に。’01年から’08年まで参戦し続けたグランプリ最高峰クラスではヤマハ、カワサキ、ホンダを経験。ヤマハでは3位、カワサキでは2位および3位表彰台を獲得している
【中野真矢】’77年生まれ。千葉県出身。’97年、全日本GP250に参戦開始し、翌’98年には9戦中8勝を挙げてチャンピン獲得。’99年から世界GP250に参戦し、’00年にはランキング2位に。’01年から’08年まで参戦し続けたグランプリ最高峰クラスではヤマハ、カワサキ、ホンダを経験。ヤマハでは3位、カワサキでは2位および3位表彰台を獲得している

中須賀:いやいや(苦笑)。僕は世界で戦ってないですから。そういうのやめてくださいよ(困り顔)。

原田:本当にすごいよね。僕は全日本はジュニア125と250で2回、世界では1回しか獲ってないから、到底敵わないよ。

中須賀:いやいや、いやいや、本当にそういうのやめてください(大あわて)。時代も全然違うし、背景だってまったく違うんですから。世界チャンピオンなんて、すごすぎて想像もつきませんよ。

原田:そう? 関係ないよ。どんな時でも、どんなレースでも、チャンピオンを獲るのはひとりだけ。自分で獲っておいて言うのはナンだけど、やっぱりすごいことだし、それを11回も成し遂げてるのは尊敬に値する。

中須賀:いやいや、ホント、そういうのじゃないですから(編註:さらにあわてる。現役ヤマハファクトリーライダーである中須賀選手は、ヤマハ出身の原田さん、中野さんの後輩にあたり、頭が上がらないのだ)。もう、今日はものすごく居心地が悪いなあ……。

あえて、若手ライダーの「壁」になろうともしている。「上を目指すなら、オレぐらい軽く越えて行け」という熱い思いがほとばしる
あえて、若手ライダーの「壁」になろうともしている。「上を目指すなら、オレぐらい軽く越えて行け」という熱い思いがほとばしる
中須賀選手にアンブレラを掲げているのは、かつて自身も全日本タイトルを獲得した吉川和多留さん。ヤマハファクトリーRT監督であり、中須賀選手のよき理解者だ
中須賀選手にアンブレラを掲げているのは、かつて自身も全日本タイトルを獲得した吉川和多留さん。ヤマハファクトリーRT監督であり、中須賀選手のよき理解者だ
勝ち続けている今もスタート前は吐きそうなほど緊張する。自分の走りを高めたいという思いの表れ。MotoGPマシンの開発業務が大きなモチベーションになっている
勝ち続けている今もスタート前は吐きそうなほど緊張する。自分の走りを高めたいという思いの表れ。MotoGPマシンの開発業務が大きなモチベーションになっている
’21年開幕戦から’22年最終戦に至る23戦で、全戦全勝。タイトルは11度目。まだ続いている記録は、今後破られることはないだろう
’21年開幕戦から’22年最終戦に至る23戦で、全戦全勝。タイトルは11度目。まだ続いている記録は、今後破られることはないだろう

中野:僕と哲也さんが、寄ってたかって中須賀くんをいじめてるみたいな構図だね(笑)。実績がすごすぎるから、こればかりは仕方がない。でもマジメな話、僕はチャンピオンを獲り続けた経験がないから、どういうモチベーションなのかはぜひ聞いてみたいな。

原田:僕も知りたい(笑)。

中須賀:モチベーションですか……。もちろん、レーシングライダーとして出るレースで勝ちたいというシンプルな気持ちもあります。でも、それだけじゃないんですよね……。自分の場合はちょっと特殊かもしれませんが、’12年からMotoGPマシン(編註:ヤマハYZR-M1)の開発にフルで携わってることが大きいですね。
MotoGPマシンは、とんでもなくレベルが高いんですよ。速度域も非常に高いし、ブレーキングもハードです。そのマシンを正しく評価するためには、MotoGPライダーたちとできるだけ近いペースで走る必要があります。さすがに彼らとまったく同じようには走れません。
でも少しでも近づくために、常に自分を高め続けなければいけないんですよ。やっぱり常に高いレベルでレースをしていないと、自分の限界に近づくという行為がなかなかできなくなってしまう。MotoGPマシンの開発業務の存在は、僕にとってすごく大きいです。

中野:なるほど、だから全日本の最高峰クラスであるJSB1000にチャレンジし続けてるのか……。すごくよく分かるなぁ。
僕も’08年まで4ストロークのMotoGPで戦ってたけど、体力勝負っていう面はすごく大きかったから。暑い国でのレースなんて、最後までレースを走りきれるか分からないぐらいのキツさだった。ライバルに絶対バレないように、そんな雰囲気出さないようにしてたけど(笑)。

原田:その当時に比べても、今のMotoGPマシンはさらに速くなってるんだもんね。大変だよ。

中須賀:そうなんですよ。特に空力デバイスが装着されるようになってからは、操作がひときわ重くなりました。体力勝負なんですよ。今のMotoGPは、本当にシビア。
ミシュランのワンメイクタイヤや共通ECUでマシンのパフォーマンスがかなり接近してるから、ライダーが頑張らなくちゃいけない。決勝レースも、予選アタックを20周以上続けているようなペースですからね。ちょっと信じられないぐらいです。

原田:そんな話を聞くと、「4ストMotoGPを経験せずに引退してよかった」と心から思うよ(笑)。中須賀くんも、MotoGPマシンのテストをして、全日本でも勝ち続けて、かなりトレーニングしてるんじゃない?

中須賀:ええ、それなりに追い込んでいるつもりです。僕も41歳なので、さすがにこれからフィジカルが伸びていく気はしていません。でも、今のコンディションを維持はしたい。
そのために、やれるだけのことはやっているつもりです。若いライダーはやっぱり体力があるし、勢いもありますからね。負けていられない(笑)。

中野:でも、中須賀くんぐらいのベテランともなれば、若いライダーたちに対して「オレを越えて行け」という気持ちもあるでしょう?

中須賀:そうですね、いつも「若いライダーに育ってほしい」という思いを持ってますね。本音を言えば、「本気で上を目指すなら、オレぐらい軽く倒していけよ」と思うんです。
僕も何度かMotoGPにスポット参戦させてもらっていますが、その経験からも、「世界で戦ってる連中は、こんなもんじゃないんだからな」って言いたい。

原田:2年前のオートポリスを思い出すなあ。チームメイトである若手の野左根航汰くんが、中須賀くんとバトルして接触したんだよね。

中須賀:僕は転んでしまってリタイヤ。野左根が優勝したレースですね。接触の瞬間は、さすがに僕も少しはカッとしました。こっちも勝つつもりでレースしてますからね。
でも一方で、ちょっとうれしいというか、「おお、野左根もここまで自分を出してきたか!」と、彼の成長を頼もしく感じたのも確かなんです。そんな野左根でさえ、スーパーバイク世界選手権に行ったらやっぱり苦労しましたからね。世界の連中はハンパないです。……あ、だからやっぱりおふたりともハンパないんですって!

原田:いやいや、V11はやっぱり強烈だよ(笑)。

中野:敵わない、敵わない(笑)。

中須賀:ホント勘弁してくださいよ、困ったな、もう……(うろたえる)。

中野:でも冗談抜きで、ここまでチャンピオンを獲り続けるって、本当にすごいことだと思うよ。

原田:そうだね。いくらMotoGPマシン開発のために自分を高めることとか、若手の目標になるというターゲットがあったとしても、これほどは続けられないよ。

中須賀:おふたりにはよく理解してもらえると思うんですが、今走っているのがファクトリーチームだっていうこともすごく大きいです。ヤマハというメーカーの看板を背負って戦っているわけですから、勝つことは当たり前の仕事です。

中野:最大限、ライダーのわがままを聞いてもらえる体制だからね。その分、結果で返していくしかない。

中須賀:その通りなんです。JSB1000に参戦し始めた当初は、ESPレーシングという名のサテライトチームでした。そこでチャンピオンを獲って、’15年にファクトリー体制が復活しました。チームの中身自体はそれ以前とほとんど同じなのに、やっぱりまったく別物になったんですよ。「アレが欲しい」と言えばすぐ用意してもらえるような体制になったんです。

原田:ライダー冥利に尽きるよね。

中須賀:そうなんですよ。本当にありがたいことだし、僕以降に続く若手ライダーのためにも、どうにかファクトリー体制を続けてほしい。そのために僕ができるのは、勝つことしかない。レーシングライダーは、結果でしか表現できないから。

原田:一緒に働いてくれているチームスタッフのみんなへの責任感みたいなものもあるでしょう?

中須賀:それはもう……。もはや責任感だけ、と言ってもいいぐらいですよ、本当に。

原田:僕や中野くん、中須賀くんもまったく同じだと思うけど、レーシングライダーって、速く走るのが仕事だけど、そのためにいろんな事前準備がかなり重要でしょう? チームスタッフとの濃密な信頼関係作りもそのひとつだよね。スタッフが自分の言っていることを理解してくれなければ、いいマシンセッティングなんか絶対に得られないからね。
現役時代、奥さんの美由希さんが「スタッフとの会話を聞いていてもまったく分からないわね」って笑ってた。ライダーは、「ドドド」とか「ダダダ」とか「ポワンポワン」とか、擬音でしか話さないから(笑)。でもエンジニアは、それをちゃんと理解してくれる。「ポワンポワン」の度合いまで分かってくれたうえで、解決できるセッティングをしてくれるんだ。本当に大事な存在だよ。

中野:そうですね。僕も初めて世界グランプリに行った年は、英語もほとんど話せなくて苦労しました。でも幸い所属したのがテック3というチームで、代表のポンちゃん(編註:エルベ・ポンシャラルさん)が若井伸之さんと仲がよかったこともあって親日家だったんです。
だから、ダンロップのエンジニアと僕の間に入って、通訳してくれた。ポンちゃんも日本語がしゃべれるわけじゃないのに、僕が言いたいことをちゃんと理解してくれて(笑)。

原田:レースって、道具を使うスポーツだからね。道具のポテンシャルをどれだけ発揮させられるかに尽きる。だから結局はライダーとエンジニアがどれだけ理解し合えているかってことなんだ。

中須賀:めちゃめちゃよく分かります。僕も吉川和多留さん(編註:’94年、’99年に全日本スーパーバイクチャンピオン。現在は全日本ヤマハファクトリーレーシングチームで監督を務める)の理解がすごく大きな支えになってるし。そうですね、和多留さんに限らず、やっぱりスタッフには結果で恩返しするしかないなって思います。

中野:そういえば僕、’98年に全日本のチャンピオンを獲った時、自分では正直あまり実感がなかったんですよ。20歳の若造だったので(笑)。
でも、スタッフがボロボロ泣いてるのを見て、「ああ、チャンピオンってこんなに重いものなんだ」って。スタッフのみんなに教わりました。哲也さんも全日本250のチャンピオンになった時は、やっぱり重みみたいなものを感じました?

原田:全然。「あ、獲れたな」って。中野、

中須賀:あ、あれ?(笑)

原田:もう翌年にはグランプリに行くことが決まってたしね。通過点って感じだったかな。

中野:やっぱりこういう人が世界チャンピオンになるんだな~。

中須賀:ですね~(苦笑)。

原田:でもさ、それまでさんざん岡田さんに負け続けてたからね(編註:岡田忠之さん。原田さんとの対決に勝ち全日本GP250で3連覇を成し遂げた)。ようやくって感じだったよ。

中野:哲也さん、その翌年はデビューイヤーでいきなり世界チャンピオンですからねえ。すごいですよ。

原田:みんなアッサリとチャンピオンを獲ったように思ってるけど、実は同じマシンでさんざん全日本で苦労してたんだよ。それこそ岡田さんに勝てなくてさ。全日本時代を含めて、セッティングもライダーとしても、やれるだけのことを積み重ねていたからだよ。表面上は簡単そうに見えるんだ。

中野:それすごく分かります。僕も全日本のタイトルを獲った時、9戦中8勝してるんですよ。だから「簡単だったでしょう?」って。「いやいや、冗談じゃないよ」と。
まぁ、言いはしませんけど(笑)。それこそさっきの話じゃないですが、スタッフのみんなも含めて、どれだけ細かいところまで煮詰めていったか。外からはなかなか見えないことですけどね。

原田:そうなんだよね。だからこそ、中須賀くんのV11は本当にすごすぎる!

中須賀:えっ、あっ、油断してた。またそこですか?(笑)でも正直、チャンピオンを獲るって、運みたいなものも大きいかな、と思います。
「持ってる、持ってない」の差はかなりありそう。

原田:それは絶対にある。勝つために努力するのは当たり前。みんな努力してるし、みんな速い。その中でタイトルに手が届く人は、確かに何か持ってるとしか思えないよね。

中野:分かるな~。勝てる時は勝てるものなんですよね。人との巡り合わせもそうだし、いろんなことがバチッと噛み合う時ってあります。

原田:結局、その時にちゃんと準備ができてるかどうかなんだよね。いくら運がよくても、勝てる力がなければどうにもならない。難しいんだよ、チャンピオンを獲るのは。
ただひとつ言えるのは、勝つ人は運も実力も備わっていて、準備もしっかりしている。勝つべくして勝ってるってことかな。

中野:中須賀くん、今も決勝前には緊張するって聞いたけど……。

中須賀:はい、毎戦吐きそうになってます(笑)。不安なんですよね。
土曜日にコースレコードを出しても、日曜日に勝てるとは限りませんから。

中野:それはすごいね……。

原田:それだけ自分にプレッシャーをかけ続けてるってことだよね。今でも自分を高めながら、本気で取り組んでる。そういう人のところにしか、運は転がり込んでこないんだよ。

中須賀:ええ、そういうものかもしれないですね……。

原田:さあ、明日のライパGPは誰が持ってるかな!(編註:収録はライパGP決勝前日に行った)

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